しょうもない顔を引っ込めろ
翌日の放課後、講義などの本館での用事を消化したルカは、本館から少し離れた学生会館に向かっていた。本館は入学式や一般的な講義の行われる格式高い建物である。一方で、学生会館は部活動などの課外活動が行われるボロい……否、少々年期の入った建物である。
懐の赤い結晶を確かめる。能力で生成されたもので、魔力を込めるとクロードにシグナルが届くようになっている。ルカからのシグナルは緊急事態を意味するので、赤い男は講義中だろうとトイレ中だろうと関係なくすべてを放り出し、全力疾走でルカを助けに来てくれるというわけだ。
(単独行動が許されて良かった。目の離せない幼児じゃあるまいし、引率付きでないと出歩けないなど冗談じゃない)
昨日の話し合いの結果、カタリナには常にベルタが護衛に付くことになった。クロードは護衛に名乗り出たが、
「目の前でみすみす攫われといてよく言うわ。護衛は私がやる。これは決定事項よ」
この一声ですごすごと引き下がった。
「あ、ありがとうございます……」
ベルタが護衛を務めると聞いて、カタリナは頬を赤らめた。まるで憧れの人を前にしたような喜びようだった。
(二人に交流はなかったはずだが、何だったんだアレは?)
ルカは首を傾げた。
その後、心配性なアイリーニの提案でルカにも護衛がつけられるところだったが、ベルタが却下してくれたおかげで、学園外に出る時は護衛が必要、というところに落ち着いたのである。
――――――
(ん?……あれは)
学生会館に向かう道に、見慣れない屋台がある。学園の許可があれば、敷地内で売店などを出して菓子や飲み物を提供するのは問題ない。
ルカはふらふらと屋台に近づいた。そこでは、チーズを用いた焼き菓子が売られていた。芳ばしい焦がしバターの香りが鼻腔をくすぐる。
『講義が終わったらすぐ来るようにと言いましたのに、こんなところで道草食べて、いったいどういうつもりですの?』
頭の中でアイリーニが文句を言うが、関係ない。
(食欲は時を選ばぬ。それに、今を逃したらこの菓子を食べる機会はもうないかもしれない。俺はチャンスを逃さない男!)
家と縁を切って懐は寂しいが、学園の成績優秀者である以上学費はかからない。寮の食堂を含め設備の利用も無料である。何より、大会で二位になったことで賞金も入る予定である。
難解な講義で疲れた頭にエネルギーを補給するにあたり、小銭を惜しんでいる場合ではないのである。
ルカが購入した菓子にかぶりつこうとした瞬間、菓子はその手から踊るように回転し、あらぬ方向に飛んでいった。
「何をする!」
ルカは愉しみを奪った下手人を睨みつけた。空中を漂う仮面の紳士は、盗んだ菓子を懐に仕舞い込んだ。
「良くない匂いのする品です。こちらは私が責任を持って預かり、処分させていただきます」
「またそれか!ここ数日何度も何度も……!もう我慢ならんッ!何が良くない、だ。お前が食べたいだけだろうが!ふざけるな!無料じゃないんだぞ!」
「……」
そっぽを向いた紳士を前に、ルカは鞘に収めた状態で剣を取り出した。
「無視するんじゃあないッ!許さん!返せッ!頼むからッ!」
人目を集めたくない。小声で怒声を上げる。
他人から見れば大したことではないだろうが、ルカにとってはシリアスである。
食堂に行けばタダで腹は満たせるが、嗜好品の費用は薄い財布からルカ自身が捻出しているからだ。
贅沢に慣れた元伯爵家の坊ちゃまは我慢が嫌いである。金が潤沢にあった頃は食料品を取り上げられても許せたが、そんな余裕はもうどこにもない。
「聞いてるのか……」
「おい」
なおも言い募ろうとしたルカの背後から声をかけたのは、取り巻きを引き連れた金属製のネックレスを付けた男だった。
「何だ。俺は今……」
集団の接近には気づいていたが、そのまま通り過ぎるものと思い無視していた。
振り向いたルカは目を見開いた。昨日の朝、闘技場前で見かけた男だ。特徴も聞かされた通り。つまり。
