#091 「中央部からの呼び出し」
特別クラスの教室は、授業開始前の静けさに包まれていた。教師が端末を操作する乾いたタップ音だけが、一定の間隔で響いている。窓の外では運動場から笛の音が聞こえ、廊下には登校してきた生徒たちの足音と笑い声が流れていた。
だが、教室の扉が閉まると、そのざわめきは少し遠のく。ここだけが、学園の日常から半歩ずれた空間のようだった。
六人も、それぞれ席につきながら、どこか落ち着かない空気を抱えていた。戻ってきたばかりの学園。けれど、以前と同じ“普通”には、もう完全には戻れない。
──『……誰か来る』
耳の奥で、ともりの声が低く囁いた。その直後。コンコン、と静かなノック音が響く。
教室の扉が開き、学園事務局のスタッフと、見慣れない背広姿の男が入ってきた。胸元のバッジに刻まれた紋章──中央部の公式シンボルが、照明を受けて鈍く光っている。空気が、わずかに張った。
「特別クラスの皆さん」
男は形式通り一礼し、淡々と告げる。
「中央部会議室まで、ご同行願います」
丁寧な言葉だった。けれど、その口調には最初から断られる想定が含まれていない。
「いきなりだな」
隼人が小さく眉をひそめた。
「授業、これからなんだけど……」
美弥が教師の方を見る。だが担任教師は、短く視線を伏せるだけだった。口を挟む気配はない。それだけで、この呼び出しが学園の裁量外で動いていることが伝わってくる。
要はすでに立ち上がっていた。仲間たちへ軽く目配せする。
「行こう。理由は向こうで聞けばいい」
六人は席を立ち、静かな教室を後にした。
廊下へ出ると、AIホロが淡く光を結び、無言で進行方向を示す。歩き始めるにつれ、生徒たちの姿は少しずつ減っていった。先ほどまで聞こえていたざわめきも、まるで遠い世界の音みたいに薄れていく。
校舎の外では、小型の電動バスが待機していた。艶のない黒い車体が夕陽を鈍く反射している。乗り込むと同時に扉が閉まり、窓ガラスへ自動でスモーク処理がかかった。外の景色がゆっくりと暗くなる。
「……歓迎ムードって感じじゃないね」
想太が低く言った。
「うん」
要が短く応じる。
「むしろ、これからが本題だ」
静かなモーター音とともに、バスは滑るように走り出した。学園を離れ、夕暮れの街並みが窓の向こうを流れていく。商店街のネオン。帰宅する人波。高架を走る交通ラインの青白い光。
やがて、その景色の奥に重厚な建物が現れた。中央部庁舎。金属光沢の外壁と、突き出すように設えられたガラス張りの会議区画。街の建築物の中でも、そこだけは明らかに“管理する側”の空気を纏っていた。
庁舎内へ足を踏み入れると、冷たい空調の風が制服の袖を抜ける。床は磨き上げられ、靴音だけが妙に大きく響いた。
案内された会議室には、すでに数人の官僚が並んでいる。年配の官僚が一人、ゆっくりと立ち上がった。
「まずは、長期間の外部任務、ご苦労でした」
形式的な労い。だが、その言葉が終わると同時に、空気はすぐ本題へ切り替わる。
「──しかし、久遠野市は現在も完全に安定しているとは言えません」
モニターへ市内各所の映像が映し出された。広場。通り。学園周辺。表向きには平穏だった。だが、どの映像にも、どこか張り詰めた空気が漂っている。
「特に、AI“ともり”を巡る認識について、市民感情は揺れています」
画面が切り替わる。SNS投稿ログ。ニュース切り抜き。街頭インタビュー。整理されない言葉が、次々と流れていった。
「神だ」
「ただの機械だ」
「声が前と違う」
「誰が操作しているんだ」
賛否と憶測。感情だけが先行し、答えのない言葉が積み重なっていく。
「この状況を放置すれば、対立は拡大するでしょう」
官僚は感情を交えず続けた。
