ジュリアのモンテールへ帰宅 46
ミュートからの帰路は、なんだか熱に浮かされたような気分だった。
だから、あんまり覚えてないの。
途中でホテルに泊まったけど、バンズさんはちゃんと二部屋抑えてくれてたから、シャインさんとは別の部屋で眠った。意識が途切れたみたいに眠ってしまったんだよね。それなりに緊張したり、疲れたりしてたみたい。
よく朝になったら、シャインさんは何もなかったみたいに振る舞ってたしね。どう接していいか分からなくなる所だったから、すごく、ありがたかった。
ケイデンスに戻って日暮れていく景色の中に、モンテール家が見えて来た時。
ああ、帰って来たなって思った。
私にとって、モンテール家は戻ってくる場所になってたんだね。
「お帰りなさいませ」
パスカルさんが白い眉を下げて、線のような目で笑ってくれる。
二階からノワール様が降りて来て、私とシャインさんを見てホッとしたような顔をした。
「ただいま戻りました」
シャインさんが微笑むと、彼は鷹揚に頷く。
「無事に戻ったな。ご苦労だった」
「いやあ、疲れました。報告は明後日でいいですか?」
「ああ。良かろう」
パスカルさんが私の荷物を持ってくれる。
「お食事は済みましたか? アンジュが軽い夜食を用意してくれていますよ」
「ああ、嬉しいです。夕食は食べないで真っ直ぐに戻って来たので」
「では後ほどお食べなさい。サイロンが風呂の用意をして行ってくれました。二つの浴槽に湯が張ってあります」
シャインさんが嬉しそうに笑う。
「嬉しいな。湯船に浸かるのは久しぶりだ。ジュリア、どっちを使う?」
「え? えっと。いつもの方が落ち着きます」
「じゃあ、僕は久しぶりに陶器の湯船に浸かろうかな」
彼は自分の荷物を持って、ノワール様と二階へ上がる途中で立ち止まり、軽い調子で言った。
「あ、兄さん。これだけは報告しておきます。僕はジュリアと婚約しました」
ノワール様がビックリした目で私とシャインさんを見る。
急に恥ずかしくなって、私は何度も目を瞬かせた。
私の前まで戻って来たノワール様が、首を傾げて私を覗き込む。
「本当かい、ジュリア」
「え……と。本当です」
「いいのかい?」
「私で……いいのでしたら」
シャインさんがノワール様の後ろから、静かにだけどハッキリと言った。
「君じゃなきゃダメなんだよ」
そんなふうに言われると、顔から火が出そう。
私の様子を見ていたノワール様が小さく溜息をつく。
「なるほど。ジュリアが良いなら、正式にナイン男爵家に申し込もう。君がウチの家族になってくれるなら、私も両手を上げて歓迎する……少し、悔しいがね」
……悔しい?
不思議に思ってノワール様を見上げると、彼はとても優しい眼差しで微笑んだ。
「私の妻になってもらおうと思っていたからね」
「!?」
シャインさんが、少し苦笑しながらノワール様の背中を叩く。
「兄さん。説得するのが大変だったんですよ。揺さぶらないで下さい」
「ほぉ? まだ、揺さぶれるような関係か? 二人で何泊もしてきたのに」
シャインさんが溜息をついて片手で顔を覆った。
「……兄さん。もしかして、わざと助手の性別を書かなかったんじゃないでしょうね?」
「どうだったかな」
彼は珍しく悪戯そうに笑うと、弟の肩を抱いた。
「ま、よくやった。おめでとう」
「よくやったってなんですか」
「お前が女性を口説けるとは思わなかったからな」
「……兄さん」
パスカルさんが、私の横で小さく微笑んでくれる。
「おめでとうございます。さ、湯が冷める前にお風呂に入りなさい、ジュリア」
「ありがとうございます」
「シャイン様もお風呂へどうぞ。ジュリアは逃げないでしょうから」
笑うパスカルさんに、シャインさんが軽く首を竦める。
「ここじゃ、僕は形無しだな。風呂へ行こう、ジュリア」
「はい」
石を刳り貫いた豪華な湯船に使って、私は心の底から息を吐いた。
「あー。体が緩む」
ボンヤリと温まりながら、馬車の中で言われた言葉を思い出した。
シャインさんみたいな、雲の上の人と結婚など考えたこともない。愛とか恋とか、分からないと言い張った私に、彼は静かに言ってくれた。
——立場とか、生まれとか、能力とかね。どうでも良いんだ。僕は君の側にいると、とても安らぐ。気負わない自分でいられるんだよ。できるなら……君にとって、僕も……そういう相手になりたい。
手を重ねて、私の目を見つめながら。
——今は分からなくても、君も愛するという事をいつか知るだろ? 僕は君が愛する相手になりたい。ゆっくりでいいから、僕を知って愛してくれないか? ずっと、僕の側にいて欲しい。僕は二人がシワシワの老人になっても、君のお茶が飲みたいんだよ。
思い出すだけで、胸が締め付けられるような気がする。
泣きたいような気持ちになるの。
私の側で安らぐと言ってくれるなら、一緒に居たいって言ってくれるなら。
シャインさんが、そう言ってくれるなら。
私が愛する人は、きっと、シャインさんになる。
そう確信しちゃって、私は半分泣きながら頷いたのよね。
——僕と結婚してくれるかい?
その問いに、私は両手を伸ばして彼の首を抱きしめた。柔らかな髪が頬に触れて、彼の匂いに包まれて、込み上げてくる気持ちに飲み込まれそうになりながら。
——私をずっと、あなたの側に置いて下さい。
そう答えた私に——。
彼は眩暈を起こしそうな、甘い口づけをしてくれたんだった。




