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ルーランの懸案事項1 55

 図書室から帰る途中にシャインさんとすれ違った。近衛兵のジムが軽く頭を下げて挨拶してたけど、シャインさんには見えてないみたいだ。


 黒眼鏡をかけてたから、はっきり分からないけど。

 すごく剣呑な雰囲気じゃなかったか?


「シャイン兵長は随分と気が立ってたみたいだね」


 挨拶を無視された形のジムに問いかけると、彼も戸惑ったように頷く。


「そうですね。あんなシャイン兵長は、近年では見なくなってましたが」

「……前はよくあったって事?」


 ジムは苦笑まじりに頷く。


「近衛兵に成られる前の話です。魔物討伐などに出かけると、たまにああいった感じになってましたね」

「臨戦態勢ってことかな」

「そうですね」


 そのすぐ後だ。シャインさんの執務室から、赤毛の女性とマイクという近衛兵が出て来た。赤毛に緑の目、彼女はジュリアの兄の婚約者じゃないか? ジュリアが言ってた容姿そのままだ。彼女は泣いてたのか? 目の周りが赤くなって、瞳も潤んでる。


「少しよろしいでしょうか?」


 ジムがそわそわと言う。


「ああ、事情を聞いてみるといい」


 僕は鷹揚に言って耳を澄ませる。


「マイク。なんかあったのか? 兵長が殺気立って出てったぞ?」


 マイクは女性を気遣うように、ジムの耳に顔を寄せて言った。


「彼女と出かけてたジュリアさんが、男に連れてかれたらしい」


 ——なんだって?


「ジュリアさんって、兵長のメイドの?」

「そう。連れてったのが兵長の知り合いらしくてな。メチャクチャ怒ってた」

「……大丈夫なのか、ジュリアさん」

「扉の外で話を聞いてた分には、身の危険は少ないようだったがな」

「おいおい。確か、兵長は彼女と婚約したばっかりだろ?」

「そうだよ。だから頭に来てるんだろ。まあ、シャイン兵長が出てったから大丈夫だろうけど」

「……そうだな。心配しても、ここで出来ることないしな」


 ——どういう事なんだ?


「まあ、そういう事だ。彼女はツリッチャキさんの婚約者だそうで、今から送り届けてくる」

「そうか。うん、まあ、分かった」


 シャインさんの知り合いが、なんでジュリアを連れてくんだ?


