天国の解像度
(簡単過ぎるとは思った。まるで主要戦力がごっそり留守にしているかのような状態……ガルターリを除き、見どころのある敵が一人もいない。待て、なぜ敵がいない?何の用で出払っている?)
大聖堂の地下で、ルカは歯噛みした。
(……分からないが、すべてが繋がっている気がする。ペトラがリタイアしたことも、父上からの分家命令も……)
「お、おお、全員救うのか。ようやく分かってくれた……ってことでいいんだよな?」
繋がりかけた点と点は、かけられた言葉によって断ち切られた。急な心変わりに困惑したのか、言い淀むクロードをギロリと睨みつける。
「勘違いするなよ。お前が正しいというのは、必ずしも俺が間違っていることを意味しない。だが……」
(はじめから想定しておくべきだったのだ。この広大な地下空間に対して、ここにいるのはたかだか二百人ちょっと。この程度で済んだのは、むしろ僥倖と考える言える)
「やることは二つ。コイツらの説得と、守りながらの脱出だ。生きる意思のない者を脱出させるのは難しいし、助けてもすぐ自殺されては意味がないからな。それにあたり、えー……」
「リーナ」
「リーナ。説得は五分以内に済ませたい。聖教会の教義と、それに対するお前の考えを二分で聞かせろ」
「説得なら私が……」
「演説の経験と素養があるのか?」
「ないけど、」
「なら俺がやる。信じろ」
クロードに指を突きつける。
「お前は通路を見張れ。敵が来たら知らせろ。状況次第で足止めもやれ」
「了解」
ルカは懐中時計に目をやった。五分で説得。二十五分で脱出。身体強化を全開にして市街地内、屋根の上を駆け抜けるのに十分。消耗は避けられない。
ルカはひそひそと呟いた。
「この場で受諾すれば、二人と信者達を保護対象にできるか」
宙に浮いた紳士は頷いた。
「お約束しましょう」
(ガルターリがどんな手を打ってくるか分からん。最悪の場合、使徒討伐を受諾しコイツの手を借りるしかない)
ルカはため息を吐いた。
(俺は、人類の脅威に正面から立ち向かえるほど強くない。受諾すれば平穏な生活は永遠に失われ、遠からず死ぬことになるだろう……他人のためにそこまでせねばならないというのか、この俺が)
ルカが大会中ファントムに頼らなかったのは、割に合わないからである。大会に勝てなければ伯爵家の権威とあらゆる財を失うが、使徒と戦えばまず間違いなく生きては帰れない。
状況が、ルカに決断を迫っていた。
――――――
「地上、地下、どちらも避難完了しました!残っているのは我々のみです!」
大聖堂の地下、瓦礫転がる大広間でガルターリは報告を受けていた。配下を巻き添えにして技を放った衝撃で地上はパニックになっており、地下施設もあちこち軋み出したので、避難の手配に追われていたのである。
(少し景気良く暴れ過ぎたな……)
この上侵入者を取り逃がせば、厳罰は免れないだろう。ガルターリは足元の石を蹴り飛ばした。
「それで、猊下の容態は?」
「はっ、気を失っているだけのようです」
(猊下を気絶させ、書類と遺物を盗んだのは奴らと見て間違いない。動かせる啓導官が少年暗殺に出払っている隙に仕掛けてくるとは、こちらの情報が想像以上に漏れているということか)
ガルターリはしばし思案した。そして、懐から女神像を取り出す。下品なポーズのそれを眺め、頭から口に含む。
「レロレロベロベロ」
くぐもった声を漏らしながらしゃぶる。徐々に、その舌の動きはより激しくなっていく。
(法的に言えば、奴らを罪には問える。住居侵入、傷害……騎士達の死を奴らになすりつければ強盗殺人で死刑もあり得る……いや、併合罪なら間違いなく死刑)
「レロラロレロエロレルレルレラルァン……フゥー」
(だが大聖堂の地下……生贄や子羊の存在がバレれば聖教会の権威が揺らぐ。つまり憲兵などの公権力……困った時のいつもの手には頼れない。それもこれも、大聖堂への直接攻撃というあまりに大胆な一手を想定していなかったせいだ)
半ば無意識に舌を動かし続ける。
「ブチュルルグチュルプァァ」
(第三席を筆頭に、すぐに動かせる啓導官六人はすべて出払っている。標的の少年自体は大した問題ではないが、使役する怪物が問題とか言っていたが……使えるカードも、動かせる手駒も少な過ぎる)
「オオオオオオ!女神よォォォ!我に天国へ至る道をチュッパチュッパ!」
そのまま数秒沈黙したガルターリは、隣に控えていた男に命じた。
「やむを得ん。エンジェルを解き放つ。お前は状況を監視し、必要に応じて啓導官に報告せよ」
「承知しました」
男は虫のような羽根を生やして飛び去った。状況を安全に監視できる位置まで離れるのだろう。
(連中の陰に何がいようと関係ない。丸ごと死体の餌にしてくれる)
口から取り出した女神像を懐にしまいこみ、ガルターリはニヤリと笑った。
――――――
カタリナは語り終えた。
「なるほど、大体わかった。やはり聖教会の教義は気持ち悪いな」
ルカは頷いた。きっかり二分。聖教会について一般的な知識はあるが、やはり当事者から聞かされる体験談と本で読んだ知識とでは、情報の密度が違う。
「信仰は自分の中にある、か。興味深い考えだ。……後は任せろ」
看守にも話を聞こうとしたが、信者達は生贄としか言わない。情報が得られない以上、放置するのみ。
ルカは信者達の前に立った。
(まずは注目を集める。聖教会について聞く限り、はじめから教義を否定しても意味はない。まずは奴らの論理で注目を集める。相応しい第一声。奴らが無視できない一言……)
「お前達は、天国に至ることはない!天国に相応しくない!死した後、ただ朽ちるのみ!」
ザワッとどよめきが広がった。
「何だと!」
「お前が決めることじゃない!」
(食いついた!そう、天国にこだわる貴様らは、この一言を無視できない!だが集団と怒鳴り合っても意味はない。一人とやり合う。相手は……)
一際大きな声で抗議した男を指す。
「ではお前!天国とは何か言ってみろ!」
「えっ、俺?」
「そうお前だ!無知な俺に、素晴らしい聖教会の考えを語って聞かせろ!天国とはどんなところだ!」
ルカに抗議していた信者達は徐々に静まり返った。
(そう、自分の仲間が話すことを邪魔したくないだろう?黙るしかないだろう?)
