匹夫
春麗らかな陽光が差し込むアウレリア分校講堂内にて、入学式はつつがなく進行していた。
壇上では、校長が有難いお話を垂れ流している。ルカは、他の新入生同様木製の椅子に座って、思索に耽り、退屈な時間が過ぎ去るのを待っていた。
他の新入生が将来への不安と期待の色を浮かべる中、ルカの表情には悔しさと激怒の色だけが浮かんでいた。軋むほど強く噛み締められた歯。ギリギリと握りしめた拳。いずれも晴れの舞台にはまったく似つかわしくない有様である。
(この俺が分校なぞに。どうしてもっと死に物狂いで手を尽くさなかったのか!試験前に、もっとよく考えていれば。俺は、いつもいつも、失敗した後になってそれが取り返しのつかないことだったと気づく!他の誰かに何を言われるよりも、自分への失望が、自分の中から湧き出る劣等感が、最も俺を苦しめる)
王立学園の入試に落ちた時は、現実感がなかった。分校への入学準備を進めている間も、ただ日々に忙殺されるばかりであった。だが、もう逃げられない。ルカは、今まさに、受け入れ難い現実を突きつけられていた。
ルカには、完全に失敗するまで物事に対する当事者意識が足りない。努力を軽視する性質のせいもあるが、そもそも失敗の辛さを事前に想像する力に欠けるので、それを避けるための努力ができないのである。
(また、こんな思いを繰り返して、人生を過ごしていくのか!特に成し遂げたいこともなく、ただこんなのは嫌だと思いながら。いつも漠然とした不満だけが胸の内にある。どうして)
「…立!きりーつ!」
周囲から集中する視線も、生徒会長がかける号令も、俯いたルカの意識には届かない。
列の後方からその様子を見ていたアイリーニはやきもきしていた。
(まったく何をしてますの?もう見ていられませんわ)
指向性を持たせ、指定した相手だけに届くように、声に強制の魔力を込めて命令を下す。
「立て」
その一声は、ようやくルカの耳に届いた。命令を受けて身体が勝手に動き始める。
(!?マズい!式典中に急に立ち上がるなど不審じゃないか!こんな形で目立ちたくない!)
ルカは半ば本能で強制を嫌ったが、必死の抵抗も虚しく結局直立する羽目になった。地の底から響くような呻き声を上げながら立ち上がったのである。顔を上げた時、はたと気づく。とっくに全員が起立していることに。会場内で自分が浮いているということに。
ルカはわざとらしい咳払いをした後、胸を張った。既に十分目立っていることは自覚していたが、過度に恥ずかしがるとかえって悪目立ちすると考えたのである。ルカの奇行を受けて、会場内には微妙な空気が満ちた。
(よ、ようやく立った…)
(なんであんな堂々としてられるんだろ)
(えっ、怖。立つだけなのに、あんな呻く必要ある?)
この瞬間、ルカの学園生活における第一印象が決まったのである。いつも通りの空回り、いつも通りの大失敗である。
「礼!着席!…続きまして、学年主任からのお言葉を……」
「助かった。ありがとう、アイリーニ」
ルカは囁くように感謝の言葉を口にした。それは、とてつもなく鋭敏な聴覚を持つ能力者を除いて、誰も聞き取れないほどの小声であった。
アイリーニもパクパクと口を動かした。ルカの耳元で声が響く。
「同盟を組んだ仲なのですから当然ですわ。それより、わたくしのパートナーとして、もっとしっかりなさいませ」
「ああ…悪かった」
「そ、それと、アイラと呼んでくださいまし」
「ん?ああ。分かった」
堂々巡りの苦悩から脱し、初めて周囲を見渡す余裕を持ったルカはふと気づいた。制服に身を包んだ陰気な男が座っていることに。
(なぜあの鼠使いがこの場に?そうか、繰り上げ合格か。試験を突破した人間と、落ちたはずの人間が、結局同じ場に座るとは。あの苦労は何だったのか)
ルカは再び下を向いた。
――――――
入学式が終わり、廊下に出ると、そこはまだ制服を着慣れていない新入生で溢れていた。ルカも、人の流れに乗り、指定された教室へ向かっていた。
「おい、待てよ」
「……」
「お前だ、お前!」
「汚い手でこの俺に触れるんじゃない!」
肩に手を置かれた時、初めてルカは呼びかけが自分に向けられたものだと気づいた。勢いよく手を払いのけて振り向くと、そこには見知った男がいた。
「覚えているか、俺を」
「お前は…鼠男か」
「違う!鼠男なんて呼ぶんじゃない!僕にはカイルという名前がある!」
「そうか、カイル。良い名前だな、感心した。じゃ自己紹介も済んだことだしこの辺で」
「まだ用は済んでないぞ!」
ルカはピクリと眉を動かした。ただでさえ先ほど赤っ恥をかいて今すぐ帰りたい気分だというのに、これ以上の厄介ごとはごめん被りたい。既に周りの注目を浴びている。ここは速やかに事を収めるのが、上策。
「僕は君に負けてない!女性の陰に隠れて良いところを掠め取る卑劣漢め!この僕と正々堂々、決闘をしようじゃないか!」
(この俺が卑劣漢?許し難い侮辱。公衆の面前でなんという口汚い暴言を吐くのだこのゴミカスがァーッ!)
