誰も完璧ではない
旧寮近くの空き地で、ルカ達はエルマの話に耳を傾けていた。
「皆集まってくれてありがとう。これから行うのは、今朝みたいな軽い運動じゃない。一対一の戦闘訓練だ。目的は、全員の生存能力の底上げ。それと、自分の現在位置を把握すること」
エルマは懐中時計を取り出した。
「月末には学園を離れて森林での合宿、その先には他校との対抗戦とか、色々イベントがあるんだけど……。その度に学園の外に出なければならなかったり、逆に外部から人が入ってきたりする」
場の全員が、その意味を理解していた。
出先で罠を張って待ち構えるも、多数の工作員を送り込むも自由自在。学園での催しは聖教会にとっての好機であり、ルカ達にとっては試練なのである。
(月末?大会が終わったばかりだというのにまた次か。聖教会のせいで忘れていたが、この学園はただでさえ卒業までの死亡率二割で知られる地獄だ。気合いを入れて取り組まないとな。生き延びるために)
一口に死亡率といっても、そのリスクは貴族と平民で大きく異なる。優れた教育や訓練を施され、武装も洗練されている貴族が死ぬことはそうそうない。必然的に、二割の死者といってもその多くは平民となる。
(かく言う俺も、その平民となってしまったわけだが……)
エルマはニッコリ微笑んだ。
「早速だけど、まずは自分の苦手と向き合ってもらう。殺しちゃダメだけど、必要以上の手加減は禁止だ。じゃ、始めよう」
エルマの指示に従って、ルカたちは向かい合うように並んでいった。
カタリナはベルタと、アイリーニはクロードと戦うことになった。ルカの相手はエルマである。
「えー……始め!」
ベルタは開始と同時にカタリナを吹き飛ばした。ベルタの拳を受けて、その痩躯は干された布団のように折り曲がった。
何とか身体を起こそうとするカタリナの頬に容赦なく張り手を食らわせ、蹴り転がす。立ち上がる隙すら与えないその様は、まるで弱い者いじめのようであった。
アイリーニは赤いオーラで全身を覆う、手数に優れるクロードに圧倒されていた。赤い弾丸で全身を打ち据えられ、自慢の衝撃波も堅牢な防御を前にしては意味をなさない。普段のお嬢様然とした余裕は消え去り、泥に塗れて地面を転がりながら、必死に猛攻を凌いでいる。
「そろそろ私たちも始めようか」
ルカははっと我に返った。のんびり観戦している場合ではない。相手は底知れぬ難敵。
剣を呼び出し、正眼に構える。
「良い構えだね」
対するエルマは仕込み杖を手放し、拳を構えた。堂々たる佇まいである。しかし、理解できない。
「素手で剣士を相手取るつもりですか?」
「心配には及ばないさ。どうせ負けやしないから」
刃物を持った戦士に対し、まるで素人に練習をつけるかのような余裕。
ルカは平静を装ったが、その眉はヒクヒクと動いていた。
「何!…………ですって?」
「フフッ、無理しなくていいよ。取ってつけたような敬語は要らない」
「では遠慮なく」
ルカは全身に風を纏った。
「……ずいぶん舐められたものだな。俺の行動を予め知っているのだろうが……視線の動きや筋肉の機微で次の行動を推測し、予知の上を行けば対抗できる!」
「ふぅん。……良いよ、試してみたまえ」
「行くぞ!負けても吠え面かくなよ、先輩!」
その威嚇に、エルマは手招きで応えた。
「おいで」
ルカは裂帛の気合いと共に踏み込んだ。
十数分後、ルカは泥まみれで地面に転がっていた。エルマはその顔を覗き込んだ。
「あれぇ、吠え面かかせるんじゃなかったかな?もしかしてこの程度で疲れちゃったの?……腰の曲がったお爺さんかな?」
「うる……ヒュー、フゥー、さぃ……」
気合いで立ち上がるも、その膝は激しく笑っていた。一矢報いることはおろか、足元も覚束ない有様である。
一方のエルマはといえば、服に埃すら付いていない。そこには、試合開始前とまったく変わらぬ立ち姿があった。
「少しは理解できたかな?君は決して弱くない。けど特別強くもないってことが」
何とか息を整えたルカは、油断した様子のエルマに切り掛かる。鋭い一撃である。大会でカイルを圧倒し、ユリウスの猛攻を凌ぎきった剣技の冴えは、疲労を差し引いても未だ健在であった。
「しょ、と」
だが、必殺の一撃はアッサリと払いのけられた。エルマの腕が、内側から外側へ回転するように動く。迫る刃を裏拳で側面からそっと逸らし、そのまま掬い上げるようなアッパーカットで顎を打ち抜く。
