小夜更けて
足音荒く去っていくルカを見ながら、ジョバンニ・バルトリーニは達成感と同時に虚しさを覚えていた。
最後の最後まで継承権を脅かし続けた弟を自力で屈服させることはできなかった。大会でルカを倒したのは槍使いの少女であった。家を出て縁を切る選択をしたのは聖教会とのトラブルが原因だと聞いた。どちらもジョバンニとは関係のないところで勝手に起きたこと。完全に蚊帳の外であった。
(私を追い続けたお前を、自分の手で叩きのめしたかった。いや、もしそんな機会があったら、お前は思いもつかない奇策を用いて私に勝ってしまっていたかもしれない。だから、これで良かったのだ……)
『良いではありませんか。所詮アレは……』
誰にも使いこなせない無用の長物。鞘から抜くことすらできず、趣向に合わないと言い訳して放り出した剣を、ルカは五年かけて鞘から引き抜いてみせた。
今胸中に溢れ出すのは、鞘から抜き放たれた剣をルカが振るう姿を、初めて見た時の感情に似ていた。それを何と呼ぶか知らないが、とにかく不快な感覚であることは間違いない。
ジョバンニは地団駄を踏んだ。誰にも聞こえないように、小声で苛立ちを囀る。
「最終的に家を継ぎ、勝ったのはこの私だというのに、この苛立ちは何だ?」
ひとしきり自分の勝利を確認する言葉を並べた後、ジョバンニは黙り込んだ。
邸宅の廊下で肩を落として、ただ立ち尽くす。その様は、およそ勝者のそれとは程遠い惨めなものであった。
――――――
(確か、隣の部屋で話し合っていると言っていたな……)
試合は昼過ぎ、父との話を始めたのは夕方であった。邸宅での用事が長引いたせいで、ルカが学園に戻ってきた頃には、既に辺りは薄暗い夕闇に閉ざされていた。
(だいぶ遅くなってしまったな)
再び学園の医務室前に戻ってきたルカは、扉を開ける前にしばし悩んだ。自分を助けてくれた同級生を放置して家族の元に向かってしまった。話もかなり進んでいるだろう。要するに。
(気まずい……)
「なんでそんなことになってんだ!」
響いたクロードの声に、ルカはビクッと竦み上がった。
同時にガチャリと、内側から扉が開かれた。
ルカはドアノブに手を伸ばしたまま、もう一度ビクッとした。
顔を出したのはアイリーニであった。
「ずっと外に突っ立って、いったい何をやってますの?」
「いや、これはだな……」
しまった。耳の良いアイリーニと感覚の鋭いベルタがいるのだから、扉の前で立ち止まっているのはバレバレである。
「皆ベルタから話は聞いていますから、早く入ってきてくださいませ」
「では失礼して……」
ルカは恐る恐る入室した。だが、予想に反して自分に視線が集中することはなかった。小ぢんまりとした部屋には、幾つかの椅子と机が雑然と置かれていた。ベルタやカイル、カタリナなど馴染みの面々の視線は一瞬ルカに向けられたが、すぐに壁際でのやり取りに戻っていった。
奥の壁際では、クロードがレヴィアに詰め寄っていた。
「いやだから、証拠がないっていう話でさ……」
レヴィアはたじたじであった。
ルカはアイリーニの耳に顔を寄せた。
「どういう状況だ?ちょっと教えてくれないか」
すぐに抗議の声が飛んできた。
「耳元で喋らないで下さいまし!くすぐったいですわ!」
前を向いたまま小声で謝罪する。
「悪かった」
耳元で聞き心地の良い声が囁いた。
「カディンが解放されるらしいのです。何とかして拘束を延ばしたいクロードが、先生に直訴しているのですわ」
「カディン……誰だ?」
アイリーニは底抜けの馬鹿を見るような目でルカを見やった。冷たい目線に、ルカは縮こまった。
「三位決定戦でユリウスに負けた、金属操作の能力者ですわ。今日、あなたを殺そうとした連中の一人……」
「何?学生まで俺の暗殺に協力していたというのか?……それで、そんな奴がどうして解放されるとかいう話になったんだ?」
「急に乱戦が始まって動揺した。事態を収拾するため介入したが、槍が飛んできたので攻撃を受けたと勘違いして動揺し、つい自衛のため反撃してしまった。らしいですわ」
「苦しい言い訳だな」
「でも誰も否定できる材料を持っていませんの。現場を見ていた教師は壊滅しましたし、皆戦闘と混乱でよく覚えていませんから……もっとも、見ていたとしても証言だけではどうにもならないでしょうけれど」
ルカがアイリーニと話している間も、クロードはますますヒートアップしていた。
「だから、コイツは先制攻撃なんかしてねぇって言ってるだろ?」
部屋の中央付近に座っているベルタを指差しながらレヴィアに顔を寄せる。
「やったやってないは水掛け論だし、槍が飛んできたと思って混乱したってのはさ、ホラ、実際攻撃されてなくてもそう感じたって話だから……」
レヴィアは仰け反りながら必死にクロードを宥めている。
「クロ、そこまで」
「けどよ……」
「けどよじゃない」
「はいはい、わあったよ」
クロードは不貞腐れた子どものようにどっかと椅子に座り込んだ。
「子爵家の人間を、証拠もなしにこれ以上拘束するのは無理。抗議したって意味がないし、私たちにはどうすることもできないわ。それより今は……」
ベルタが仕切り始めたことで、どうやら場は落ち着いてきたようだ。ルカはアイリーニに尋ねた。
「教師に被害が出たらしいな。観客と学生は全員無事と聞いてるが、本当に大丈夫なのか?」
「わたくし含め皆ほぼ無傷ですわ。ご心配には及びませんの」
「敵は相当強かったと聞いたが……」
「……ええ、全員かなりの実力者でしたわ。わたくしが二人、ベルタとリーナが一人ずつ殺しましたが、結局残り三人には逃げられてしまいましたから」
「そ、そうか……怪我がなくて良かった」
そこまで話して、ルカは気づいた。場の注目が自分に集まっている。クロードとレヴィアの問答が終わった今、ルカに注目が集まるのは当然であった。
「……ほら、立って」
アイリーニに促され、ルカはおずおずと立ち上がった。
「あー……その、本当に申し訳ない。寝ている間に、色々と迷惑をかけたと聞いた。今後、この借りは必ず返すつもりだ。助けてもらったことに心から感謝している」
ルカは深々と頭を下げた。
「諸事情あって遅くなったが、ぜひ話し合いに参加させて欲しい」
場の全員が頷き、ルカは着席した。
その後の話し合いは夜遅くまで続いたが、カタリナやルカの安全を確保するための施策は、完全にはまとまらなかった。結局、当面の対策を形としたところで、詳細は翌日に持ち越されることになった。
ひとまず、今夜は複数の棟があり、各自の部屋も離れてしまう寮内でバラけて眠るのは避けることになった。全員がベルタの目の届く教職員用の宿直室に泊まることが決まったのである。何かあれば、教職員もすぐに駆けつけられる場所だ。
カーテンで仕切られた室内で、他の生徒達は早々に眠りについたが、ルカは灯りを消さず、大聖堂から盗み出した書類に目を通し始めた。
試合会場で気絶させられ夕方まで眠ったルカの目は、まるで昼寝した直後のように冴えていたのである。
夜は、静かに更けていった。




