48.島根合宿、二日目――封印の儀
「……着いたぞ!」
山道を歩き続けること数時間、僕たちは、高さ五メートルはあろうかという巨大な柱のような石碑の立っている場所へと辿り着いた。
ここが、かつて尼子と毛利が手を取り合い、『異形の力』を再び封印したという場所なのだろう。
「ここは既に『異界』の内側じゃ」
隣を歩く尼子老人は、事も無げにそう言った。
……周囲の景色が変わった様子もない。いつ境界を越えたのか、まったく気づかなかった。
正しい手順を踏まないと入れない場所らしく、「間違って入り込むなんて事はおこらんから安心せい」と言われたけれど、既に足を踏み入れてしまっている僕たちにとって、安心する要素は何一つないと思ったのは僕だけだろうか。
一度間違えれば二度と元の世界には戻れないという、冷酷な拒絶の証明に思えてならない。
なんか、ここに辿り着いた時からずっと、肌を栗立たせるような異様な気配が、じっとりと鼓膜の奥を揺らしている。大気がねじれている。『異界』へ足を踏み入れているという事実が恐怖を増長させているだけなのか、それとも、封印の向こう側で何か目覚めかけているのだろうか。
……とっとと儀式を終わらせて帰ろう。
かつて、尼子と毛利に仕えた『名立たる武将達』も、封印の儀に参加したらしい。
なので、儀式へは、尼子先生と毛利部長、そして、僕たち歴史探索部員のメンバー全員が参加する。
きっと、今回も狐さんの『神降ろし』で当時に負けず劣らず、名立たる武将達が降りてきてくれることだろう。
尼子先生の指示で石碑の周りを、みんなでぐるっと輪になって取り囲む。文字のようなものが刻まれた正面に尼子先生と毛利部長、その毛利部長の隣が僕、そして住吉さん、武田さん、熊谷君の順だ。
「手を繋げ」と言われ、繋いだ手から張り詰めた緊張が脈動となって直に伝わってくる。
石碑を囲む僕たちの輪の外側から尼子老人が祈りを捧げると、目の前の石碑の表面が、まるで熱に溶けた飴のようにどろりと歪んだ。
昨夜とは比べ物にならない、凍てつくような冷気が足元から這い上がってくる。
『……時が……来た……』
……なんか、地底から声が響いてきた気が……いや、気のせいじゃないな、これ。
石碑の歪みからどす黒い霧が噴き出して、意思を持つようにうごめきながら形を成していく。
それは、無数の怨念が固まった塊のようだった。
……おっと、いけない。儀式が始まったら『神降ろし』しなきゃ。
「『神降ろし』開始します!」
僕は必死に意識を切り替え、毛利さんの顔を見つめた。『名立たる武将』ではなくて、どうか『妙玖』さん、彼女を護るために降りてきて!と心の中で激しく念じる。
『神降ろし』の開始と同時、部員たちの頭上に圧倒的な霊気が収束する。
僕の脳内に真っ先に響いたのは、聞き馴染みのある愛嬌たっぷりの鳴き声。……うん、やはり僕に降りてきたのは愛犬のハナコだった。こればかりは仕方がない。
問題は、毛利さんだ。祈るような気持ちで彼女の頭上を見上げる。
果たして…………
「……えっ、誰!?」
そこに現れたのは、質素な袈裟を身に纏い、頭に白い頭巾を被った女性の姿。出家し、仏門に入った後の『妙玖』さんその人だった。
狙い通り彼女が毛利さんを護るように寄り添ってくれている。安堵が胸をよぎる。
その周囲では、熊谷君に『元直』さんが、武田さんには『光和』さんが降臨していた。
何で、『元直』さんと仲良しの『武田元繁』さん降りてきてくれないんだ?……今は贅沢言っている場合じゃないし、まぁ、いいや。
最後に、住吉さんの頭上を見た瞬間、僕の思考はフリーズした。
「……嘘、だろ。咲さん……!?」
そこにいたのは、今まさに病院にいるはずの咲さんそっくりの霊体だった。
咲さんそっくりなご先祖様なのか? それとも本人の魂……? もし後者なら、入院中の彼女の身体にどれほどの負担がかかってるのだろうか。動揺で心臓が早鐘を打つ。
よしっ、帰ったら早速、お見舞いに行って聞いてみるか。
とりあえずは無事『妙玖』さんが降りてきてくれたし、後は狐さんに任せておけば、きっと上手くやってくれるはず…………そう思考が逃げかけた、その時だった
「お前ら、精神を集中しろ!もっと、強く念じるんだ!!」
なんか、遠く、酷く遠い場所から尼子先生の怒号が聞こえた。途端に視界がぐにゃりと歪み、強烈な意識の混濁が僕を襲う。再び、集中しろ!と言う、尼子先生の声が聞こえてくる。
…………けど、意識が混濁してきて……
脳裏には、濁流のように流れ込んでくる見知らぬ光景が浮かんてくる。
これは、血を流し、泥にまみれになりながらも、大切な何かを守るために必死に刀を振るった、かつての人々の記憶だ。そして、その記憶と重なるように……これは、島根の山奥で雑巾を絞り、掃除をして、笑い合っている僕たちのなんてことのない、愛おしい日常だ。
……守るんだ。僕たちの、この場所を!
