第二節 発病
「シタハル……女王がお倒れになった、と……?」
「父上……女王はカナヤ殿をお呼びになり、黒金の産についてお尋ねであったとか……」
「そうか……して、女王は今……?」
「女どもの話によれば、今は少しよろしいようですが、近頃はむせ返すことも多く、お体も少しばかり熱ることが多いとか……」
「そうか、今は……」
「父上、ヒタ様のおられぬ今、某はどうしてよいものやら……兄上もタケ殿もお出になられており……父上もトヨ様のお側におられねばなりませぬのに」
「うむ、今はともかく女王のお体が先じゃ。薬師は何と?」
「前より薬は差し上げておるが、あまり良うなってはおられぬと……なにゆえ薬師は某にもっと早く知らせなんだか、と……」
「うむ……じゃが今それを申しても仕方あるまい」
「父上、いかが致し申そうか」
「まずはヒタ様にお戻り頂かねばならぬであろう。ヒタ様はどちらに?」
「詳しぅは分かりませぬが、トモ国の方に参られるとか……」
「さらば、急ぎ遣いの者をヒタ様の元へ。タケ殿も出ていると申しておったが、タケ殿はいずれに?」
「イト殿、ミヤ殿と兵を合わせて鍛えており申す」
「ふむ、されば、タケ殿にはこのこと伏せておこう……他の王に知れるのは今はよろしく無いであろうゆえ……」
「されど、タケ殿に知らせず某と父上でヒタ様に……タケ殿はあまりよろしく思われないでありましょうが……」
「うむ、そのことについては機を見て儂からタケ殿に詫びよう。されど、今女王が倒れたと知らば、マツラ殿はいかが考えるであろうか。ましてやクナ殿は……」
「……」
「そう、今はこのこと、他に話すでないぞ」
「分かり申した。さらば、急ぎヒタ様に遣いを」
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「ヒタ殿……そなたはヤマトを離れておったはずなのに……」
「女王……お体は……?」
「うむ、今は少しよい……そなたの顔を見ることが叶うたゆえ……」
「……」
「ヒタ殿……そなたを呼び戻してしまい……すまぬのぅ……」
「女王……」
「オモカネ殿、あまり薬師を攻めるでない。薬師には黙っておくよう、妾が頼んだのじゃ。妾の体がすぐれぬと知らば、そなたらはきっとヒタ殿に知らせるであろう」
「……」
「さらばヒタ殿は、今ヒタ殿がなさねばならぬことを差し置いて、妾の元に戻ってきてくれるであろう……妾は……ヒタ殿のお顔を見られるのは嬉しいが、ヒタ殿の障りになるのは望まぬ……ゆえに……ごほっ……ぐふっ……」
「女王!」
「うむ、ヒタ殿……すまぬ……んっ……ごっ……はぁ、はぁっ……」
「少しお休みになられた方が……」
「うむ……オモカネ殿、トヨはどのような娘に育ったであろうか」
「それはもう、女王に似てお美しく、お優しい姫にあらせられます」
「さようか……それはよかった……」
「オモカネ殿……そなたに、頼みがあるのじゃが……」
「はっ!」
「トヨを……妾の娘を……ここに連れてきてはくれぬであろうか……」
「トヨ様を……」
「あれから十年、妾に代わりトヨを育ててくれたこと、心から礼を申す」
「もったいなきお言葉。臣は女王とトヨ様のためにこの身を捧げておりますれば」
「妾は……もう長くはあるまい……」
「女王、そう気弱になられますな」
「ヒタ殿……妾の体のことゆえ、妾にはよぅ分かっておる。そなたには申し訳ないが、妾は道半ばにして病に斃れることになるであろう」
「女王……」
「オモカネ殿、妾は……ヤマトを一つにするため……トヨを手放さねばならなかった……」
「……」
「されど、妾はこの十年、一日たりともトヨのことを忘れたことはない……トヨには済まぬことをした……常に心の中で詫びておったのじゃ……」
「うっ……」
「オモカネ殿、妾はひとめトヨに会うてみたいのじゃ。妾が母じゃと告げるわけにはいかぬであろう。トヨからすれば、なにゆえここに呼ばれるのか、訝ることでもあろう。されど……」
「……」
「されど、ひとめトヨに会い、抱きしめてやりたいのじゃ……トヨに、妾の娘の証として、何かを遺してやりたいのじゃ……ヒタ殿、妾の願い……容れてはもらえぬであろうか?」
「オモカネ……人目にはつかぬようにしてトヨ様をお連れすること叶うか?」
「ヒタ様、陽が落ちてからでよろしければ……」
「女王、恐れながら、トヨ様に明かされるはトヨ様のためにもなりますまい。されど……」
「分かっておる。妾は、妾の師であり知であるオモカネ殿の姫に会うのみ。会うてそれを記す証を遺す。それのみじゃ……決して……妾が母であるとは……」
「女王、それでは頃合を見てトヨ様をお連れ申しましょう」
「オモカネ殿、礼を申す」
「お前様……妾のせいで……トヨはお前様の姫でもあるというに……」