(こいつがカディンか!チッ、面倒な。こんなことなら菓子など無視してまっすぐ学生会館に行くべきだった)
ルカは鞘を握る手に力を込めた。
「誰だお前は?」
「俺はカディン。惚けんなよ。知ってんだろ?」
カディンは鼻が突き合いそうなほどルカに顔を寄せてきた。
「お前など知らん。……邪魔だ。そのしょうもない顔を引っ込めろ」
急に近寄ってきた相手に対し、ルカは一歩も引かなかった。
「それで、カディンとやら。俺に何の用だ?」
(強いな。ユリウスよりは少し弱いが、間違いなく学生の中では上澄みに位置している。後ろの連中は……大したことないな。とりあえず頭数だけは揃えたようだが、どれも小粒も良いところ……)
「別に?伯爵家から平民堕ちした間抜けを揶揄いに来ただけさ。見下してた下民とやらになった気分はどうだ?」
周囲からクスクスと笑い声が漏れた。当然である。入試、入学式、武闘大会と、ここ一ヶ月でルカは悪い意味で有名人になっている。
見下されているとの噂で平民からの評判は悪く、家と縁を切ったことで貴族社会からも出てしまった。
(アイラが言うには、なぜか負けたら継承権を失う件が家の外にも知られていたようだし……)
『お前に継承権を脅かされる恐怖に晒されて』
ルカの頭を兄の言葉が過った。
(まさか兄上が?試合に注目を集めて、俺が継承権を失うことを知らしめるための準備を?そんな真似をするとは思いたくないが、可能性はある)
カディンに促され、集団の後ろから気弱そうな男が出てきた。
「挨拶も済んだことだし、そろそろ本題に入ろうか。……この男が、お前に下民と見下されて不快な思いをしたらしい。膝を屈して謝罪しろ」
下らない要求だ。だが、ルカには分かっていた。そうしたが最後、今後の学園生活は地獄となる。
(普通に考えれば、衆目の中、貴族が平民のためにここまでするなどあり得ない。普通でないのは、この男の俺への執着と……何より、俺自身の立場か)
背後までは囲まれていない。開かれている。意図的にそうしているのだろう。屈辱的な要求に反論すらできず背を見せて逃走した。その情けない事実だけでも十分。
カディンを批判する貴族などいない。子爵家の人間と対立するメリットがない。むしろ、平民を見下す嫌われ者を、子爵家のエリートが公衆の面前で断罪してくれたと見る者が圧倒的多数を占めるだろう。
平民には分からない理屈だろうが、昨日まで貴族であったルカには分かる。社交界において、メンツは命より重いのである。
(貴族社会の論理で行われるいじめには教師も簡単には踏み込めないが、それを防ぐための仕組みが、生徒どうしの勢力均衡。平民は平民派閥の一員として保護され、貴族は幾つもの派閥に分裂して所属し、互いに対立しながらパワーバランスを保つ。だが、貴族から平民に落ちた俺は、その保護から漏れている)
ルカは察した。自分は今、平民派閥にも貴族派閥にも属さない、孤立無援の状況にある。カディンは、ルカを貶めメンツを潰すためにここに来たのだ。
(孤立したイジメの標的として知られれば、学園内でも嫌がらせを受けやすくなる。嫌がらせに偽装した攻撃も容易い。これはその準備)
スキンヘッドの取り巻きが口を開いた。
「おい、カディン様が頭を下げろと要求しているぞ。さっさと……」
「言わなくても分かってると思うが、お前の出る幕じゃない」
「何だと貴様!」
取り巻きを無視して、ルカは背後の紳士に鋭い視線を送った。
「承知しました」
紳士が一礼したのを見て、ルカは胸を撫で下ろした。ひとまず、最大の懸念材料を取り除くことができた。
そして、スキンヘッドに向き直る。
「聞こえなかったのか?今お前のボスと話してるところだ。分をわきまえろ」
ルカは嗤った。
「しかし滑稽だな。手下の躾もできない程度の低い男が偉そうに振る舞っているのは。もちろん、返事はノーだ。誰が頭など下げるか」
ルカは一歩前に出た。
「要件がそれだけなら、もう道を開けてもらおうか」




