第七節 脱出
「タケ様、韓兵どもが川向こうに見えて参りました」
「うむ、数は変わらぬようじゃの」
「はっ、歩兵二千に弓兵千、ともに五百ずつの隊に分かれて向ってきております」
「うむ、馬兵の方はどうじゃ?」
「敵馬兵は上流に向けたと聞いておりますが、こちらはまだ報せがありませぬ。敵馬兵が渡河せば我が馬兵が急ぎ報せることになっておりますゆえ、今しばし時があるものと」
「うむ、そなたの申す通りじゃ。では、まずは正面の敵と矢を合わせてみるか……我が矢はあちら岸まで届くであろうな?」
「はっ、敵のことごとくを射申すことでありましょう」
「弓兵、前へっ! これより、正面の敵に向けて矢戦を行う。みな、我が命に従いて一斉射撃を行うように」
「おうっ!」
「弓兵、構えぃっ!」
「……」
「放てぇ~!」
「タケ様、敵は少なからず混乱しているようであります」
「ふむ、よもや劣勢の我らが矢を、それも斉射してくるとは思わなんだか?」
「そのようで……んっ、敵は射返して来ませぬ」
「なにゆえじゃ? 我らを見くびっておるのであろうか?」
「いえ、さらばあれほどの慌てぶりにはならぬか、と……」
「試しに第二斉射を行ってみるか?」
「弓兵、構えぃっ! 放て!」
「恐れながら、倭人の矢の射程距離は、こちらの弓より長いようでございます」
「うむ、まさか対岸から放って我が陣に届くとは……倭人がここに陣を構えていた理由が分かるというもの……倭人は蛮人どもと思うておったが、どうしてどうして……なかなかに兵法に通暁している者もおるようではないか」
「我が兵の矢では敵陣には届きませぬ。一旦下がって馬兵の来着を待ちますか?」
「うむ、それが常道ではあろうが、さらば歩兵は戦場の役には立たず、騎兵の方が価値が高いと認めるようなもの。我が歩兵が騎兵より劣るなど、認めたくはないものだ」
「ではいかがなさいましょう? まさか、正面突破を図るおつもりでは……」
「貴様は儂をあの倭人の将より阿呆であると証明するつもりか! この流れの速さと深さでは、歩兵が突撃しても思うように進むは難しかろう。そこを敵の矢に狙い撃ちされれば、我が兵に敗けはなくとも大きな損害がでるは必定」
「されば、兵を動かし敵の動揺を誘いますか?」
「あの敵将がそれほど簡単に乗ってくるとは思えぬが……まぁ、こちらが多勢であることは敵も分かっておろう。ちと両翼を伸ばして相手の出方を伺うか?」
「はっ! 伝令! 槍隊、左右両翼に展開し、敵の隙を伺え!」
「タケ様!」
「うむ、敵は両翼を伸ばしてきたようじゃのぅ」
「はっ」
「まぁ、当たり前と言えば当たり前。密集しておれば我が斉射にて損害が大きうなろう。一方で、数にものを言わせて両翼を広げれば……」
「我が方は、両翼包囲を嫌えば翼を伸ばさざるを得ず、斉射の効力も落ちましょう。されど敵の数は我が方の六倍……」
「こちらが翼を伸ばす限界に来れば、薄くなった中央を突破するも易く、両翼包囲を実施するもよし、更に敵左翼には強力な馬兵あらば、時宜をみて急襲も叶うであろう」
「されば、いかが致しましょう」
「元より我らは敵を殲滅するつもりはない。敵が渡河して参れば、我らはその隙に丘まで後退するまでのこと。幸い、この流れであらば敵が渡河するにも時を要そう。その際、敵の追撃を鈍らせるために矢戦を仕掛けるが好ましいが、それにはこちらが密集しておる必要がある」
「それでは敵の動きにはどのように……?」
「うむ、弓兵を前面に出し、矛兵はその左右において両側を防御する構えを取らせよ。さらば、敵には我が方が密集防御を取っているように見えよう。こちらが後退するつもりであることを、敵に悟らせてはならぬ。兵法に曰く、兵は詭道なり、じゃ」
「はっ、ただ今」
「弓兵、斉射用意!」
「敵は両翼展開にはついてこない模様です」
「ほぅ、密集防御か……それはそれで理に適っておるが、いかんせん敵地で少数の兵の取る戦術としては不適当。いずれ援軍を待つか撤退するか二者択一であろうが、敵将は何を考えていることであろう」