「急に言われても……えーっと……死後に聖教会の信者が至る、苦しみのない、誰もが幸せになれる楽園……だと思うけど……」
「そうか!誰もが幸せになれるのか!それは良いな!ところでその幸せとは何だ!」
「え?幸せとは……だから、苦しみのない……」
「問いを変えよう。苦しみがなく幸せと言ったが、天国にはどんな娯楽があって、どんな喜びがある?天国にはスポーツがあるのか?チェスなどのゲームはあるのか?」
「その……そう、苦しみはない!スポーツも……チェスだってあるさ!」
「そうか!ところでスポーツもチェスも、必ず敗者がいるものだ!誰も苦しまない世界と言ったが、負ける屈辱は、悔しさは苦しみに当たらないのか!」
「えっ……えーと……」
「浅い!」
ルカは怒鳴りつけた。
「自分の人生を投げ捨てようという時に、その後至る場所のことを、なぜよく考えないのだ!」
「……」
「それは、お前達が天国に向き合っていないからだ!お前達は、今の人生が苦しいから、何かが自分を救ってくれると信じたいだけではないか!だから、死後の世界を説明できない!聖教会の信者だけが天国に至るだと?では、この広い世界で、聖教会の存在すら生涯知ることもなく暮らす別の大陸の人々は、天国に至る資格がないというのか!聖教会を知らない人々は、はじめから天国に至る資格がないのか!酷いではないか!この理不尽を、誰でも良いから説明しろ!」
誰も応えない。響いていた批判の声はやみ、人々の目にはただ、迷いの色だけがあった。
誰かが叫んだ。
「でも、人生は辛いんだよ!大変なんだよ!苦しいことばかりじゃないか!天国はある!そう信じて何が悪い!自分の死に方を自分の信念で決めて、何が悪い!」
ルカは深く頷いた。聴衆の興味を引くためのパフォーマンスではない。自分の人生を振り返った時、その言葉に、確かに共感したからである。
「何も悪くない。確かに人生には苦しいこと、思い通りにならないことばかりだ。自分の命より信念を優先すべき場面もあるだろう。だがな」
ルカは剣を呼び出した。魔力を込め、光を発するそれを掲げる。
「決断が尊いのは、自分の人生に向き合って下すものだからだ!お前達は人生にも、自分の死にも向き合わず、解像度の低い天国を言い訳にしている!適当に死のうとするな!」
「でも、天国がないってことが、あなたには証明できないわ!私たちが天国に行けないってこともね!」
赤ん坊を抱えた母親が叫んだ。
「では問おう。例えばお前が抱えている赤ん坊を、俺がこの剣で貫いたとしよう。聖教会に信仰を捧げれば、俺は死後天国に行けるのか?」
「行けるわけないでしょ!赤ん坊を殺すなんて最低よ!」
非難轟轟である。場の全員が怒りの声を上げた。五秒ほどルカは黙り込み、そして全身から殺気を放った。場はシンと静まり返った。
「では、自分の子を巻き添えに死のうとしているお前はなぜ天国に行けるというのだ!お前は罪のない赤ん坊を殺そうとしている!その理屈なら、お前は天国に相応しくない!……ここには子どもが大勢いるな!無垢な子どもを自分の弱さの巻き添えにしようとするなど下劣極まりない!貴様ら全員、恥を知れ!」
「それは……」
「何度でも言うぞ、お前達は天国に相応しくない!今ここだ!今目の前の人生に向き合え!今に向き合えない者が、来世で幸せになれるなどと都合の良い言い訳を並べるな!目の前の苦しみから逃げ出したいという感情と、死にたいことは別だ!本当は!お前達は誰かに、何かに救って欲しかったのだろう!安心しろ!俺が来た!まるで神話の天使の如く、都合良くお前達を救いに来た!」
ルカは吠えた。
「いいから黙って、とにかく俺に救われろ!」




