言い訳か?
準決勝直前。ルカは会場の端で対戦相手が出てくるのを待っていた。名はユリウス。アイリーニを負かした男である。
(待て待て。おかしいだろう、どう考えても情報を聞いた方が良かったに決まっている。カイルと戦った時もそうだが、感情に振り回されている。これで負けたらどうする?完全なるピエロではないか)
必要のないこだわりは、いつか致命的な破綻を生む。ルカは決して無敵ではない。誰しもそうだが、どんな思いを持っていようとも愚策を取れば当然に負けるのである。
(三回強敵を倒して調子に乗ったのか?お姫様に剣の鞘を預けて騎士道精神を気取ったつもりか?アイラはそんなタマではない。あの目の奥には、誠実さと同時に僅かな、しかし確かに打算があった。俺はそれに気づいていたはず)
ルカは下を向いた。そもそも、アイリーニが負けたからという理由でこの勝負に入れ込んでどうするのだ。誰が相手だろうと勝たねばならないことに変わりはない。理屈が理屈として成立していない。
(これは、おそらく慢心だ。そして慢心は命取りになる。俺はそれを知っているはず。だが、どうしてか分からないが、自分にとって何か特別な存在を前にすると平静ではいられない。こんなことはこれまでの人生でなかった)
果たしてそうだろうか。受験では、能力を手にし調子に乗ったせいで第一志望に落ちた。つまり自分の合理性などというものは、それほどあてになるものではないのかもしれない。そもそも、王立学園を第一志望にしたことすら大した意味はなかった。ただ国一番の名門という理由だけで、家族からの評価が欲しかっただけなのだ。
(いや、今それは考えなくていい。自分の合理性があてにならないことも、生き方に軸がないせいで状況に振り回されていることも、すべて今すぐ解決できる問題ではない。それに、情報を聞かなかったことが、今の俺にとってはかえって有利に働いている。相手の情報を知らないことで、俺は警戒している。ある程度の冷静さを取り戻している。今はただ、勝つことだけを見据えておけ)
既知は偏見を生み、油断を生む。未知の敵という脅威。その緊張感が、試合開始直前の今になって、自分を平静に引き戻したのだ。慢心を自覚させたのだ。
ルカは自身の状態を客観視し始めていた。
――――――
アイリーニは、試合開始直前の闘技場を見つめていた。敗北の衝撃でつい感情的になってしまったが、ルカを焚き付けるべきではなかった。自分がすべきことだったことは、情報を聞かないという感情的な判断を諌めることだったのだ。
自分が打算で動く人間だという自覚はある。ルカには伯爵家の人間という利用価値がある。人格面でも、混じりっけなしの善人だと評価しているわけでもない。
泣いている自分をルカが発見した時、未だ消えぬ敗北の衝撃と同時に、同情を利用して伯爵家の人間に接近しようという冷徹な計算が頭の中で生まれた。
(わたくし、最低ですわ。もしこの戦いで彼が負けてしまったら、どうやって償えばよいのでしょう)
噂は聞いていた。ルカが、今回の大会に自身の将来を賭けていると。卒業後貴族としての地位だけを残し、領地や財に関するすべての権利を失いかねない賭けだ。バルトリーニ家には口の軽い人間がいるらしい。
ルカ自身は気づいていないようだが、既に貴族の間では周知の事実。
もし優勝できなければ、その時、権力も財も何ら持ちあわせない名ばかりの貴族となったルカを保護する者は誰もいない。将来的にメリットをもたらす関係を築けない以上、貴族の派閥に入ることもできないだろう。
聖教会の神官と、試合前にトラブルを起こしたとも聞いた。握手を払いのけたと。ルカが思う以上に、周囲の印象も状況も悪いのだ。
最善手は見えていた。事前に情報を知らせ、勝たせる。優勝したルカにすり寄って地位を盤石にし、妹を含む家族の生活安定というメリットを得る。伯爵家の力で辺境の領地への投資を増やしてもらい、獣害対策などにも力を入れる。
だが、事前に知る必要はないと言い切るルカに心を動かされ、何も言えなかった。
(まるで物語の王子様のような、ロマンチックな宣言に舞い上がってしまったの?)
観客席で応援するアイリーニの心は、揺れていた。
――――――
試合開始が近づき、ルカは前方に注目した。間もなく対戦相手も出てくるだろう。だが、いくら前方を注視しようとも、相手の気配は掴めない。
(後ろ!?)
ルカは勢いよく振り返った。果たして、そこには宙に浮かぶ男がいた。対戦相手のユリウスである。
「あれ?もしかして入場口間違えた?まいいか、とりあえず間に合ったし」
気怠げにあくびをするユリウスを見て、ルカは戦慄した。
(これまでの相手とは格が違う!何という強大な魔力!明らかに異質!)
戦闘を前にして放出される覇気だけでルカは圧されていた。
ユリウスがルカの横を通り過ぎ、会場内に入ろうとしたその時、肩と肩がぶつかった。
「ああ、ごめんごめん」
「まぁ良いだろう。だが待て。割り当てられた入り口から入場しろ。ルール通りにな」
「ええー面倒くさいなぁ。ハァ、まぁ良いよ」
ユリウスが去っていくのをルカは胡乱げな目で見送った。何とも気の抜けた相手だ。
「細かいこと気にするなぁ、どうせすぐ負けるのに」
しかし、ボソリと呟いた声をルカは聞き逃さなかった。
「待て。すぐ負けるとは何だ貴様」
「あー、聞こえちゃった?ごめんごめん。でも本当のことでしょ。特別な修練とか能力の工夫とか、みんな色々頑張ってるみたいだけど、結局誰も届かなかったよ。……僕を前にして、何か感じない?力の差とか」
「ああ、いかにも弱そうな気配を感じるな。近づけば近づくほど、口先だけの雑魚の匂いが強くなる」
ユリウスはルカににじり寄った。
「見え見えの虚勢だね。他の試合を見て知ってるんだ、君は試合で使えるような能力を持ってないってね。剣一本で僕に勝つつもりかな?強がるのはやめなよ」
ユリウスは囁いた。
「生まれ持った才能で、勝敗ははじめから決まってるんだよ」
ルカは一歩踏み出した。
「虚勢を張っているのはお前の方だろう?才能だ何だと、まるで試合前から負けた時の言い訳をしているようだ。仮に自分が負けたとして、それは生まれ持った才能のせいなのですとな」
「何だって?」
ユリウスの目が怒気を帯びた。
「お前が今、一番欲している言葉をくれてやる。お前はこれから惨敗を喫するが、それはすべて才能や環境のせいだ。お前が斜に構えて相手を舐め腐る間抜けだからでも、修練を怠る意志薄弱な人間だからでもない。どうだ?これで安心して負けられるな」
「君、全然話通じないね」
ユリウスは背を向けた。ルカも背を向けた。百の言葉より、一度の勝負の方が雄弁である。合意可能領域皆無の話し合いに意味はない。
(アイラがこんな男に負けたというのか。なぜかは分からんが許せん)
楽勝だと侮られているのは間違いない。あくび混じりで登場し、入り口さえも間違える。直接挑戦状を叩きつけられるのは、趣向としては悪くない。だが、こういう形で神経を逆撫でされるのは単に不快なだけである。それらしい理屈で言い返したところで、気分が良くなるわけでもない。
この苛立ちは、勝つことでしか解消されない。
(超越者を気取っていられるのも今の内だ。薄汚れた地面に叩き落としてくれるわ!)
ふよふよと飛んでいくユリウスの気配を背中に感じながら、ルカは闘志の炎を燃やした。




