第一節 戦意
「ようやっと……ようやっとここまでたどり着いた」
「……」
「まことヒタ殿のお蔭じゃ……」
「恐れながら、女王の強き想いにみな従うたまで。まこと女王の徳にありますれば」
「うん……国を纏め、兵を養い、黒金を産し、馬を殖やし……今こそ、亡き父上の想いを遂げる時……」
「……」
「ヒタ殿、妾は韓国に兵を送りたい。兵を送って韓人より倭人の地を取り戻す。妾も兵とともに韓国まで参るであろう」
「女王、恐れながら……まだ時は満ちており申さず」
「時が満ちておらぬ……?」
「さよう、ナシメも申す通り、魏国は戦に十万の兵を集めると申す」
「それは妾も聞いた」
「さらば、その魏国と争うもいまだ敗けておらぬ韓人。自ずと同じほどの兵を集めましょう。されどヤマトはいまだ十万の兵を集める能わず。我らは今しばらく時が満ちるを待たねばなりませぬ」
「それにはどれほどの時がかかるのじゃ?」
「さよう、十万の兵を集めるには、それなりの時がかかりましょう。また、馬を殖やすにも時がかかれば、兵や馬を韓国にまで運ぶ船も作らねばならぬであろう……されば、少なくともあと十年はかかるか、と」
「あと十年……妾が立つと決めてから既に十年というに、更に十年かかると申すか……」
「口惜しいことではありますが……」
「十年……十年経たば、妾はきっと韓国の地に立てるのであろうか」
「女王、そのためには、今よりさらに多くの国をまとめることが要りましょう……」
「今よりさらに多くの……」
「さよう……さらば内海の先にあるイヅモ国やトモ国、ツヌガ国とも交わりを深め申す」
「イヅモ国は先に聞いた。確か、黒金を産するとか……ヒタ国にはイヅモから黒金つくりを招いたと申していたであろう」
「仰せの通り。されば、トモ国もツヌガ国もともに船を能く作り申す。他にも米や粟を能く作る国もあらば、馬を殖やすに向く国もあり申す」
「されば、それらの国と交わり、兵や米を整えるのが先と申すのじゃな?」
「恐れながら……時はかかりますが、兵が整わねば韓国に攻め入っても勝てませぬ。女王も勝てぬ戦に兵を送るおつもりはありますまい」
「うむ、妾が間違っておったようじゃ。そなたの申す通り、妾も勝てぬ戦に兵を出し、みすみす多くの兵を失うつもりはないであろう」
「臣もできるだけ早う女王の望みが叶いますよう相努めまするゆえ、しばしお待ちを」
「されど……妾が女王として立って十年。考えてみれば、ようやっとマツラ殿が加わっただけじゃ。クナ殿はいまだヤマトを容れず。ましてやイヅモ王やトモ王となると……」
「さよう、交わりを深めるには時がかかりましょう。されど、女王は既に親魏倭王の称号をお持ち。印を持たぬ前よりは交わり易かろうと」
「それもこれも、そなたが魏国に遣いをやってくれたお蔭じゃが……」
「幸いなことに、ナシメもウワハルも、遣いとしてよぅやってくれております。この先もうまくやってくれることでありましょう」
「うむ……妾は少し急いていたようである。そなたの申す通り、今しばらく時が満つるを待つであろう」
「されば、臣もしばらくヤマトを離れることに……」
「ヒタ殿……また妾を置いていくのか……?いや、そなたがヤマトを離れる時は、常にヤマトのため、先を見越してのことであった。此度もそうであろう……?」
「恐れながら、内海を越え、多くの王と交わってきとう存じます」
「さようであるか……妾も寂しいなどと言うてはおれまいのぅ……ごふっ、ぐっ……」
「女王っ!」
「うぅっ……いや、すまぬ、大したことでない。少しむせ返しただけじゃ……」
「あまりすぐれませぬので?」
「いや、そなたが離れると聞くと、やはり寂しうての……」
「それは……されど、まことお体はよろしいので?」
「うむ、んっ……もうおさまった……さらば、そなたが戻ってくる頃には、妾はさらにヤマトを栄えさせていることであろう」
「それは頼もしいお言葉。されば臣のおらぬ間、女王にはマツラ殿との商をより厚うして頂きたい」
「マツラ殿との商?それは構わぬが、なにゆえ……」
「さらば、マツラ殿にも申した通り、マツラ殿がヒタの黒金を商えば、それだけ韓国の黒金は値が安うなり申す。されば倭国、すなわちヤマトは富みましょう」
「うむ……」
「されどマツラ殿との商は、そのゆえにのみあらず」
「……?」
「これはマツラとの商のみにあらざるが、黒金と赤金を商うにより、倭国の赤金をヤマトに集めあそばされよ。しかして、赤金が集まれば、これを溶かして鏡を作られよ」
「鏡、であるか……鏡は妾が魏国より賜りし品。妾の他に鏡を配る能う者はおるまい。鏡は魏国とヤマトの盟の証なれば、これを持つはヤマトの証」
「まこと仰せの通り。すなわち赤金を通してヤマトをより強くまとめることが叶いましょう」
「うむ」