「何も考えていない、ということは……」
「そうかもしれぬが、敵失を期待しても仕方あるまい」
「いかがいたしましょう……敵が防御隊形であるならば、こちらの本隊で敵を拘置しつつ強引に片翼を渡河させる方もありますが……各個撃破の恐れも残ります」
「うむ……いや、そろそろ騎兵も届くころであろう……それでは右翼をもう少し伸ばした上で、敵前渡河させよ。敵が右翼にかかるなら、次は左翼を渡河させ包囲する。上手くすれば、右翼を陽動にして敵の背後を騎兵が強襲することもできよう」
「それでは、敵正面の弓兵の射程から距離を保ちつつ、右翼部隊を渡河前進させます」
「うむ、それでよい」
「敵右翼は運動を開始したようじゃな……恐らく、我が矢の届く外より渡河してくるであろう。我れらが弓兵を敵右翼に向ければ、その時は敵左翼が渡河して参ろう。全く、数が多いが羨ましいことよ……」
「そう嘆かれますな。されどいかがいたしましょう」
「恐らく、敵の馬兵もじきにやってくるということであろう。この辺りが潮時じゃ。敵右翼が渡河し始めたら弓兵をそなたに向けて三斉射。その隙に左翼が渡河し始めたら、こなたに三斉射。敵右翼左翼の前衛隊が混乱する隙をついて、我が兵は全速で後退、丘に再布陣する」
「敵に背後から追われますが……」
「それは元より知れたこと。されど、敵の混乱をつき、かつ、渡河にかかる時を利して退かば、敵との距離を稼げよう」
「仰せの通りに」
「弓兵、敵右翼部隊に三斉射! 弓構えぇぃ~!放てぇ~!!」
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「結局、敵馬兵の追撃で、矛兵の多くが斃れました」
「うむ、今はどれほど残っておる?」
「馬兵、荷駄隊ともに五十は健在。されど、弓兵は百五十、矛兵は百となりました」
「うむ、先の撤退戦で百五十の兵を失うたか……されど、三千の歩兵と千の馬兵に囲まれ、よぅそれで済んだとも言えよう」
「仰せの通り……」
「まずはこの丘にあれば、しばらくは敵の突撃は防ぐこと叶うであろう」
「まこと、荷駄隊の車が盾としてよう働いてくれました。敵馬兵も、この盾を前にして突撃すること能わず、かえって我が矢のよき的となりましたが」
「うむ、水と食と矢……あと三日は保とうが、その間に……」
「フツ殿の遣いは張政殿の元にたどり着いたでありましょうか」
「きっと……それより、夜の間に車にささっておる敵の矢を抜いておけ。さらば我が矢を増やすこと能うぞ」
「はっ、弓兵どもに伝えておきます」
「うむ、敵将もなかなかやりよる。端からこの丘に籠るつもりであったか……」
「まこと残念なこと。それが分かっておれば、始めから全面攻勢に出ておったものを……」
「まぁ、過ぎたことを申しても仕方あるまい。確かに、この丘は籠られると面倒だな」
「さよう、敵右翼は崖に拠り、後背は川を天然の濠に見立て、いずれもこちらは攻め込めませぬ。また敵左翼は林となっており、騎馬戦、集団戦には向かず……」
「唯一開けた前面は傾斜であり、斜面に車を立てて盾としておる、か……騎馬隊の突撃には向かぬしのう……」
「敵の矢は我が矢より射程が長く、上からの射撃になるため、矢戦もこちらに利なし……」
「されば固く囲んで長期戦、となろうか……敵将も戦術的には見るものがあるが、しょせんここは敵地。援軍なしに篭城したところで、兵糧の尽きるところで勝敗が決するは必定。我らとしても、これ以上損害を出したくはないものだが……先の戦闘におけるこちらの損害はいかほどじゃ?」
「戦死八十、戦傷二百。他に馬五十が敵矢に斃れました」
「敵の損失は?」
「およそ百五十……残兵はおよそ三百五十と推測されます」
「そうか……五百の兵で三千を敵に回して……敵将ながら、なかなかやりおる……我が配下に欲しいくらいじゃ……」