背刀受けから繋げて繰り出された死角からの反撃に、ルカは一切反応できなかった。
いったい何度目の転倒であろうか。
足払い、受け、どれも基礎的な技術のはずだが、勢い任せの突進も工夫を凝らした技もすべて等しくこともなげに流し、想像を絶する反撃に繋げられる。
突破できるビジョンすら浮かばないほど完成された攻防一体の格闘術。達人を前にしたルカは、あまりに非力であった。
「ゼヒィイイイイ、ハヒィィィィ」
渾身の一撃が届かず、遂に限界に達したルカは、過呼吸のような状態に陥り倒れ込んだ。
「あーあー、無茶するから……」
崩れ落ちたルカの背を、エルマは優しくさすった。
しばしの間、その場には激しくぶつかり合うアイリーニとクロードの戦闘音だけが響いていた。
それから10分ほど過ぎただろうか。
「…………ぅ」
「ん?何かな?」
ありがとう。その微かな声をエルマは確かに聞き取った。
目を見開く。
「いや君は……いちいち予知で拾い切れない、小さなサプライズを仕込んでくるねぇ」
しばらくルカが落ち着くまで、摩り続ける。微かな微笑みを浮かべる。
「……礼には及ばないよ。君たちには生き延びて欲しいからね」
ルカは掠れた声で答えた。
「あなたもだ……」
エルマはポリポリと頬を掻いた。
「………昨日出会ったばかりなのに、嬉しいことを言ってくれるね」
「……時間は関係ない。たとえどれだけ近く、長い時を共に過ごそうとも……分かり合えない人もいる。……逆もまた然りだ。それに」
ルカは目を閉じたまま答えた。目の奥に家族の像が過った。
「それに?」
「この俺には、人を見る目があるからな。誰が尊敬に値するかくらいは見極められる」
偉そうに称賛するルカの言葉に、エルマは吹き出した。
「……昨日、風呂とトイレの掃除を俺に振ったのはわざとだな?あなたはこの短期間で、俺に多くの気づきを与えてくれた」
「買い被りだよ。私にできるのはきっかけを作ることだけ。身になるかは君たち次第さ」
ルカはエルマの目を見た。兄の面影が、エルマの顔に重なっていく。ルカは、エルマの有様に完璧な指導者を見た。
そうあって欲しいと一瞬望んだ。しかし。
(誰も完璧にはなれない。盲目的に称賛し、本人に似て非なる立派な像や役割を通して見てしまっては、結局以前の俺と同じだ)
ルカは、唇をきゅっと結んだ。
(兄上を見誤ったのは、俺の向き合い方が軽薄であったからだ。人間として誰もが当たり前に持ち合わせている弱さを想像しようともしなかったからだ。だからこそ、今ハッキリと言っておかねばならない。あなたは、理解を捨てて一方的な憧れを押し付ける対象ではないと)
対等であると。
兄の轍は、もう二度と踏まない。
「……言っておくが、あまり勘違いしてもらっては困る。俺は守られ、導かれるだけの存在ではない。むしろその逆……あなたが窮地に陥った時、救いの手を差し伸べることのできる人間だ」
尊敬はしているが、下から見上げて終わる気はない。
ルカは、立ち上がってエルマを見下した。
「今日やられた借りは、いずれ必ず返す。俺は、たとえ相手が可憐な女性であろうと一切容赦しない。その澄ました顔を泥に突っ込ませて、俺の力を認めさせてやるぞ」
「ふふっ、あははっ。可愛らしい背伸びをするね、君は。でも残念。私に勝つには、まだ十年くらい早いかな」
エルマは立ち上がった。
「さてと……」
倒れ伏したアイリーニとカタリナを見やり、満足げに頷く。
「うん、お疲れ様。三人はいったん休むと良いよ」
さりげなく立ち去ろうとしたクロードの肩を掴む。
「まだ帰っちゃダメだよ。次は私が相手だ。ああ、ベルタ。君は後ね」
ベルタは黙って頷いた。
――――――
クロードが叩き潰された虫のように地面に突っ伏し、ベルタとエルマの激闘が終わった後も小休止を挟んで訓練は続いた。
ルカも、能力を偏重しがちなカタリナにアドバイスをしたり、休み時間で元気を取り戻したクロードと殴り合ったりして親睦を深めた。
また、殺害に特化し過ぎて、相手を殺してはならない状況では別人のように弱くなってしまうアイリーニの訓練内容についても話し合った。
競い合う中で各自の問題点は自然と洗い出され、必然的に対策の話し合いも進んだ。
訓練一日目は、エルマを含む全員が浮かべた、鼻血と泥に塗れた良い笑顔に彩られて終了した。




