傍若無人
(毒?)
その男が闘技場内に入ってきた瞬間、ベルタは懐中の危険物に気づいた。
去り際の喧騒の中で、アイリーニも違和感を感じ振り向いた。
闘技場の隅の地面から、先の試合でベルタに叩き落とされた細いワイヤーが僅かに浮かび上がった。
その男、レイヂィラガンは救護班に紛れ、懐に忍ばせた注射器に手を伸ばした。速やかに事を済ませて撤退するよう、ゲイルから指示を受けているのだ。
密かに、かつ確実に事を運ぶ。
「時よ止まれ」
瞬間、世界は停止した。一秒が引き延ばされ、時の密度が変質する。
レイヂィラガンはニヤリと笑った。
(静止した時の中で動けるのは、魔力による強化を極め、生半可な異能を受け付けない領域に至った超人達のみ。この場でその域に至っているのは、ゲイル。君だけだ)
静止した時の中、ゲイルは頷いた。レイヂィラガンも頷き返す。
注射器を取り出し、すぅすぅと呼吸する少年の腕に刺そうとする。
その時、耳元で声が響いた。
「動くな!」
見えない壁にぶつかったように動きが止まる。
「フンッ!」
啓導官第10席に至った猛者が、この程度で終わるわけもない。気合いを発し、アイリーニがかけた金縛りを瞬時に振り解く。
だが、時既に遅し。動きが止まった一瞬の隙をついて、蛇のようにのたうつワイヤーが全身に絡まっていた。
「こんなもので……」
並の拘束ではない。だが決して破れないほどでもない。異様に頑丈なワイヤーをブチブチと引き千切り、顔を上げる。同時に、眼前に迫った黄金の槍を躱すべく身を捻る。
辛くも直撃を回避するも、黄金の槍はその痩躯を吹き飛ばし、肩口を貫いて壁に縫い留めた。
レイヂィラガンが肩口から槍を引き抜いた瞬間、時は動き出した。
――――――
ゲイルは撤退の指示を出すべく手を振りかぶった。
(止まった時の中を動ける敵が、少なくとも三人。これァたまげた。さすがに無理だわ)
だがその前に時は動き出し、場の全員が攻撃に出ていた。
啓導官達も、それを防ごうとする者達も、こぞって動き出していた。
(チッ、こうなりゃ先手を取って殺すしかねぇ!)
ゲイルの右手から炎が噴き出した。
「止まれ!」
耳元で響いた声に苦笑する。レイヂィラガンを止めたのは、この声の主か。だが若い。甘い。身体は動かずとも能力は発動できる。
炎はゲイルの手を離れ、分裂し、炎弾となって生徒達を襲った。
ある者は鼠の群れで迎撃し、ある者は赤いオーラで全身を覆った。
直撃を受けたのは僅か三人であった。カタリナ、ユリウス、ベルタである。
しかし、見事に先制したゲイルの表情は冴えなかった。
「チッ、やっぱこんなもんじゃ落とせねぇか」
カタリナの全身は攻撃を受けるのと同時に焼き尽くされた。鱗で全身を覆い防御を固めていたユリウスは、それでもなお左半身を吹き飛ばされた。ルカを庇い、反応が遅れたベルタの全身は豪炎に包まれた。
「熱っ!腹立つ!」
ベルタは悪態をついた。全身を覆う稲光が炎を薙ぎ払っていく。カタリナは作り出した幻が消滅する様を見て、観客席で冷や汗をかいた。ユリウスは勢いよく地面に転がったが、残された右半身から少しずつ肉が盛り上がり、再生が始まっていた。
金縛りを振り解いたゲイルは、足裏から炎を噴き出し、場内に降り立った。
周囲では既に戦闘が始まっている。アイリーニは86席と107席、そして空中を飛行するシカーダを単独で相手取っている。レヴィアは25席を相手に押されているようだ。カイルは97席に鼠の群れをけしかけている。
ユリウスは地面に転がったまま、左半身を再生している。
ベルタはウルミを振り回すカディンと、肩口に傷を負ったレイヂィラガンを圧倒している。
一方で、入場口にも動きがあった。目をやると、ちょうど教師四名が会場内に踏み込むところであった。
「さて、どいつからぶっ殺すかなァ」
場内を観察するゲイルを、背後からクロードが急襲した。その右手は、赤く結晶化した刃に包まれていた。
(殺す気満々の奇襲!?オイオイ最高じゃねえか)
ゲイルは、自身に臆さず仕掛けてきた少年の殺気に笑みを浮かべた。そして応えた。
「死んどけや」
倒れ込むようにボバンッ、と脚を跳ね上げて蹴りを放つ。ボッボッボッと、腰、膝、足の甲と連続で爆発を起こし、その度に加速。振り向きざま、クロードの顔面に踵蹴りを叩き込んだ。
咄嗟に赤いオーラを結晶化させて全身を防御するも間に合わない。交通事故じみた衝突音と共に、クロードは闘技場の壁に深々とめり込んだ。
(頸椎を叩き折るつもりだったんだがな。ご先祖サマの技を受けて死んでねぇとはやるじゃねぇか。次は確実にぶっ殺すぜ)
「緋剣」
刀に紅い炎を纏わせる。
すべきことは単純明快である。標的殺害にあたり、障害となる存在を排除するだけ。まず場内に入ってきた教師四人に狙いをつける。足裏で爆発を起こし、瞬きの間に目前に迫る。
教師達も剣や拳で応戦したが、ゲイルの方が速い。峰から噴き出す炎が刀身を加速させ、空中に燃え滾る紅い線を引くようにして教師達の決死の抵抗を撃ち落としていく。
全員、国内最高峰の学園で教鞭を執るだけあってそれなりに強い。一連の応酬でも、負わせることができたのは僅かなかすり傷のみ。
「じゃあな」
しかし、それで十分。
緋剣。それは炎を刀身に纏わり付かせる、勇者が遺した即死の基礎技術である。炎は掠っただけで傷口から敵の体内に侵入し、内部で連鎖的な爆発を起こし臓器を破壊する。
傷口から教師四人が爆裂するのと同時に、ゲイルは次の手を打っていた。
「邪魔くせえゴミは、まとめて焼却処分だぜ」
場内への無差別攻撃である。逃げ遅れた観客、敵味方一切の区別を問わず全方位に大火球を撃ち放つ。
(学生どもに観客を見捨てる判断なんぞできはしねぇ。動揺した隙に皆殺し……何?)
放たれた火球が観客席に着弾することはなかった。見えない糸に引っ張られるように、綺麗な放物線を描いてゲイルに投げ返されたのである。
ゲイルは全身から炎を噴き出して舞い上がった。空中に複雑かつ優美な軌跡を残し、返却された火球を悠々と回避していく。
(チッ、例のバケモンか?しかし分からねぇな。教師どもをぶっ殺す時は黙って見てたくせして、今になって介入してきやがるとは)
地に降り立ったゲイルの顔に、側面から黄金の槍が迫った。腹側から炎を噴き出し、地を足裏で滑るように直立したまま平行移動で回避する。
見れば、先ほどまでベルタと対峙していたレイヂィラガンとカディンは地面に転がっている。
「オイオイ瞬殺かよ。ったく使えねぇな」
刀を握ったベルタと壁から抜け出したクロードが、ボヤくゲイルを挟みこむように前後から迫った。