「そなたの悩むことではない。トヨにはトヨの幸せがあろう。そなたが案ずることではあるまい」
「されど、妾の……」
「もうよい……少し休まれよ。そなたが休むまで、儂はここにおるゆえ、安んじて……」
「うん……お前様……」
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「タケ殿、よう戻った。イト殿、ミヤ殿との兵の合わせはいかがであった?」
「畏れながら、イト殿、ミヤ殿、ともによう兵を鍛えており申した。兵は矢を射るによう揃うており、指揮に従いよう集散しており申した」
「さようか……よぅ漢国の兵法を究めておる……これからも兵のこと、よろしく頼む」
「女王の仰せのままに」
「さればヒタ殿、タケ殿、そなたらに問う。妾の兵をただ今韓国に送るは叶うであろうか」
「畏れながら女王、先にも申した通り、未だ時満たず。さらば、兵を集めてこれを鍛え、武器、馬、米を揃え、船に乗せねばなり申さず。それには今しばらく時がかかり申す。今ある兵のみ送らば、多くの敵に囲まれ、我が兵はその多くが韓国の地に斃れましょう」
「女王、畏れながら臣もヒタ様と同じ考えにあり申す。兵法に、算多きは勝ち、算少なきは勝たず、と申します。すなわち、戦の前に善く整えた者が勝ち申す。されど、我らはいまだ整わず。また兵法に、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求める、と申します。すなわち、勝つと分かり申してから戦をはじめた者が勝ち申す。されど、我らはいまだ勝たず」
「うむ、そなたらの申すはもっとも。されど……されど……妾には時が無いのじゃ……」
「女王……」
「時あらば、妾も時を待つであろう。されど妾には、待つ時がもう無いのじゃ。時満つるその前に、妾の命が尽きるであろう……ヒタ殿……妾は……父上の想いを遂げたいのじゃ……」
「……」
「ヒタ殿、妾にも分かっておる。されど……」
「女王……ただ今兵を興しても、勝つこと叶わず……斃れると分かって兵を送るは……」
「うん……」
「されど、兵を送りて尚、争わぬ道もありましょう。タケ、そなたならいかが致す」
「されば、兵法に、彼を知り己を知れば、百戦しても危うからず、とも申します。すなわち、敵と己の数や兵種、配置、その強み弱みをよく知らば勝つと申す。されど、我らはいまだ彼を知らず。また兵法に、天を知り地を知れば、勝すなわち窮まらず、と申します。すなわち、天の時と地の利を得て戦わば必ず勝つと申す。されど、我らはいまだ韓国の地を知らず」
「うむ……」
「さらば、まずは彼を知り、彼の地を知るために兵を出す。これを偵察と申します。更には、彼の地にある倭人と交われば、後のまことの戦の際、これらの勢も見方となりましょう。これを調略と申します。ヒタ殿、いかがでありましょうか」
「うむ……女王、タケの申す通りにございます。戦に勝つのであらば十万の兵を揃えねばなり申さず。されど、敵を知るためであらば、逆に数は少ない方がよい。女王、この兵は後の戦で勝つための兵にて、ただ今すぐに父王の想いを遂げること能わず。それでもよろしいと仰せであられるか」
「ヒタ殿、タケ殿、礼を申す。妾の命が尽きない前に、後にヤマトがきっと勝つを見定めること能わば、妾にはそれで……」
「タケ、いかほどの兵があれば叶うであろうか?」
「されば、兵五百ほどお借りします。叶わば全て馬兵が望ましう存じますが、ヤマトにはそれほどの馬はありませぬ。されば、馬兵五十に弓兵二百、矛兵二百。残る五十には荷を運ばせることと相致します」
「うむ……されど、五百とは言え陸に上がれば敵にも知れよう。いかにこれを隠すか?」
「さよう、まずは兵を隠す隠密偵察を基本戦術と致します。されど隠しきること能わざる状況においては、抗うこと能わざるほどの数の敵に見え(まみえ)申しましょうゆえ、その時は威力偵察に戦術を切り替えることと相なりましょう」
「威力偵察……」
「敵と争うを通して敵を知る。敵の武器や戦術は、これと当たることにより初めて見えてくることもありましょう。されば、多くの兵は斃れましょうが、馬兵の機動力を活かさば馬兵は情報を持ち帰ること叶いましょう。この際は、情報を持ち帰ることが基本戦略にあらば……」
「うむ……兵には申し訳ないが、時によりてはその通りに……して、誰がこれを率いる?」
「されば、臣が直に参り申す」
「女王。お聞きの通り、タケに五百の兵を率いて彼の地を偵察させ申す。叶わば隠密偵察とし、もし敵に遭遇せば威力偵察に戦術を切り替えます。また、彼の地にある倭人を調略する。ただし、これは、後のための兵にて、ただ今勝ちを求める兵にあらず」
「ヒタ殿、タケ殿、礼を申す。そなたらに全て任せるであろう」