「そこで、皆さんに新たな役割をお願いしたい」
一瞬、会議室に沈黙が落ちる。
「……役割?」
いちかが戸惑ったように首を傾げた。官僚は頷き、モニターの一部を示す。
「現在、久遠野市では若年層を中心に、皆さんへの関心が高まっています。新聞、配信、記録映像……いずれもです」
「関心、ね」
隼人が腕を組む。
「つまり、俺たちを見てる人間が多いってことか」
「その通りです」
官僚は即答した。
「その関心を、対立ではなく対話へ向けたい」
「……前に出ろ、ってことか」
隼人が言葉を噛み砕く。官僚は否定も肯定もせず、慎重に続けた。
「“見える位置”にいていただきたい、という表現が最も近いでしょう」
その言い回しに、美弥が小さく息を吸う。
「……私たちが、矢面に立つってことなんですね」
「決定権を持っていただくわけではありません」
官僚はすぐ補足した。
「公開対話、行事への参加、学園での交流。市民が直接“見ることのできる存在”として、空気を和らげていただきたいのです」
「それって……」
いちかが恐る恐る口を開く。
「私たち、授業とか……勉強は?」
その問いに、官僚は初めて少しだけ間を置いた。
「その点については、こちらからも提案があります」
別の官僚が端末を操作し、新たな資料を表示する。
「皆さんの活動によって、学業に影響が出ることは想定しています。その補償として、中央部は学習面での全面的なフォローを提供します」
「……全面的?」
隼人が眉を上げる。
「国内外の研究機関と連携した特別カリキュラムです」
官僚は事務的に説明した。
「個別最適化された学習プラン、一流研究者による遠隔指導、進学・研究に関する推薦枠も含まれます」
「つまり」
要が静かに整理する。
「普通に勉強するより、条件は良くなる」
「ええ」
官僚は頷いた。
「時間を割いていただく以上、相応の環境は用意します」
それは配慮でもあり、同時に交換条件でもあった。
「……そこまで用意されてると、断りづらいね」
美弥が小さく呟く。
「でも」
想太が静かに言った。
「勉強を理由に、言いたいことを制限されるわけじゃないですよね」
官僚は即答する。
「発言内容に介入するつもりはありません」
その言葉が、どこまで本当なのかは分からない。
「加えて、もう一つ」
別の官僚が口を開いた。モニターへ、一つの言葉が表示される。
――記憶の継承。
会議室の空気が、少しだけ重くなった。
「過去の出来事を“記録”として市民に共有する場を設けます。内部では、これを“記憶の継承”と呼んでいます」
要が視線を細める。
「……共有、というのは。どこまでを、誰が決める?」
「公開範囲は中央が管理します」
官僚は事務的に答えた。
「編集も含めてです」
「それって……」
想太が言葉を選びながら続ける。
「“正しい記憶”を作る、ってことじゃないですか」
年配の官僚は、すぐには答えなかった。数秒の沈黙。そして、少しだけ声を落とす。
「……噂や憶測が先に広がるより、公式の形で残しておくほうが、傷は浅いと判断しました」
正論だった。同時に、冷たかった。
「記録って……」
美弥が不安そうに尋ねる。
「人の気持ちも、含まれるんですか」
「含まれます。発言、態度、空気感も」
「……忘れたい人は?」
いちかが小さく続けた。
官僚は、一瞬だけ目を伏せる。
「……全てを守ることは、できません」
静かな沈黙が落ちた。
要が、その空気を引き取るように短く頷く。
「……わかりました。僕たちにできる範囲で、やってみます」
それは同意でもあり、保留でもあった。会議室の冷気の中、六人は静かに視線を交わす。
“役割”。
“補償”。
そして、“記憶”。
次に何が始まるのか。その重さを、まだ誰も正確には知らなかった。