「負けるかぁぁぁ!!」
魂の底からの叫びとともに、僕の意識が完全に覚醒した。
その瞬間、僕たちの繋いだ手から、そして石柱の文字から、すべてを払拭するような眩い光が放たれた。
中心で蠢いていた黒い霧が、その神聖な輝きに灼かれ、引き裂かれ、断末魔の苦悶をあげて石碑の奥底へと押し戻されていく。
意識が覚醒した僕が見たのは、石柱から眩い光が放たれた瞬間だった。
中心の黒い霧は、その輝きに焼かれるように、苦悶の声を上げて石碑の中へと押し戻されていった。
辺りがしんと静まり返る。張り詰めていた異界の空気が霧散して、全員がその場に崩れ落ちるように座り込み、激しく肩を上下させた。
「……終わった、の?」
武田さんが、額に汗で張り付いた前髪を払いながら、掠れた声で呟く。
「ああ。これで向こう数十年は安泰じゃろう」
尼子老人が、満足そうに頷いた。
険しい山道をようやく降り、下界へと戻ってきた僕たちを待っていたのは、例の大学生たちだった。
「あ、あの……本当にすみませんでした……!」
境内や山道の掃除を終えて、ヘトヘトになった彼らの表情には、当時の傲慢さは微塵もなかった。
彼らは自分たちの非礼を詫びるため、豪華な差し入れを用意して僕たちの帰りを待っていてくれたのだ。
深く頭を下げる大学生たちの姿に、僕は少し面食らったが、胸の奥に誇らしい気持ちが芽生えるのを感じて笑いかけた。
「いいですよ。……でも、次はちゃんと歴史を学んでから来てくださいね」
偉そうなことを言える立場ではないかもしれないけど、あの戦いと、この地を守った人々の記憶を見たからこそ、自然と出た言葉だった。
その後、完全に和解した僕たちは、共に囲炉裏を囲むことになった。
パチパチと爆ぜる炭火の上で、じっくりと焼かれていく岩魚。香ばしい煙と、脂の滴る匂いが部屋に満ちていく。
儀式で精神を極限まで消耗して、お腹を空かせていた僕たちにとって、それはこれ以上ないほどたまらないごちそうだった。
「うまっ!」
「生き返るぅ~」
熊谷君、武田さんが声を漏らす。
毛利さんや、住吉さんも本当に嬉しそうに岩魚を頬張っている。
大学生たちも「美味いっすね」と顔を綻ばせ、いつしか怪異の恐怖も忘れて、みんなで賑やかに食卓を囲んでいた。
山奥の静かな夜に、僕たちの笑い声が優しく溶けていく。
お腹も心も満たされた後、僕たちは、来たときと同じく尼子先生の運転する車に揺られて帰路についた。
窓の外を流れていく夜の景色をを眺めながら、僕はそっと目を閉じた。
……さてと、帰ったらさっそく、咲さんのお見舞いに行かなきゃだよなぁ。
心地よい疲労感に包まれながら、静かに、日常へと戻っていく感覚を嚙み締める項なのだった。
入院していました。更新止まってしまって申し訳ありません。ストック全く無いんです。これからまたコツコツとやっていくのでよろしくお願いしますm(__)m




