蠢く影
試合終了後、構えを解いたルカは、ふと左手を見た。そこには、キラキラと輝く魔力の残滓があった。
(結晶が身体に触れていた!?いつから?待て、奴は俺の左手を見た直後降伏を宣言した。握手の時もそうだが、試合に勝つことではなく、最初から結晶を身体に接触させることが目的だったのか)
だが、何のために。ルカの思考は回転する。氷を削って飛ばしたが、その時細かな破片が接触していた可能性がある。ペトラは笑みを浮かべて退場した。
(この氷のような物質の機能が分からないことには、奴が何をしたのか分からない。冷却や物理攻撃以外の機能があることは間違いないが……)
既に観衆の興味は次の試合に向いているようだ。あまり長々と留まれば不審に思われる。ルカは舌打ちして闘技場に背を向けた。次はいよいよ準決勝である。
――――――
ルカとの対戦を終えたのはもう数時間前のことである。昼過ぎ、ペトラは王都の教会本部を訪れていた。扉の前に立つと、中から怒号が漏れ聞こえた。
「和国植民地化が失敗しただと!ふざけるな、現地啓導官は何をやっている!聖教会の布教がこれほど上手くいかないのは初のことだぞ!」
「報告によりますと、連中は踏み絵なるものを開発し、我々の浸透政策の協力者を特定しているようです」
「何だそれは!」
「神の似姿を模した絵を用意して民衆にそれを踏むよう命じ、踏めない者を外国に協力する工作員として捕らえていると。信者どもを通じて進めていた奴隷貿易も数万人で頭打ちとなり、体制崩壊のため煽動した一揆も失敗したと……」
「野蛮な島猿どもが!ええい、ならば麻薬だ!大量のヤクを売りつけて国を内側から腐らせ、連中が規制を開始したらそれを名目に戦争を仕掛ける手を使えばいいだろうが!」
「阿片を用いた浸透も……貿易は今後和国が指定した離れ島を介してのみ行うとのことでして、その、監視を掻い潜るのは容易ではないかと。また、軍事力もそれなりのもので、いえもちろん神の威光ある我が国には到底及びませんが、なにぶん島国を攻めるというのはコストも嵩みますし」
「なら、まだ和国内に残っている信者達を扇動しろ!」
「その、踏み絵の効果で炙り出された信者達は苛烈な拷問を受けて続々と改宗しているため、十分な数が確保できないようでして」
「改宗しなかった骨のある信者はどうなった!」
「全員、惨たらしく処刑されたと……」
「武士だか侍だか知らんが、蛮族ふぜいが白い肌を持ち唯一の神を信仰する純人類による啓導を拒むとは!」
王国における聖教会トップ、大司教は機嫌が悪いようだ。啓導師は外国に出向いて布教しつつ、現地で協力者を育て奴隷貿易や植民地支配を推進する役割を担うが、どうやら閉鎖的な島国に苦戦を強いられているらしい。
(気が重い……)
「先に入っても良いかね?」
背後から聞こえた声に、ノックをしようとした体勢のまま、ペトラは固まった。しかし、瞬時に振り向いて一歩退き、頭を下げる。
「枢機卿閣下、この度は……」
「ああ、そういうの良いから。入るよ。君も来なさい」
「失礼いたします」
ペトラはドアを開き、枢機卿の後に続いて入室した。
「やぁ。急に来ちゃって悪いね」
「か、閣下、滅相もないことでございます」
中にいた大司教は慌てて椅子から立ち上がり頭を下げた。机の前で先ほどまで大司教に報告をしていた神官は土下座せんばかりの勢いで跪いた。
「彼女は部屋の前にいたから私が入室を許可した。いいよね?」
ペトラは大司教に深く頭を下げた。
「もちろんでございます」
当然の如く大司教の椅子に腰かけた枢機卿は、ペトラに手で促した。
「じゃ君、先に要件を話しなさい」
「いえそれは……」
「先に話せ」
ペトラは姿勢を正した。
「はっ!枢機卿閣下、大司教猊下。この度は拝謁の栄誉を賜り恐悦至極に存じます!ルカ・バルトリーニの件につきまして、ご報告にあがりました。こちらが報告書でございます」
「うんうん」
枢機卿はニコニコと微笑みながら、恭しく差し出された報告書を受け取った。
ペトラは内心冷や汗を流した。
(事前に提出しておいた報告書は猊下の机にあるのでしょうが、まさか閣下に探させるわけにも参りません。念のためもう一部持ってきて本当に良かった)
「へぇ。例の博物館での遺物奪取を阻止した少年だね。あれはたまげたなぁ。ま、本当に驚いたのは白昼堂々盗みに入るような馬鹿を使った君の手腕に、だけどねぇ」
大司教はダラダラと冷や汗を垂らした。
「申し訳ございません。私の責任でございます。既に担当者は首にいたしました。後任には、今後二度とこのようなことがないよう指導を徹底しております」
「うん。それは当然なんだけど、今後も適当なお仕事するなら君も星にしちゃうよ?」
「……肝に銘じます」
「さて、なかなか面白いことが書いてあるねぇ。制御不能の怪物を使役しているとか、念動系能力とか。ふむふむ、教会の目的はまったく知らないが、偶然計画を阻止したと。ペトラ君、これ全部今日午前中に調べ上げたの?怪物の正体まで暴いてるじゃないか。優秀だねぇ。それとも……」
枢機卿は大司教に目をやった。
「こんな小娘がすぐ調べられることに時間をかけた、君が無能なだけかな?」
「……」
大司教は押し黙り、ひたすら頭を下げた。ペトラの胃はキリキリと締め付けられた。
「偶然とはいえ今後も何かと障害になりそうだし、もう排除しよっか。この……ルカ君すぐ殺せないの?あーでも伯爵家か。伯爵は面倒だねぇ。でも次男一人くらいなら何とかなるでしょ。また機を見て異端審問でも何でもこじつけて斬首でよろしく。怪物が面倒なら上級異端審問官を総動員してもいいからさ」
「はっ!」
大司教は頭を下げた。
「話は変わるけど、逃げ出した子羊が王都で堂々と学生やってることが発覚したって聞いたよ。これどういうこと?」
「偽装に長けた能力を持っているようで、捕捉に時間がかかりました。今後の対応を現在協議しており……」
「いやだからさぁ、無駄な会議とかいいから逃げられる前にとりあえず攫いなよ。逃したら終わりだよ?うん。始末するにせよ何かしら有効活用するにせよ、捕まえてから考えな?」
「はっ!人目のないタイミングを見計らい……」
「三日以内に捕えろ。できなければ君も首ね」
「必ずや!」
大司教は叫んだ。
「お、元気だねぇ。熱意あるのは好きだよ、結果が伴えばね。ああ、それとペトラ君」
「はっ!」
「他に何か報告は?」
「ございません!進捗ありましたらご報告に伺いたく存じます」
枢機卿は大司教を指差した。
「うん、でも責任者は彼だから勝手に動いたりしないでね。用が済んだなら失せな」
「はっ!失礼いたします!」
ペトラは深く頭を下げた。扉の前で再度振り返って頭を下げ素早く外に出る。
しばらく廊下を歩いたペトラは、周囲に人影がないことを確認してから膝をついた。
(い、息が……)
しばらくの間、ペトラはまるで全力疾走の後のように、ヒューヒューと荒い息を吐いていた。




