#073 「忘れられた広場」
宿を出て、六人は町の中心部へ向かった。朝の空気は薄く凍りつき、踏みしめる雪が、靴底の下で乾いた音を立てる。通りには人影こそあるものの、どこか動きが少なかった。店先で雪を払う老人も、荷物を運ぶ女性も、必要以上に声を交わさない。
空は白く曇り、陽射しは弱い。建物の隙間を吹き抜ける風だけが、時折、細い音を残していく。道はまっすぐに続き、やがて視界が開けた。
そこは、広場と呼ぶにはあまりに寂しかった。
中央には低い石造りの台座があり、かつて何かを祀っていたと思しき形だけが残っている。今は雪が積もり、誰の手も入っていない。周囲に並ぶ木製のベンチは片方の足が折れ、屋根代わりの庇は風に揺れながら、ぎい、と乾いた軋みを響かせていた。
積もった雪は均一だった。人が集まっていれば残るはずの足跡もなく、ただ風だけが表面を撫で、細かな風紋を刻んでいる。
「……人がいないね」
いちかが小さく周囲を見回す。吐いた白い息が、すぐに灰色の空へ溶けていった。
「集会場だったんじゃない?」
美弥が指差した先には、色あせた掲示板が立っていた。紙は端から破れ、貼られたまま何年も放置されたように黄ばんでいる。文字は雪と湿気に滲み、もう半分以上読み取れなかった。
広場を囲む建物も、どこか疲れたように沈黙していた。パン屋の看板は塗料が剥げ落ち、窓越しに見える棚には何も並んでいない。扉の隙間からは、かすかに古い木材と冷えた空気の匂いだけが流れてくる。風が吹くたび、空き瓶が地面を転がり、小さな音を残した。
「……ここ、本当に町の中心?」
想太が首を傾げる。
「地図ではそうだな」
要が答え、台座と掲示板を一度見比べた。
「昔は市場が開かれてたらしい。物々交換や、町全体の集会もここでやってた」
「市場……」
いちかがその言葉を小さく繰り返す。
「AIが導入される前は、どこの町にも似たような場所があった」
要の声は淡々としていた。だが、その口調には、遠い時代の記録を読み上げているような距離感があった。
はるなは、静かな広場を見渡す。もし本当に市場があったのなら、ここには人の声が満ちていたはずだった。
笑い声。値段を交渉する声。子どもが走る足音。湯気の立つ屋台。冬の匂い。けれど今、この場所には、それらの痕跡だけが薄く残っている。
そのとき、路地の向こうから一人の老人が姿を現した。厚手の外套に身を包み、白い息を吐きながら歩いてくる。
六人と目が合った瞬間、老人はわずかに足を止めた。そして軽く会釈をすると、そのまま足早に通り過ぎていく。
雪を踏む音だけが、遠ざかっていった。
その背中を見送りながら、いちかがぽつりと呟く。
「……すぐ、いなくなっちゃった」
隼人は中央の台座へ近づき、積もった雪を手で払った。さらさらと崩れた雪の下から、風雨で削られた石の表面が現れる。
「ここ、何か置いてあった跡だな。祠か、像か……」
石の中央には、長い年月をかけて削れた固定跡のようなものが残っていた。
「今は、何もない」
はるなが静かに言った。その言葉は、広場の冷えた空気へ静かに溶けていく。誰も、すぐには返事をしなかった。
失われたのが、物だけではないことを、全員が感じ取っていたからだ。
人の足跡はほとんどない。積もった雪には風紋だけが残り、誰かが集い、声を交わしていた痕跡は、すでに白に覆われている。
この広場は、使われなくなったのではない。使われないことを、選ばれた場所だった。
六人は自然と、中央の台座から一歩距離を取って立っていた。まるで、触れてはいけない何かが、まだそこに残っているかのように。
風が吹く。庇が、ぎい、と小さく鳴る。広場の中心にあるはずの場所だけが、不自然なほど静かだった。町の中心にありながら、この広場は、長い時間をかけて町の記憶から切り離されていた。そしてそれは――この街が、最後まで向き合えなかった場所そのものでもあった。