「……」
「将軍! 申し上げます」
「何じゃ?」
「騎馬隊の伝令によりますと、魏軍が背後から迫っておるとのこと。数およそ一万。全て騎馬による急行軍とのこと」
「魏軍の騎馬隊……まさか」
「恐れながら、敵将がここに籠るのもゆえなきにはあらず、ということでありましょうか」
「うむ、小狼に構っているうちに、背後から大虎をおびき出してしまったとあらば、ここに長らく滞陣しても仕方あるまい」
「されど、魏国はまこと辰韓と戦を始めるおつもりでありましょうか」
「貴様の言う通り、みせかけの兵やも知れぬ。されど、それを期待して長居するの後、倭軍と魏に挟撃されるの愚はもっとも避けなければなるまい?」
「しかし……」
「さよう、たかが五百の倭軍を倒せずに……まこと口惜しいことではあるが、裏を返せば、こちらが相応の損害を出してまで戦わねばならぬ相手、というわけでもあるまい」
「されど、斃れた兵の無念を思えば……」
「そうじゃな、ただで返しはすまいよ。さらば、騎兵のみ残して歩兵、弓兵は下がらせよ」
「騎兵のみ残す?」
「魏の援軍が倭人の要請によるものであらば、倭兵も魏軍接近に乗じて丘から出てこよう。こちらが歩兵を下げればそれだけ出で来易かろうというもの。魏軍がまこと我が軍と争う気であれば我らは急ぎ撤退する。一万の騎馬相手には敵うまいよ。されど、魏の援軍は虚であり、実は戦うつもりなしとせば、騎馬隊であらば倭兵を追撃することも叶うであろう」
「つまり倭兵の誘引と攻退一体の策というわけで……」
「まぁ、そういうことじゃ。我らが歩兵を退げるを、ことさら敵に見せつけよ」
「承知いたしました」
「タケ様……敵歩兵が退いていくようであります」
「馬兵は残っているようだが……そなたはどのように考える?」
「敵の罠か……あるいは、魏の援軍が近づいたか……」
「うむ……恐らく敵の罠はないであろう。そもそも敵は我らを罠にかけることなどあるまい。ただ、多数を以って時を待てばよいだけなのじゃから」
「仰せの通り」
「さらば、魏軍が近いのであろう。それも大軍が……恐らく、我が方をぎりぎりまで囲み、あるいは追撃できる体勢を遺しつつ、魏軍から撤退する。そんなところであろう」
「……」
「されば……仕掛けるならここであろう。遅くなれば逆に撤退の時宜を逃す」
「されど、魏軍がもう少し近づくのを待ち、敵を挟み撃ちにするのも……」
「いや、魏軍は韓兵とは争わぬよ。第一、今韓兵を攻めるは魏国にとって利にならぬ」
「なにゆえ?」
「まこと魏国と辰韓が争うことにならば、魏国は常に辰韓に兵を張り付けておかねばならぬ……我らが撤退した後も……」
「なるほど、よぅ分かり申した」
「されば、魏国としては同盟の誼としてヤマトに援軍を見せるが、此度の援軍はただそれだけのこと。恐らくはその隙に我が方が撤退するのを望んでいことであろう」
「はっ、それではそのように兵に伝えます」
「うむ、いずれ危ない道ではあるが、ここしかあるまい。みな、力を尽くすように」
「タケ様ぁっ!」
「うむ、何じゃ?」
「タケ様、されば我らアサの矛兵を、タケ様の盾としてお使いください」
「儂の盾?」
「我らはヤマト王をお守りできず、おめおめと今日まで生き延びて参り申した。されどそれは全て、今日この地にてタケ様をお守りするため。あの日、ヤマト王をお守り抜かれたタケ様を、此度は我らが替わってお守り申し上げます。我らが盾となりますゆえ、きっとタケ様には脱していただき、ヒメミコ女王に韓の地の情報をお伝えください」
「されど儂はヤマト王をお守りできなんだ……それを……」
「タケ様っ!さればこそ、タケ様には必ずヒメミコ女王に!」
「うむ、みなの申すこと、よぅ分かった。さらばすまぬが、そなたらの命を儂にくれぃ。そなたらのこと、必ず女王様にお伝え申しあげよう」
「タケ様っ!」
「女王様、万歳!!」
「よしっ! 突撃ぃ~!!」




