熊狩り
ルカはしばし黙ってぼうっとしていた。
「おい、おーい。大丈夫か?」
唐突に肩を掴まれたルカは、ビクッと震えた。恐る恐る振り返ると、そこにはカイルが心配そうな顔で立っていた。
ルカの目が大きく広がり、そして、瞬時に鋭く細められた。
「お前か。何の用だ」
「すごい叫び声が聞こえたからね。心配になって見に来たんだ」
聞かれていたのか。ルカの全身が震えた。頬に赤みがさす。
「要するに、単なる野次馬根性というわけか」
「相変わらず手厳しいな。でも照れ隠しだろう?」
「何?」
「見ていたぞ、君が修練に励む様を。声をかけると嫌がるかと思って一度は通り過ぎたが、君も努力家なんだな」
カイルは挑戦的な笑みを浮かべた。
「やはり君は、僕が倒すべきライバルだ」
「そうか。では勝手に熱くなっていろ」
ルカはカイルに背を向けた。素振りは自分の調子を確かめるための習慣に過ぎない。努力などと呼ぶべき行為ではない。それが分からない愚物に、興味はないのである。
カイルは追わなかった。
(大会が楽しみだよ。生物を直接操作できない君にとって、大量の鼠を使役する僕は天敵に近い。君に当たるまで勝ち上がることさえできれば、勝機はある)
帰り道、ルカは朝練に励む学生を、幾人も目にした。その中には、入試の際に見かけた赤い男と槍の女もいた。ルカは肩で風を切って歩いた。
(奴に直接力を借りる必要などない。能力があれば、俺は必ず優勝できる。こんな連中など、相手にならん)
そして、その日の午後。ルカは憮然とした表情で森の前に立っていた。生徒達は午前中、講義や単位、資格取得や進路支援などの制度、及び学内イベントの案内を受けた後、速やかに帰寮している。居残り組はこの場に集められた10人のみである。内4人の女子は、既に固まってキャッキャと盛り上がっている。アイリーニ、入試で見かけた槍使い、修道士、そして眼鏡をかけた地味な剣士である。
レヴィアはニヤニヤと笑いながら説明を始めた。
「さて、入寮も済み、本日から本格的に学園生活が始まるわけだが」
ルカは一人、堂々と立ち尽くしていた。テオやカイルとも目が合ったが、仲良く話し合うような関係でもない。要するにどの集団にも入れずあぶれているのである。
「えー、コホン。私からの配慮として、諸君ら模範生と入試の成績優秀者での交流会を開くことになった。この森の地主は、近年害獣問題に悩まされている。そこで、諸君らには交流を兼ねて討伐をお願いしたい」
(何が交流だ。学生を使って、害獣駆除という厄介な依頼を片付けようという腹だろう。他の学生はとっくに帰宅しているというのに)
「安全のため、2〜3人の班を作り作業に移るように。猪とか熊も出るみたいだから気をつけてねー」
レヴィアは熊のぬいぐるみを持ち上げた。
「熊さんは雑食で、人の味を覚えると、人肉を求めて人里まで降りてくることがあるんだ。この辺でも、頭潰されて肉饅頭にされちゃった人もいるから、気をつけてねぇ」
そして、ひらひらと手を振って歩き去った。
「ま、君達は能力があるから大丈夫とは思うけど。目標討伐数は配った紙に書いてあるから。それじゃ、頑張ってねー」
「……」
場にしばしの沈黙が満ちたが、徐々に生徒達は動き出した。
女子達は2人ずつペアを組み、ひと足先に森に入っていった。まとまりのない男子達も、少しずつ組み始める。
まずカイルとテオが組み、気だるげに立っていた模範生の生徒と、金属製のネックレスを付けた意地の悪そうな男が組んだ。残ったのは入試で出会った赤いオーラを纏った男と、ルカである。
(クッ、案の定余り物になってしまった!だから適当にペアを組めとかいう教師は嫌いなんだ!)
ルカは和やかに話しかけた。
「では、組もうか」
「いらねぇ」
「は?」
「俺は1人でいい。群れる気はねぇ」
「いやしかし、集団で行動するのが…」
「ママが一緒じゃないと散歩もできねぇのか?」
「何だと?」
「俺たち平民を見下してる雑魚貴族がいると聞いたが、お前のことだろ?」
ルカは眉毛をピクピクと動かしたが、ひとまず息を吐き出し、肩の力を抜いた。
「好き嫌いの話はしていない。安全のために…」
「怖いなら他の奴に声をかけろ。俺より弱ぇ上に、性格も悪い奴と組め?冗談は顔だけにしとけよ」
ルカは剣の柄に手をかけ、そしてすぐに離した。腹が立つのはそうだが、いちいち剣を抜くほどでもない。
「俺は顔が良い。父上と母上の血を引いているからな」
1人でも狩りくらいできる。単独行動を決心したルカは、残った全員に背を向け、森に入っていった。
舗装された道を外れ数十分も歩くと、人工物をまったく見かけなくなった。植物の柔らかな匂いが、ルカのささくれだった心を溶かす。のどかな空間であった。
(完全に人の気配が消えたな。だが問題ない。獣共よ、この俺様に震え上がるが良い。クックック)
ルカがしばらく歩くと、標的である熊に出会した。3mはありそうな体躯に、鋭い爪、天然の防具である毛皮に身を包んだ野生の化身である。
(運が良い。お前を狩るのはこの俺だ!)
ルカは能力を発動すべく、近くに転がっていた岩に掌を向けた。しかし何も起こらなかった。
「何ィ!?」
その声に反応したか、或いはルカの狼狽を読み取ったか、熊はのそのそと動き出した。
「な、何だ?手を貸せ!能力が使えないぞ」
ルカはヒソヒソと囁きかけたが、返事はない。
(いや待て、使徒討伐を断ろうとした時、奴は何と言った?)
『でしたら、お力添えは致しかねます。今後、使徒討伐にご協力いただけるまでは、ご自分の力で……』
あれは使徒討伐に応じるまで、大会のみならず、あらゆる場面で手を貸さないという意味だったのか。ルカは歯噛みした。同時に戦慄した。
能力は使えない。仲間もいない。森林は相手のホームグラウンド。頼りになるのは一振りの剣のみ。
(だが俺が死にそうになれば、奴は俺を助けざるを得な……)
楽観的な思考を突き刺したのは、腕を切り落とされた記憶であった。
(いや、どの程度の危機で奴が介入するか分からん。それまでに、腕の1本や2本は持っていかれるかもしれない)
たとえ死なずとも、重傷を負えば大会出場はご破算である。
すべての思考が、一つの結論に収束していく。
(自力でやるしかない、というわけか)
ルカの背筋を、嫌な汗がじっとりと濡らした。




