ふぎゃあ
クロードに近づくほどに、手にした結晶の反応が強まっていく。気絶した聖堂騎士達を横目に、ルカは駆け抜けていった。
懐中時計を確認する。あと40分。厳しい時間だが、まだ決勝に間に合わせることはできる。既に家と縁を切ることは決めたが、財産云々以前に、勝たねば父の前で切った啖呵が嘘になる。
(決勝を前にして勝負から逃げた腰抜けとしてではなく、勝者として堂々と家を出る!三人で脱出……ん?この気配は……)
ルカの上がった口角は、徐々に下がっていった。遂にクロードの元に辿り着いた時、既にその顔は苛立ちに満ちていた。
無数の格子が並ぶ、広大な牢獄がそこにはあった。
手を振るクロードの隣にはカタリナが立っていた。足元には、バラバラに切断された鎖と、看守らしき男が転がっている。
疲弊しているようだが、目立った傷もない。救出が間に合わず殺されてしまう事態は避けられたようだ。
ルカを視界に捉えたカタリナの表情は明るくなったが、ルカが怒り狂っているのを察したか、すぐに目を伏せた。
「遅かったじゃねえか」
「少し道に迷ってな。……二人とも、元気そうで何よりだ。それで……」
ルカはぐるりと周囲を見回した。
「どうしてこうなった」
広大な牢獄の格子はすべて断ち切られていた。そして牢獄の中には、ボロ切れを着た人々が立っていた。二百人はいるだろうか。それを見たルカは頭を抱えた。
(救い出すのは一人だけのはずだろうが!厄介ごとの匂いしかしない!本っ当に勘弁してくれ!)
「コイツが金を出せない信者達は聖なる生贄として有効活用がどうとか抜かしやがったからな。放っておいたらどうせ酷ェ目に遭わされるし、ついでに連れて行く」
クロードは足元の看守に目をやってから答えた。
「この……ッ!」
ルカの額に青筋が浮かんだ。何度か深呼吸をし、バンバンと地団駄を踏んでから天を仰ぐ。フゥゥゥゥ、スゥゥゥゥ、と息を吐く。言いたかった言葉のすべてを呑み込んだルカは頷いた。
「良いだろう。急ぎここを脱出する」
ルカはカタリナの肩に手を置いた。
「俺たちだけで全員を守り切るのは困難だ。お前の能力で隠れながら行く。見つからないのが大前提だ。頼んだぞ」
「あの……」
何か言おうとするカタリナを遮り、ルカは信者達に近づいた。
「では、列を作ってついて来い!俺たちが守ってやる!大柄な男連中は外を囲むように移動しろ!」
しかし誰も答えない。微動だにしない。訝しんだルカは一人の男の肩に手を置いた。
「おい!聞いているのか!」
しかしその手は、乱暴に振り払われた。
「信仰の道を阻むのか!聖教会のために死ぬは甘美なりィ!」
「はぁ?」
「皆、共に天国へ向かおう!天国へ向かおう!」
集団を伝播するように、声の波が広がっていく。
「「「天国へ向かおう!天国へ向かおう!」」」
「黙れッ!!!」
ルカは全身から高密度の魔力と殺気を放った。場は水を打ったように静まり返ったが、依然として誰もルカの元には近づこうとしない。その目の奥には、ただ昏い絶望の色だけがあった。
「これはどういうことだ?聞いてないぞ」
「聞くより見た方が早えだろ。コイツらは正常じゃねえ。救い出せるのは俺たちだけだ」
ルカの全身がわなわなと震えた。呑み込んだ言葉のすべてが、喉元から迫り上がってくる。
「そうか!ではハッキリ言おう!コイツらがどうなろうが死ぬほどどうでもいい!いい歳した大人が自分で決めたことだ!放っておけ!」
「それァねぇだろ。せっかくここまで人助けに来たんだぜ?見捨てちまったら寝覚めが悪ィじゃねえか」
ルカはカタリナを指した。
「勘違いするなよ、俺は人助けに来たんじゃない!自分の責任を果たすため、そして何より、コイツを助けに来たんだ!俺に挑むに相応しいと認めた女をな!」
信者達を指す。
「見てみろ。この自殺願望を拗らせた集団を救ってどうする?コイツらは天国がどうのと下らん与太話を本気で信じている!それを短時間で説き伏せて、生きる意思を与えられると思うか!仮に説得できたとして、全員を守りながらここから脱出し、その後も聖教会の手から守れると思うか!」
そして、鼻と鼻がくっつきそうなほどクロードに顔を近づける。
「不可能だ!端的に言って、コイツらは命懸けで救うに値しない!生きる意思もないお荷物を庇って死ぬのか?みすみす死ぬためにここまで来たのか?全員救おうとして全員死ぬより、三人で生き延びる方が良いに決まっている!」
「……」
「答えろ!今日救っても、明日には自殺するような連中のために命を賭けてどうする!」
「……俺ァ聖教会にずいぶん苦しめられてきた。連中のやり口は知ってる。ここで見捨てるのが第一歩だ。仕方ねぇ、責任はねぇとか繰り返してるとよォ、いつの間にか連中と同じになっちまう。見て見ぬふりをふりを繰り返したら、そのうち奴らのやり口を酷ェことだと思えなくなる。自分も目を瞑ってきたから、今さら正義ヅラすんのが恥ずかしいってなァ」
「示唆に富んだ訓示をどうも。心から感心した。だがな、時間は刻一刻と過ぎている!どちらかが折れなければ、共倒れになることが分からないのか!」
「ならテメェが折れろや、お貴族様よォ」
「このゴミカス……」
ルカが怒鳴りつけようとした時、その声は響いた。
「ふぎゃあ」
小さな声だったが、それを聞いたルカの表情は目まぐるしく揺れ動いた。
振り向いたルカの目に映ったのは、とある女性信者が抱える赤ん坊だった。
それを視界に捉えた瞬間、ルカの目の奥に無数の感情が揺れ動いた。
驚愕、侮蔑、嫌悪、失意、諦念、憤怒、焦燥、憐憫、そして深い哀しみ。
ルカはクロードに向き直り、結論を告げた。
「お前が正しい。一人残らず、全員救うぞ」