ルカは激怒した。無謬の自分に対し、謂れなき中傷をしたこの男を、容赦なく叩きのめしてくれようと決意した。
(貴族家の人間が密集したこの場で、小汚い鼠の軍団など呼び出せはしまい。つまり相手は能力を使えないということ。奴に頼るまでもない。今すぐボコボコのボコにしてくれるわ!)
ニタリと醜悪な笑みを浮かべ、右手を振り上げようとした時、ルカはその声を聞いた。
「見て見て、なんか面白そう」
「あの人、なんかすごい負け惜しみ言ってる」
「情けねぇ」
ルカは徐に手を下ろした。姿が重なる。王立学園の入試に落ち、試験官に抗議した挙句、衆人環視の中、間違いなく君は不合格だと言い渡された自分。
それはまるで、敗北を受け入れられず、変えられないことに対する苛立ちを、周りから嘲笑を浴びるような愚行でもって発散してきた自分の姿を見ているようだった。
(不快だ…)
クスクス、ヒソヒソと広がるざわめきの中で、ルカの心を揺らしていた苛立ちは、水面が凪いでいくように消え去っていった。
ルカはカイルの胸ぐらを掴み、耳元で囁いた。
「やめろ。場を選べ。どうして自ら見せ物になろうとする。お前は今、負け惜しみを叫ぶ匹夫と見られているのだぞ」
カイルは目を瞬いた。
「どうして、そんな事を言うんだ?き、君は…僕を心配しているのか?」
「いや違う!先ほど、この俺に向かって卑劣漢がどうのと宣ったことを許す気はない。いずれ酷い目に合わせてやるから覚えていろ」
ルカは周囲の野次馬をギロリと睨みつけた。反応は様々だった。目を逸らして去っていく者。薄ら笑いを浮かべる者。だが苛立ちは伝わった。それで十分。やり取りが聞き取れず退屈した野次馬は、やがて散っていった。
2人きりになったところで、ルカはカイルの目を覗き込んだ。憎々しげに細められた目が、カイルの全身を射すくめた。
「お前は俺が卑劣だと言ったな?だがお前も、もし自分が優位に立てる状況ならばそれを利用したのではないか?あの時、俺の方が弱かったらどうした?お前は俺にネズミをけしかけたな。俺が数の力を頼るのは卑怯だからやめてくれと言ったら一対一で俺と戦ったのか?」
「それは…」
「答えられない。それが答えだ!お互い、勝てる状況なら勝ちを拾うのは当然だ。あの時、お前を殴った俺が悪いのか!?いいや、殴られるお前が悪いのだァーッ!お前の言う正々堂々とは、弱い私に配慮して下さいという甘ったれの言い訳に過ぎん!」
ルカが胸ぐらから手を離すと、カイルはへなへなと地面に崩れ落ちた。座り込んだカイルは、もはや何も言おうとはしなかった。
「決闘だと?笑わせるな!お前はそうして、一生俺を見上げているのがお似合いよ」
ルカは踵を返した。冷えた石の上で、カイルはボロボロと涙を流していたが、ルカが顧みることはなかった。