「お待たせしました、王太子殿下。戻りましょうか」

「……いや。久しぶりに馬の様子を見たい」

「え?」

「騎馬兵の訓練場まで行こう」

「えっと。そうですか。仰のままに」


 ジュリアの兄さんは騎馬兵だったはずだ。

 どういう経緯なのか、なんとか聞き出したいな。


 僕は今朝も機嫌よくパンケーキを食べながら、買い物は久しぶりで楽しみだって言ってたジュリアを思い出す。


 ——怖い思いとか、してないといいけど。


「あら、リュカオンじゃないの」


 気が急いてる時に限って、面倒な奴に会うもんだな。


「これはロザリー王妃殿下。ご機嫌麗しく」

「ずいぶん他人行儀ね、リュカオン。母に向かって固くならなくていいのよ? すごく久しぶりに本物の貴方に会えて機嫌はいいわね。あなた、本物よね?」

「お戯れを。御壮健そうでなによりです。申し訳ありませんが、腹が痛いので急ぎます。母上に置かれましても、お身体はお大事に。行くよ」


 思い切り俯いて膝をついてたジムが慌てて立ち上がった。


「お腹が痛いですって? 何か変なものでも食べたのかしらね。ほほ」


 無視して歩き出す。

 毎日のように毒入りの菓子を届けさせてる本人のくせに。


「なんで王宮を彷徨いてんだろうな。貴婦人なら貴婦人らしく刺繍でもしてればいいのに」


 僕がぼやくとジムが小さく笑った。


「最近は日課みたいに歩き回ってますよ。なんでも、プロポーションを維持するためだそうで」

「いい歳して何を言ってんだ」

「それを言っちゃダメですよ。ウチの母親なんかも、女は歳とっても女なのよって煩いんですから」


 軽く首を竦めてみせたけど、あの女狐、また良からぬ事を考えてるに違いない。

 ノワールさんに阻まれて、父さんに会えないでいるからな。


 騎馬兵の訓練所へ行くと、赤毛の女性はジュリアの兄らしき人物に肩を抱かれて慰められていた。僕が近寄って行くと、彼は少し驚いた目で僕を見た。


「リュカオン殿下ではないですか。如何しました?」

「いや。馬を見に来たんだけど、どうしてここに御婦人がいるのかと思ってさ」


 ジュリアの兄さんは、ずいぶんと大柄な男性だったんだな。まあ、大隊長が大きいもんな。


「それに、さっきシャイン兵長の執務室を通ったら、女性が連れ去られたって聞いたし」


 彼女は驚いたように瞬きした。

 僕がそういう事に興味を示すのが意外らしい。


「あの、彼の妹さんが、私と居る時に連れ去られてしまって……」

「暴漢にかい? 大変じゃないか。憲兵を送らなくていいのか?」


 ツリッチャキ騎馬兵は、苦笑の滲んだ顔をした。


「連れ去った相手が知人なんですよ。マーカーライト・ホルス・アイアンって言いまして、捻くれ者で騒ぎを起こすのが好きな奴で。でも、性根は腐ってないはずなので、まあ、大丈夫でしょう」


 ——マーカーライトか。


「大丈夫でしょうって、小隊長の妹さんなんだよね? 心配だろう?」


 彼はジュリアによく似た、明るい瞳で笑った。

 人の不安を払拭するような笑顔だな。


 ——やっぱり兄妹なんだなって思った。

 

「いやぁ、ウチの妹なんですが。けっこう肝の座った奴でしてね。状況判断もできるし、行動力もある方です。男だったら、良い兵士になっただろうに」


 僕は思わず笑ってしまった。

 そうかもしれない。


 いつものジュリアなら対応可能かもしれないな。

 ポンコツになってない時ならさ。


「信頼が厚いんだね」


 僕が笑ったことに安堵したようで、ツリッチャキは婚約者の腕を取って宥めるように続けた。


「そうですね。心配は心配ですが、婚約者のシャイン兵長が向かったそうですから。まあ、妹のことはアイツに任せれば良いですよ。王太子殿下にまで心配をかけて申し訳ありません」


 不安そうな彼女に、僕も笑いかけた。


「なら、君が彼女を送ってくるといい。いつまでも、男臭い場所に御婦人を置くものじゃない」

「殿下のご配慮、痛み入ります」


 僕はそのまま馬を見に行って、乗馬もずいぶんしてないなって思った。


 一度、馬に乗ってる時に馬に怪我させてしまったから、乗るのを控えてるんだよね。馬に罪はないのに、矢で射られたんだ。


「やあ、ブブル。最近の調子はどうだい?」


 青みがかったグレーの美しい牝馬は、懐かしそうに僕の手に鼻を寄せてくれた。

 まだ覚えててくれたのが、僕も嬉しいや。


 馬番がニコニコしながら彼女の体調を教えてくれる。


「リハビリも順調に終わりましたよ。いっときは人を乗せるのを怖がってましたが、最近は大丈夫になって来てます。リュカオン殿下を乗せらるようになるのも、もうすぐでしょう」


「頑張ってるんだな。ありがとう」

「いいえ。殿下に会うとブブルも嬉しいようですから、時々で構いません。声をかけに来てやって下さい」

「ああ、そうする。ブブルをよろしく」

「お任せを」


 そのまま王太子の執務室に戻って、ジムは扉向こうに待機だったんだけど。

 すぐノックがして、返事をするとジムが扉を開いて苦笑してた。


「お薬だそうです。殿下」


 王宮メイドが、うやうやしくお盆にグラスを持って現れた。


「腹痛とお聞きしましたので、王妃殿下様が」

「……お礼だけ言っといて」


 僕は為息まじりに薬を窓から流して、ノワールさんの執務室へ行った。

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