#072 「非AI都市へ」
前夜、六人は原初の町を後にして久遠野へ戻った。中央部へ簡単な報告を上げ、それぞれが短い睡眠を取る。
明けて早朝──「非AI都市からの臨時要請」の通知が届き、彼らは再び出発することになった。
冬の朝だった。まだ陽も高くない空は薄い灰色に沈み、久遠野市の外縁には、昨夜の雪が白く残っている。澄みきった空気の中、車のドアを閉める音だけが静かに響いた。吐き出した白い息が、すぐに冷気へ溶けていく。
駆動音が低く響き、車はゆっくりと走り始めた。昨日までいた町並みが、窓の外で少しずつ遠ざかっていく。まだ灯りの残る住宅街。雪を払う人影。開店準備を始める店先。そんな日常の景色を後ろへ流しながら、六人は誰からともなく静かになっていた。
「……寒いね」
後部座席で、いちかがマフラーをきゅっと巻き直す。指先が少し赤くなっていた。
運転席の男は前方を見据えたまま、低く答えた。
「この先はさらに冷えますよ。非AI都市ですから、道路整備も人力です」
その言葉に、美弥が小さく眉を上げる。
「え、人力って……そんなに?」
助手席から、要が振り返って軽く笑った。
「この町では端末も通じにくい。久遠野のAI回線は届いてるけど、使える場所は限られてるんだ……ほとんど、時代が止まったままの町だよ」
そう言ってから、要は少しだけ間を置いた。
「だから、ずっと後回しになっていたんだろうな。向き合うのが、一番難しい場所だから」
車内が静まる。暖房は効いているはずなのに、その言葉だけで空気の温度が少し下がったように感じられた。
車はやがて山あいの道へと入っていく。両脇の木々は深く雪を抱え、枝先には白い氷が張りついていた。風が吹くたび、さらさらと粉雪が舞い落ち、灰色の空へ細かく溶けていく。舗装はところどころ剥がれ、轍の跡は薄く凍りつき、鈍い朝の光を反射していた。タイヤが雪を噛むたび、ざり、と乾いた音が響く。
想太は窓の外へ視線を向けた。流れていく白い景色の向こうに、昨夜見送られた祠の少女の顔が浮かぶ。代表、市民たち、灯の下で交わされた静かな言葉。あの町にあった温もりとは、まるで正反対の空気が、この先には待っている。
そんな予感だけが、言葉にならないまま胸の奥へ沈んでいった。
「緊張してるのか?」
隣から、隼人が視線を向ける。
「……まあね。歓迎される雰囲気じゃないって聞いてるし」
想太は窓の外から目を離さないまま答えた。
運転手が、一瞬だけバックミラー越しに六人を見る。そして、言葉を選ぶように口を開いた。
「向こうの人たちは、外から来た者に警戒します。特に、AIに関わる人間には」
会話が途切れる。その後は、低い駆動音と、雪を踏みしめるタイヤの音だけが車内を満たしていた。窓の外では、木々の隙間から、ときおり小さな集落が見える。煙突から細い煙が立ち上り、その色だけが、凍った世界の中にかろうじて人の気配を残していた。
やがて、遠くの木立が途切れる。その向こうに、町並みが見えた。
灰色の屋根。色あせた看板。薄く煤けた外壁。煙突から昇る細い煙。まるで時間だけが、ある日を境に止まってしまったような景色だった。
車が町の入り口を抜けた瞬間、空気が変わる。道路脇の商店の前で談笑していた人々が、こちらへ視線を向けた。会話が途切れる。笑っていた表情が消え、誰もが無言のまま車を目で追っていた。
「……見られてるね」
美弥が小声でつぶやく。
いちかが隣で肩をすくめた。
「視線が冷たい」
運転手は中央通りをゆっくり進みながら、淡々と説明した。
「この町は外からの訪問者を警戒します。特に、行政やAI関係の人間には」
通りに並ぶ建物はどれも古かった。看板の塗料は剥げ落ち、窓には薄い氷の膜が張っている。小さな八百屋の店先には段ボールに積まれた野菜が寒風にさらされ、売り子の老人が厚手の手袋越しに、硬い大根を黙々と並べ直していた。
開いた扉の隙間から、薪ストーブの匂いがかすかに流れてくる。だが、その温かさは通りまで届かない。
はるなは、その町全体に広がる“静けさ”に気づいていた。
騒音がないわけではない。足音もある。風の音もある。店先で揺れる看板の軋みも聞こえる。それなのに、音そのものが、意図的に押し殺されているようだった。
誰も大きな声を出さない。誰も笑わない。誰も余計な言葉を交わさない。だからこそ、車の駆動音だけが、異物みたいに耳へ残る。
やがて車は、宿の前で静かに停まった。
木造二階建ての古びた旅館。外壁は雪と風で色を失い、軒先には細い氷柱がいくつも垂れている。玄関の灯りだけが、白い景色の中でぼんやりと滲んでいた。
出迎えた女将は、表情を崩さないまま簡単な挨拶だけを交わすと、荷物を受け取り、すぐに奥へ下がっていく。
「……歓迎って感じじゃないな」
隼人が低く言った。
要は小さく息をつく。
「まあ、これが普通なんだろうな。この町にとっては」
荷物を置き、六人は再び外へ出る。冷たい空気が頬を刺した。通りの角には、いつの間にか数人の市民が立っている。
会釈をしても、返ってくるのは無言のまなざしだけだった。その視線の冷たさが、冬の空気と同じ温度で肌に刺さる。六人は言葉を交わさず、ただその場に立っていた。この町が、彼らを試すように沈黙していることを、誰もが理解していた。




