#076 「閉ざされた記録館」
翌朝、六人は冷たい風の中を歩いていた。雪は止んでいたが、空は厚い雲に覆われ、陽射しは弱い。通りには昨夜積もった雪が薄く残り、踏みしめるたび、きゅっ、と乾いた音が響く。人通りは少なかった。時折、窓越しにこちらを窺う気配がある。だが、扉が開くことはない。町そのものが、静かに息を潜めているようだった。
やがて通りの外れに、一際古い建物が姿を見せる。二階建ての石造り。窓は板で打ち付けられ、外壁の塗料はほとんど剥がれ落ちている。ひび割れた壁面からは、赤錆の浮いた鉄骨が覗いていた。建物の周囲だけ、空気が少し違う。誰も近づかない場所特有の、冷えた静けさがあった。
入口の前には「立入禁止」と書かれた札が傾いている。鎖で固く閉ざされた木扉には、長い年月の汚れと凍結跡が刻まれていた。看板の影は雪に埋もれ、足跡だけが朝の白さへ点々と続いている。
「……ここ、何だろう」
美弥が足を止めた。
要は看板を見上げ、低く答える。
「昔の記録館だな。町の出来事や歴史を保存してた施設だ」
「今は使ってないの?」
「ともりを排した時に閉鎖されたらしい。記録は全部、どこかへ移された……はずだ」
最後の言葉だけ、少し曖昧だった。
六人はゆっくり建物へ近づく。足元の雪は、人が歩いた形跡をほとんど残していない。風だけが表面を撫で、細かな筋を描いていた。
近づくにつれ、扉の隙間から冷たい空気が漏れ出してくる。そこには雪の匂いだけではない、長く閉ざされた紙と埃の匂いが混ざっていた。分厚い木扉の金具は白く凍りついている。隼人が試しに鎖を揺らすと、乾いた金属音が静かな通りへ響いた。からん、と。その音だけが、不自然なほど遠くまで残る。
中は暗かった。窓を塞ぐ板の隙間から、わずかに灰色の光が入り込んでいる。その奥からは、かすかな木のきしむ音だけが、途切れず聞こえていた。
「開けてみようか?」
隼人が鎖へ手をかける。
「待って」
はるなが思わず声をかけ、手を伸ばした。その瞬間だった。
「おい。それには触るな」
低い声が飛ぶ。振り向くと、近くの家から初老の男性が出てきていた。厚手の上着を羽織り、雪を踏みしめながらこちらへ歩いてくる。その視線には、露骨な警戒があった。
「久遠野から来ました」
隼人が名乗る。
「町の記録を確かめたくて」
しかし男性は首を振った。
「危険だからやめろ。あそこは、誰も近づかん」
「老朽化ですか?」
要が静かに尋ねる。
「それだけじゃない」
男は言葉を切った。そして、わずかに視線を逸らす。
「ここは……閉めたままがいい。代表の許可があってもだ」
その言い方は、単なる忠告ではなかった。まるで、自分自身へ言い聞かせているようにも聞こえる。理由を重ねて訊いても、返ってくるのは「危険」という言葉だけだった。男はそれ以上何も言わず、背を向けて雪の中を歩き去っていく。靴音だけが遠ざかる。その後には、言葉にされなかった何かだけが残った。渋々、その場を離れようとしたときだった。
美弥が突然足を止める。
「……ねえ、今、光ったよね?」
「光?」
要が振り返る。
「二階の窓。板の隙間から、一瞬だけ……青い光が」
全員が目を凝らす。風が吹き、板が小さく軋む。雪が舞う。だが、もう何も見えなかった。
「気のせいじゃない?」
いちかが首をかしげる。
「……かも。でも、ただの廃墟じゃない気がする」
美弥は眉を寄せたまま、窓を見上げている。
はるなは、そっと扉へ掌を近づけた。冷気が皮膚を刺す。けれど、その奥に、微かな振動のようなものがあった。錯覚かもしれない。
それでも、内側から誰かが耳元で囁くような気配がする。静かなのに、完全な無音ではない。沈黙そのものが、こちらを見返しているようだった。
「ひとまず役場に戻ろう」
要が地図を取り出す。
「許可の筋道をつける。今日中に、もう一度来られるかもしれない」
「俺が代表に話してみる」
隼人が鎖から手を離した。
「ただし、勝手な行動は無しだ。町の空気が……良くない」
全員がうなずき、記録館から距離を取る。振り返ると、建物は雪明かりの中で、輪郭だけを濃くして佇んでいた。窓を塞ぐ板の隙間が、薄く青いようにも見える。だが次の瞬間には、それも白い雪景色へ溶けて消えた。通りを歩きながらも、美弥は何度も背後を振り返っている。
いちかは小走りになり、はるなの隣へ並んだ。
「……さっき、怖かった?」
「少しだけ」
はるなは小さく笑ってみせる。
「でも、怖さより……気になる」
要が短く息を吐いた。
「町の誰かが、ここを“見るな”って言ってる」
「そして、誰かが“見て”って言ってる」
はるなが静かに答える。足跡が並び、雪の上に細い道ができる。その白さの向こうで、記録館はまだ、じっとこちらを見ているようだった。はるなは一度だけ振り返る。扉の向こうにある沈黙を思い描く。風が通り抜け、掲げ札が、からん、と鳴った。青い光は、もう現れない。それでも──朝の冷たさは、なぜか少しだけ、暖かく感じられた。




