アイリーニという女
アイリーニ。目の前に立つ少女の首に提げられた少女の名札には、受験番号と共に、そう記されていた。
二人を閉じ込めたキューブ型の結界は、内部に仕切りがあり、すぐには攻撃できないようになっていた。
そこに、試験官の声が響く。
「あー、諸君。言い忘れていたことがある。ドーム内では卵が鍵となるが、一対一での戦いにおいては、名札の奪取が目的となる。励みたまえ」
ルカは舌打ちした。
(肝心の勝利条件を後出しするとは、適当な奴め。あれが試験官とはな。任命した奴には、この俺と違ってセンスというものがない)
ルカは指輪から剣を取り出して構えた。
(いかにも弱そうな女だ。ここはすぐ片を付けて、本番であるドームに備えるべきか)
先ほどまでオドオドと下を見ていたアイリーニは、自らを奮い立たせるかのように、しばらく目を瞑った後、背筋を伸ばしてヒーターシールドを構えた。両者の目が合う。迷いを振り払った強い目だ。瞬間、ルカは剣を強く握り直した。
仕切りが降りると同時に、キューブ内の張り詰めた空気は、鳴り響いた破裂音で切り裂かれた。
バッヂィィィイイン!
ルカは吹っ飛ばされ、強かに背中を壁に打ちつけた。
歪む視界の中で、ルカは相手の手を見た。盾を持つ左手と、それに隠されていた空の右手。その手が、人差し指と親指を突き出したような形を取っていた。つまり。
(指先から衝撃波を撃ち出したのか?この閉鎖空間で、範囲攻撃は危険過ぎる!)
直ちに距離を詰めるべく立ち上がった瞬間、ぐらりと身体が傾いだ。
(何だ?一体何が!立てない!)
三半規管を揺さぶられたのである。立ち上がれるはずもない。
優位を確立した段階で、これまで一言も発しなかったアイリーニは、ついに口を開いた。
「眠れ」
その声を聞いたルカは、ウトウトと微睡み始めた。
(ここで終われるか!)
ルカは能力で剣を引き寄せ、額に柄を打ちつけた。直後、依然として立ち上がれないはずのルカは、突如としてゼンマイ仕掛けの玩具のように起き上がった。
「な、何が…」
ルカはグルリと不自然な動きで一回転してアイリーニに迫った。アイリーニも、即座に動揺を収めた。盾でルカの剣を払いのけ、石畳の上で短く、かつリズミカルにステップを踏む。カツカツと音が鳴るたびに、細かな振動が発生し、足を取られたルカは追撃のタイミングを逸した。
両者再び距離を取り、睨み合う。再び剣を構えたルカは、相手に声をかけた。
「俺はルカだ。訳あって家名は言えないが、貴殿の力に敬意を表して、名乗っておこう」
「まぁ、光栄ですわ。わたくし、ベルナルディ男爵家が長女、アイリーニと申します」
アイリーニは恭しくも堂々と答えた。
ルカはその家名に聞き覚えがあった。かつてはその武名を轟かせた名家だが、代替り後は目立った功績もなく、爵位剥奪の危機に瀕している。現在は、悪趣味な婦人たちに晩餐会などで笑いものにされている始末である。
「音だな?厳密には分からないが、衝撃波を発生させたり、音を介して意識に働きかける能力か」
「念動系の能力をお持ちなのですね。あの状態で起き上がれる筈がありませんから…ご自身の肉体を、能力で動かされたのでしょう?」
ここで両者は沈黙したが、その静けさは、お互いの能力に関する推測を半ば肯定していた。
「俺は勝って、今日、自信を取り戻す!悪いが踏み台になってもらおう」
「踏み台となるのはあなたでしてよ。わたくしは、堂々と勝利し、誇りを取り戻すのです!胸に刻んで差し上げますわ、あなたを倒す女の名を!」
両者の決意表明と同時に、再び熱戦の火蓋が切られた。
アイリーニは、右手の指を激しく打ち鳴らし、その音を増幅させて、再び衝撃波を放った。音…すなわち空気の振動を増幅して、単に指を鳴らすという、何気ない動作を兵器に変えているのである。指先から衝撃波を撃ち出したというルカの推測は完全な的外れではなかったが、厳密には間違いであった。
しかし、タネが割れれば対策も立つ。ルカは足元の石畳を引き剥がしてキューブ内を隔てる壁を作った。行き場を失った衝撃波は跳ね返ったが、アイリーニは力強く地面を踏み締めて発生させた衝撃波で相殺した。
遠距離戦の間合いから、瞬く間に距離を食い潰した両者は激しい接近戦を繰り広げた。盾を押し付け、叩きつける。剣を回転させ、遠心力を衝撃に変換する。両者の剣戟は徐々にその速さを増し、さながら美しい舞踊のような様相を呈した。アイリーニは足元をリズミカルに踏み鳴らし、幾度となく体勢を崩そうとしたが、決定打にはならない。
実力の拮抗した両者の顔には、やがて濃い疲労の色が滲み出した。何合打ち合っただろうか。力一杯武器をぶつけ合った時、ゼェハァと激しく息を吐く両者の手から、同時に剣と盾が吹き飛んだ。
無手となった二人は激しく掴み合ったが、数分にわたる格闘の末、疲弊して身体に力の入らなくなったアイリーニは、遂に地面に押し倒された。そして、ルカは、渾身の雄叫びを上げながら、名札に手を伸ばした。
「あぁ…」
絶望の色が浮かんだアイリーニの目に、刹那、覚悟の炎が灯った。
名札を掴まれるリスクを恐れず、ルカの耳元に口を近づけ、ラ、と高い美声を発したのである。それはそのまま衝撃波に変化し、ルカの意識を一瞬にして刈り取った。だが、近過ぎる距離で増幅された音の波は、アイリーニ本人の身をも激しく揺さぶった。既に限界を超えていた両者は、互いの名札に手をかけた状態で気絶した。
――――――
十数分後、目覚めたルカは、倒れたアイリーニの名札を取った。
(先に俺が目覚めたのは単なる運。試合故に加減したのだろうが、殺す気の攻撃なら、幾度も負けていた瞬間はあった。最後の一撃も…実力では完敗だった。勝者に相応しいのは俺ではないが、相応しい者が常に勝利するわけではない)
同じ貴族として背負うものをぶつけ合った好敵手に、ルカは自ら頭を下げた。
これを受けて、試験官は宣言した。
「最後のペアの決着がついた。これをもって一対一の個人戦を終了とする。各自指定の位置につき、順次ドーム内に移動されたい」
ルカは唇を噛んだ。胸に広がるのは、苦い勝利の味と、言い知れぬ敗北感であった。




