激情
ルカの驚きはすぐに怒りに変わり、この乱暴狼藉を実行した下手人に向けられた。が、胸の内で高まった熱は、振り向いた直後、頬を掠った矢が齎した鋭い痛みと、死の恐怖によってすぐに霧散した。
「全員動くな」
手に短弓やククリナイフを装備したスーツ姿の男から放たれた一言が、悲鳴を上げたりあらぬ方向に走り出そうとする観覧客の足を床に縫い止めた。
(よくもこの俺の使用人を!いや待て、まだ息がある。狙いは何だ、もしも展示品が…)
ここは王都である。精鋭揃いの憲兵が到着すれば、たった五人の賊など問題なく制圧できる。常識的に考えれば、落ち着いて助けを待つのが正解だった。しかしルカは、果たして憲兵の到着まで自分達が無事でいられるかを図りかねていた。
「おい、おいお前!」
「ん?俺か?」
取り止めもなく湧き出る思考を中断されたルカは、不機嫌そうに返事をした。
「立場が分かってねぇのか、お貴族サマよ。来い。大人しく人質になるってんなら命までは取らねぇよ」
「何だと?」
他の観覧客や子供たちの視線は、このやり取りに集中していた。胸の内で激しく渦巻く苛立ちと裏腹に、ルカの足はすくみ、動かない。頭の中を何度も兄に敗北し、泥に塗れる自分の姿が過ぎる。
(なぜだ?恐れているのか?この俺が?貴族として、救ってやるべき民衆の前で何と無様な!)
しかし、黒ずくめの男が床に置かれた荷物を指差して放った次の一言を受けて、恐怖は欠片も残さず消え去った。
「だから、荷物持ち兼人質としてなら生かしておいても良いっつってんだよ。さっさとそのうすらボケた頭を下げて、命乞いでも何でもしてみろや!」
ルカの全身が小刻みに震え出した。脳裏にチラつくのは、何をしても届かぬ兄の背中。そして、周囲から向けられる、蔑みのこめられた視線。
義憤ではない。恐怖からくるやけっぱちの暴走でもない。ただ、全身を貫く感情だけが身を焦がした。
「剣と…本を除いて…」
「何だって?」
「これまでの人生で、食器より重い物を持ったことのないこの俺に!言うに事欠いて、その薄汚い荷物を運べだと!そんな下民がするような下賎な労働をしろと言うのか!嫌だね!死んでも働いてやるものか!」
「な、何…?何だ急に…」
「お前!この俺に頭を下げろと言うのか!ならば死ね!」
叫ぶと同時に、ルカの右手、その薬指に嵌められた指輪が輝き、鈍色のアーミングソードが顕われた。
白刃一閃。二人の敵が瞬く間に血を噴き出して地に沈む。残り三人。
さらに踏み込む。悪足掻きをする敵が放つ矢が、周囲にへたり込んだ観覧客にあたる前に叩き落とす。子どもの目前に迫った投げナイフも、すんでのところで防ぎ止める。手持ちの武器を使い尽くた敵二人を容赦なく切り捨てる。
最後に残されたリーダー格の男は、短弓とククリナイフを手に佇んでいた。ルカという目の前の脅威を前にして、一時の困惑を振り払い、冷静に間合いを測っているのだ。
「そ、そこそこやるじゃないか」
「お前らが弱いだけだ」
男はルカの剣に目をやった。
「良い武器だ。迷宮産の遺物か」
「そうだ。使い手はもとより、武器でも劣るお前に勝ち目はない」
「そんな武器、自分で手に入れられるわけがねぇ。貴族のボンボンが粋がりやがって」
「ハッハッハッ、勝てぬと悟り武器のせいにするとは笑わせる!負け犬の遠吠えは聞き飽きた。見るが良い、これが親の財力の力!」
ルカは剣を振り下ろし、男はナイフで受け止めた。しかし、武器の質がまったく違う。男のナイフはガラス細工の如く砕け散り、ルカの剣がスイカ割りよろしくその頭部を叩き割った。
しばらくの沈黙の後、ホールは拍手喝采で沸いた。恐怖で引き攣っていた口からもやがて感謝と安堵の声が漏れ出した。
「ありがとう、貴族のお兄さん」
小さな子どもが駆け寄り、ルカの服の裾をそっと握った。
「チッ、無礼な!気安く触るんじゃない!」
ルカはそれを払い除けると、ホールを出て廊下に出て周りを見渡した。直後、回れ右をしてホールに戻り、扉を閉めて鍵をかける。他の観覧客にも、直ちにすべての扉を閉鎖するように指示を出す。
(何ということだ。まさかここまで状況が悪化しているとは。もはや俺一人でどうこうできる問題ではない。早く憲兵が来てくれるのを祈るしかない)
扉の外には、壊滅した警備兵が折り重なるように倒れていた。その奥から、恐らく他のすべての区画を制圧した直後と見られる集団が向かってきていたのである。数はザッと30人以上。しかも、先ほど倒したリーダー格よりも遥かに武器もガタイも良い。
(冷静に考えれば、たった五人でここに攻め入るわけがない。読みが甘かったか。だがどうする?どんな状況でも、俺なら何とかできるはずだ…しなければならないんだ)
ハンマーでの打撃か単純なタックルか定かではないが、外からの衝撃により扉は撓み始めた。ホールは博物館の中央にあり、完全に包囲された状況では逃げ場がない。打って出ようにも、圧倒的多数を誇る敵に対して、正面からの切った張ったは現実的ではない。差し迫る危機を前にして、ルカは瞠目した。




