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頭髪と共に!

カディンはニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべた。


「待て待て、通って良いわけないだろ?」


だが、自分を殺そうとした金属使いなどルカの眼中に入っていない。意識しているのは、ビクビクと震える平民の男である。ルカは目を伏せた。


(思い出したぞ。お前、実力審査の時の弓使いか。最初にお前を倒し、その後カイルとテオを順に倒した)


平民を下民と呼び見下していたのは事実である。それ自体は謝罪すべきことで間違いない。


博物館での事件の段階では、貴族として保護し導くべき弱者として見下していた。しかし大会を通して、ルカの認識は変わっていた。


カタリナやカイル、何より決勝戦でルカを負かして鼻っ柱を叩き折ったベルタという存在によって、人間の価値とは貴族か平民かで測れるほど単純ではないと気づかされたのである。


(俺のせいでこんなところに引き摺り出されたのか。すまない……)


ルカはカディンを睨み返した。

「何度も言わせるな。詫びる気などさらさらない。どけ」


「分かってねぇらしいな。平民になった以上、今までみたいな調子に乗った真似は許されねぇ。ここで詫びてケジメつけろ。それでぜーんぶ丸く収まって、お前は平民達に仲間として迎え入れられる。それで良いだろ?な?」


カディンは猫撫で声で囁いた。


「これは俺が親切で用意したチャンスなんだぜ。それとも……たった一回頭下げるのも嫌だってのか?」


「ああ。謝る義理などないからな」


「いやプライド高過ぎだろ!」


カディンは大声を出して大袈裟に天を仰いだ。観衆も頷いた。ルカに対しヒソヒソと非難する言葉が聞こえ始めた。


(ここは平民が多いらしいな。誰も俺が謝らない……いや、謝れない理由を理解していないらしい)


世の中には、何でもマウントに繋げるタイプの人間がいる。そういう人間に対し、『私が悪ぅございました』と頭を下げれば、無限の謝罪要求とゆすりたかりが始まるのである。


良識ある人間に対する謝罪は事態を解決するが、カディンのような人間に対する謝罪は、私が道徳的に悪かったと認める降伏宣言と同じ。それは格好の攻撃材料となる。


一回だけ頭を下げれば良い。それは、みかじめ料を払えば許してやるという暴漢の言葉を鵜呑みにするのと同じ。一度きりの通りすがりなら、まだ金を出して手打ちにできる可能性もあるが逃げられない学園内にいる限り、次も必ず金を要求される。


(母上が店員にクレームをつける時と同じ手口だ。はじめから攻撃を目的としている者に対する謝罪は、反撃しないサンドバッグですという宣言に他ならない。観衆に対して、私は悪人だから叩いて良いです、と触れ回るようなものだ。絶対に謝るわけにはいかない)


客と店員のように、力関係と立場上謝罪せざるを得ない時もある。しかし、今はそうではない。

謝罪すれば、瞬く間に噂は広がる。しかも、いちいち難しく詳細を説明するような噂などあり得ない。


『ルカという平民落ちした元貴族が、かつての平民に対する傲慢な態度を集団で問い詰められた挙句、膝を屈して謝罪した』


この程度で済めば良い方だ。話をセンセーショナルにするために尾ひれがつき、手足が生え、原型すら消え去った噂は、ルカは極悪人であるというイメージを学園中に植え付けてしまうだろう。


(謝罪したいが、できない。公衆の面前で謝罪しないと言い切ってしまった以上、二度と詫びることはできない。つまり、平民派閥との関係改善は今後一切不可能となった。いや、むしろ敵に回した可能性すらある。これはあまりに効果的な一手だ)


ルカは戦慄していた。


――――――


一方のカディンも動揺していた。


(なんで詫びない?報告書で読んだ限り、強気に振る舞っている小心者で、小さな機転は利くが全体的に見るとさして賢くはない、肝心な場面で失敗する典型的なクズのはず)


