44.島根合宿、一日目――肝試し
「おーい、山田! 先に行ってるぞ!」
闇に消えていく懐中電灯の光を見送りながら、僕は神社の入り口にある石鳥居の下で、自分の番を待っていた。
僕たち歴史探索部の面々は、全員が中学二年生。「全能感と不安が入り混じる多感な時期」なんて言われるけれど、この暗闇を前にすると不安の方が八割増しだ。
最初のペアは、部内公認カップルの熊谷君と武田さんだ。「きゃー、怖いー」と棒読みでしがみつく武田さんに、「大丈夫だ、俺が守ってやる」と見当違いな頼もしさを見せる熊谷君。二人の光は、あっという間に深い闇の中へと消えていった。
二番手は、クジで決まった毛利さんと住吉さん。
「大丈夫だよ、八恵ちゃん。何か出たら私が追い払ってあげる」
「うん、ありがとう六花ちゃん……」
女子ペアの微笑ましい(?)やり取りを見送って、いよいよ僕の番が来た。
……なんだろう、この疎外感。肝試しって誰かと歩くのが楽しいのであって、僕一人で行く意味あるのかな。 みんなが戻るまでここで待つか?ちょっと心細いけど、あー狐さん早く起きてくれないかな。
そんなことを思っている時、戻ってきたのは、なぜか二周目の毛利部長だった。
「はい、山田。一人じゃ泣いちゃうでしょ? 私が付き合ってあげるわ」
毛利さんはニヤリと笑い、僕の腕を軽く叩いた。
「……た、助かるよ。でも、毛利さん、二回目だよね?」
「いいのよ。この神社の彫刻、一回目じゃ暗くてよく見えなかったし」
さすが歴史探索部の部長。肝試しの最中に建築美を堪能しようとするその姿勢に、僕は少しだけ緊張が解けるのを感じた。
僕と毛利さんは、一本の懐中電灯を頼りに石段を登り始めた。
昼間の掃除の疲れが足に来る。湿った土の匂いと、時折鳴く夜鳥の声。島根の夜は、都会の夜とは密度が違う。空気が肌にまとわりつくような感覚だ。
「……ねえ、山田君。さっき八恵と話したんだけど」
毛利さんが前を向いたまま、ふと声を落とした。
「お母さんが戻ってきて、本当に良かったわね。あっちの世界のこと、私はいまだに現実味ないけど……でも、こうして今、みんなで一緒にいられるのは、あそこで戦ったからかなって」
「そうだね。僕も、こうして毛利さんと歩いてると、これが現実なんだなって思えるよ」
少しだけ良い雰囲気になりかけた、その時だった。
拝殿の方から、ガヤガヤと下品に響く笑い声が聞こえてきた。僕たちの他に、誰かいる。
角を曲がると、そこには五、六人の男女の集団がいた。派手な服装、手にはスマホと自撮り棒。僕たちの泊まっている月影館の「新館」にチェックインしていた大学生のグループだ。
「マジうける! ここ、ガチで雰囲気あんじゃん!」
中心にいる茶髪の男が、酒の缶を片手に拝殿の鈴を乱暴に鳴らしている。
「ねー、お参りしてきなよー」
「お参り? んなもん、こうしてやるよ!」
男は笑いながら、拝殿の賽銭箱の上にどかっと腰を下ろした。それどころか、ポケットからタバコを取り出すと、拝殿の柱でマッチを擦ろうとした。
「おい、やめろよ。罰が当たるって」
仲間の一人が止めるが、男は止まらない。
「神様なんていねーよ。いたら今すぐ出てこいっつーの!」
男は吸い殻を境内に吐き捨て、さらに信じられない行動に出た。
拝殿の奥、神域との境に張られた注連縄に手をかけ、それを引きちぎろうとしたのだ。
「ちょっと! 何してるんですか!」
僕が止めるより先に、毛利さんが叫んでいた。
大学生たちは驚いてこちらを見る。
「あ? なんだよガキ。肝試しか?」
「そこは神聖な場所です。今すぐ賽銭箱から降りてください」
毛利さんの声は冷たく、怒りに震えていた。だが、男は鼻で笑った。
「うるせーな。中坊が正義の味方ごっこかよ。ほら、神様ー、お怒りならなんか起こしてみろよー!」
男が注連縄を力任せに引っ張った、その瞬間。
ぴたり、と風が止んだ。
虫の音も、木の葉のざわめきも、すべてが消えた。
完璧な、不自然なほどの静寂。
――ギ、ギギッ。
どこかから、古い木材が軋む音が聞こえた。それは拝殿からではない。男が腰掛けている「地面」の下から聞こえてきた。
男の顔から余裕が消える。
「……え、今の何?」
次の瞬間、大学生の一人が悲鳴を上げた。
「ヒ、ヒロキ! 後ろ! 後ろ見て!!」
男が振り返ると、拝殿の暗がりに、巨大な『影』が立っていた。
それは人影のようでもあり、あるいは巨大な獣のようでもあった。輪郭が絶えず蠢き、そこだけが空間に穴が開いたように真っ黒だった。
「……あ、あ……」
男が賽銭箱から転げ落ちる。
その影は、言葉にならない「音」を発した。重低音の地響きのような、何百人もの老人の声が重なったような、呪詛に近い響き。
大学生たちは腰を抜かし、ある者は逃げ惑い、ある者はその場で動けなくなった。
男――ヒロキと呼ばれた彼が、見えない力に引きずられるように、拝殿の奥へとズルズルと運ばれていく。
「助けて! 誰か、助けてくれ!!」
「山田、あれは……!」
毛利さんが僕の腕を掴む。
僕は知っていた。この禍々しい気配。あっちの世界で何度も味わった、あの「怪異」と同じ、あるいはそれ以上に古く強力な、土地の怒りだ。
「……まずい。このままだと、あの人連れて行かれる!」
「毛利さん、下がってて!」
僕は拝殿へと駆け出した。
中二病だと言われればそれまでだ。でも、あっちの世界で住吉さんを、咲さんを助け出した僕たちは、もうただの無力な中学生じゃない。
『……項ッ!無暗に突っ込むな!』
こっちの世界に戻ってから、ずっと眠り続けていた狐さんも、異変を感じて目を覚ましたようだ。
僕はハナコモードを発動しつつ叫ぶ。
「おい、離せよ! その人はバカだけど、死んでいいわけじゃないんだ!」
僕が叫ぶと、影の動きが止まった。
影の中から、無数の「目」のようなものが一斉に僕を射抜く。
その時、僕の背後から力強い声が響いた。
「そこまでだッ、島根の古神を怒らせた大馬鹿者ども!!」