「またさらには、鏡を用いて倭国の祭をヤマトがまとめることも叶います」
「ヤマトの祭……」
「人はみな、父や母を亡くせば嘆き悲しみ、その霊を鎮めるために祭り申す。されど、その祭は国により異なります。みな父を想い、その祖を想わば、時としてヤマトと争った古も想い返すことにもなりましょう……されど、父や祖の霊を鎮めるに、新たな祭りを行わば、ヤマトはよりまとまることと相なりましょう」
「うむ……」
「ただ今、多くの国では赤金を用いて祭りを行い申す。されど赤金を黒金と商うは利ゆえ、利あらば赤金を出すことにありましょう。さらば利で釣り出させた赤金を溶かして鏡を作り、ヤマトは友の証としてその鏡を贈る。今やみなその鏡しかなくば、それを用いて新たな祭りを行わざるを得ず、みな自ずとヤマトの祭と成り申そう。祭は政の元なれば、赤金を用いてヤマトをまとめることも叶いましょう」
「ヒタ殿、そなたはまこと妾の知……赤金と黒金を商うまことの意、妾には思いもつかなんだ。これからも、妾によき知を授けてくれるであろう?」
「仰せのままに」
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「カナヤ殿、黒金の産はいかがじゃ?」
「恐れながら、ただ今のところ、月におよそ千斤の黒金を産するようになりました」
「そうか、千斤も産することが叶うか? よぅやってくれておる」
「ありがたきお言葉。さらば、黒金は高殿にて産しており申すが、ヒタには五つの高殿を設け、それぞれにたたらと申す炉を備えており申す。それぞれの高殿にて月におよそ二百斤ずつ黒金を産しており申す」
「よぅ分かった。して、その千斤の黒金とは、鏃で申せばいかほどになろうか?」
「千斤の黒金を全て鏃にすればおよそ四千個ほどの鏃を拵えることが叶い申す。されど、産した黒金を用いるは鏃のみにあらず。鋤鍬も拵えれば、商にも用い申す。ゆえに、まこと鏃になるのは月に千個ほどであり、兵一人に二十本の矢を持たさば、月におよそ五十人の矢を拵えるに等しくあり申す」
「月に五十人……それではあまりに少ないではないか……その、高殿と申すを更に殖やし、黒金を産するを殖やすことは叶うであろうか」
「恐れながら、それは少し……女王は黒金の産し方をご存じあそばされましょうか」
「いや、妾は詳しいことは知らぬが……」
「されば、千斤の黒金を産するには、五千斤の砂と、同じく五千斤の炭が要り申す」
「うむ……さらば、その砂を掘る者を増やせばよいのではないであろうか。ヒタ殿は申しておった。ヒタ国には黒金の砂が大いにある、と」
「仰せの通りにございます。掘る者を増やせば砂を手に入れるは易かろうと存じ申す」
「さらばなにゆえ難いとそなたは申すか?」
「実は、五千斤の炭を産するが難いと存じ申す」
「炭? 炭などどこにでもあるであろう?」
「さようにございます。されど炭を作るには薪を窯に入れて焼き申す。されば、千斤の炭を作るに薪五千斤が要り申す」
「千斤の黒金には五千斤の炭が要ると申したのぅ……」
「されば、月におよそ二万五千斤の薪が要り申す」
「ふむ……されど、妾もヒタには参ったことがあるゆえ、ヒタには木々が大いに茂っておるのを知っておる。二万五千斤の薪を得るも易いのではあるまいか?」
「さようにございますが……あまり多くの木を切り倒しますと、山は元に戻る能わず。芽が出て木々が茂り、薪になるまでは長い月日がかかり申す。されば、若い木々が育たぬ前に全てを薪にしてしまえば、山には木々が生えなくなり申そう」
「……」
「臣らは今、二万五千斤の薪からできるだけ多くの炭を得る術、五千斤の炭からできるだけ多くの黒金を産する術を究めており申す。されど、より多くの黒金を得るためには、ヒタだけではなく、他の地にても黒金を産する他に道はなし。黒金の砂と多くの薪を得ること叶う地を探し、そこに高殿を設けるがよろしいかと」
「砂と薪、ともに揃うのはイヅモである、と……?」
「仰せの通りにございます」
「うむ、そこはよぅ分かった。ところでヒタ殿は黒金を鍛えるとも申しておった。そちらの方はどうじゃ?」
「恐れながら、いまだ良き剣を多く産するには至らず……まこと、黒金を鍛えれば良き剣を拵えること叶い申すが、鍛えると申してもただ叩くにあらず……鋤鍬であればともかく、剣のような長きものを鍛えるには、まだまだ業を究め申しおらず。月に一本できるか……」
「分かった……鉄を鍛える術、そなたに任せるゆえ、よぅ究めて欲しい」
「恐れ入り申します」
「さて、赤金の方じゃが、鏡の……んっ、ぐふっ……」
「女王……」
「うぅっ……」
「女王っ! 女王っ!!」
「……んんっ……ごふっ!……」
「誰か、薬師殿っ! 女どもはおらぬかっ?」
「女王が……女王が倒れられたっ! ……誰かおらぬか?」