とりあえず謝っておけば場が収まるという場当たり的な行動で、却って問題をより複雑かつ長期に渡るものに変えてしまう間抜け。カモにされているだけなのに、誠実に謝罪し過ちを認めた格好良い俺という像に溺れるナルシスト。


ルカはそうなるはずだった。責任を持って詫びない。そんな選択など、決してできない人間のはずだった。


(数で押せばすぐ屈すると思ったのに。マズい、落し所がねぇ。コイツが謝ってくれないと、ここまで言っちまった以上俺も引っ込みがつかない。挑発でもするか?いやでも効果がな……)


突如、スキンヘッドの取り巻きが前に出た。綺麗に刈り上げられた頭は光沢を放っているが、微妙な剃り残しのせいで不潔感がある。後頭部に細く真っ直ぐまげのように残された濃い毛が、風を受けて揺れた。


「家から追放されて辛いだろう?お前にはもう何の権力も財もない。二度と家族と楽しく食卓を囲むことすらできないんだぞ?カディン様はそんなお前を哀れみ、謝罪する機会を与えてやってるんだ!」


ルカは首を傾げた。


「家族との……食卓……タノシイ?クックック、訳のわからんことを言うな貴様。頭髪と共に頭のネジまで抜け落ちたと見える」


「抜け落ちたのではない!これはヘアスタイルだ!」


そこじゃないだろ。カディンは脱力した。


「いや、その後頭部に綺麗に残された毛からして、ハゲているわけではないと分かるが……しかし解せんな。それは一定以上の毛量のある者のみが使ってよい言葉だ。お前のような頭の人間が、ヘアースタイルがどうのと気取った言葉を使うんじゃない!」


何という暴論。しかし、場の雰囲気は完全に破壊された。観衆の何人かが吹き出したのを見て、カディンは顔を顰めた。


「貴様……!」


スキンヘッドの男は剣を引き抜いた。


カディンは頭を抱えた。

(それはマズいだろ……)


対するルカも腰の剣に手をかけた。しかし抜くことはなかった。観衆に見えるように高く、高く掲げ、そしてそっと地面に置いたのである。


(最悪!いくら学園の嫌われ者相手とはいえ、先に絡んだ挙句、武器まで抜いた。しかも非暴力の姿勢まで見せていやがる。意図的かどうか知らねぇが、家族との楽しい食卓というワードが変なスイッチを入れちまったらしい。このまま続けても……)


カディンはスキンヘッドの男の肩に手を置いた。


「まぁ、ここまで言えば彼も分かっただろう。一つ教訓を与えるという目的は果たしたわけだし、今日のところはここまでにしておいてやろう」


「はっ!カディン様がそう仰るなら!」


カディンは笑顔だったが、肩を握る手には力が入った。


(数合わせの馬鹿がのぼせ上がりやがって!お前のせいで計画が台無しになったんだよ、クソが!……まぁいい。これで奴が平民派閥に入る目はなくなった。追い詰める一歩としちゃ悪くねぇ)


カディンは踵を返した。取り巻きもその後を追った。


ルカは剣を拾い上げ、手で丹念に埃を払ってから指輪に仕舞い込んだ。


(何だ?急に引いていったぞ。……奴は完全な優位に立っていたはずだが、剣を置いて暴力対非暴力という構図を作ったのが功を奏したか?もう一悶着あるかと思ったが、肩透かしも良いところだな)


「まぁ、良いか」


ルカは再び、学生会館に向けて歩き出した。


――――――


去っていくカディンとルカを見送った屋台の店員はボソボソと囁いた。

「申し訳ございません、猊下。やはり毒殺は失敗です。何度試しても上手くいきません。カディンの手も、機能してはいますが決定打にはならないかと。はい、今後も監視を続けます」

やり取りを終えた店員は去っていくルカの背を睨んだ。

完全に毒入りの菓子を食べるつもりのように見えたが、行動が読めず仕留めにくい標的だ。


失敗した以上、もう用はない。作りかけの焼き菓子を地面に落とし、踏み潰す。


営業は始まったばかりだが、もう店じまいの時間である。

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