第四節 教授
「オモカネ殿、よろしいか」
「ヒメミコ様、何か臣にご用でもおありでしょうか」
「うむ。ヒタ殿が申されたのじゃ」
「ヒタ様が……?」
「うん……妾のこれからのこと……ヒタ殿はまずは妾が己で考えよ、と……」
「されど、もし躓いたのであれば、その時はオモカネ殿に問うてみよ、と。オモカネ殿はヒタ殿の師でもあられた。そして、オモカネ殿であれば、きっとよい知を授けてくださる、と」
「ヒタ様は、臣の教えた中では最も賢い教え子でありましたなぁ。最もやんちゃ、でもありましたが……」
「ヒタ殿は、オモカネ殿からよく逃げ出したものよ、と仰せであった」
「ほっほっほっ、まことその通りで……さてヒメミコ様、臣がお役に立てることにあらば何なりと」
「さらば……妾には分からぬのじゃ。妾は争いを望まぬ。父上もそうであった。父上は倭人が互いに相争うことを望んではおられなんだ」
「はい」
「それなのに、なにゆえ人は相争うのであろか?」
「そうですなぁ。それは……争うことは人の本なのでありましょう」
「人の本……」
「さよう、人の本の性。そも、人は鹿や猪を射ち、これを食べ申す」
「うん」
「鹿も猪もみな生きておる。しかるに人はこれらの命を奪い、自らの命を繋いでおり申す」
「……」
「ヒメミコ様もヒタの山で鹿狩りをなされました」
「うむ。その後で鹿を食べたが、たいそう美味しかった」
「そう、他の生き物と争い、これを殺すことで生きる。それは人の本の性にありましょう」
「うむ。オモカネ殿は争うのが人の本といわれる、そのゆえは分かった。じゃが、それではなにゆえ妾は争いを好まぬのであろ?妾も人にあらば、争いを好むのではあるまいか? 妾は人ではないのであろか?」
「もしかしたら、ヒメミコ様は人ではないのかもしれませぬなぁ……」
「まことかっ?」
「いやいや、申し訳ありませぬ。ヒメミコ様が人でないと申したは、民や我らとは異なる責をお持ちということ。ヒメミコ様は、お望みであればヤマトの女王にもなられるお方。常の人とは異なるとも申せましょうゆえ」
「うむ。ヒタ殿も、妾が父上を継ぐことを望むのであらばそれを佐ける、と申してくれた。そうじゃな……その通りじゃ……」
「さて、争うことは人の本の性とは申しましたが、争いを好まぬのは人の理」
「人の理」
「さよう……人の理。ところでヒメミコ様、理とは何でありましょう?」
「それは人が人としてあらねばならぬ道、のことであろか」
「よいお考えです。されど、その道はどなたがお決めなされたのでしょう」
「それは、妾らより先にお生まれになったどなたかであろ?」
「まことそのようにお考えでしょうか。もしそうなら、人の理とは人の作ったもの。人の手で壊すことも叶いましょう。されど……」
「人の理を人が壊すことは叶わぬ……」
「さよう。すなわち、人の理とは人が作りしものにはありますまい」
「さらば、人の理とは……」
「そう……ヒメミコ様は鹿狩りをした際に、お一人で鹿を狩ることは叶いましたか」
「ううん、妾一人では弓も引くことはできなんだ。あの時はヒタ殿が矢を射てくれた……」
「さらばそのヒタ様は、お一人で鹿を狩ることは叶いましたでしょうか」
「いや、ヒタ殿もお一人では、鹿を仕留めることはできませなんだ」
「さよう、臣も含め、多くの者が矢を射てはじめて、鹿を仕留め申した。更には勢子がいて、みなで鹿を追うたからこそ、ヒタ様は鹿を射ることが叶いました」
「うむ……」
「すなわち、人は鹿を狩るにも一人では叶わぬ。みなで力を合わせてはじめて鹿を狩ることができ申す」
「……」
「されど、もし仮にヒタ様がその鹿をお一人で奪ってしまったら、いかがなりましょうか」
「ヒタ殿はそのようなことはせぬ!」
「臣もそれはよぅ分かっております。ですが仮にヒタ様がそのような方であったならば……」
「誰もヒタ殿に力を貸そうとはせぬであろ?」
「さよう。人は鹿を食わねば生きてはいけませぬ。されど、人は一人で鹿を狩ることはできませぬ。ゆえに、人は人と力を合わせねばなりませぬ」
「それが人の理……」
「人の理とは、人がみなで力を合わせて生きていくための知。誰が定めたものではありませぬが、自ずと作られ確かにそこにあるものにあり申す」
「つまり、人が相争うのは人の本であるとせば、人が争いを好まぬのは人の理、ということであろか」
「まこと、ヒメミコ様はヤマト王の賢さを受け継いでおられます。まさにヒメミコ様の仰せの通りにあり申す」
「そなたはヒタ殿から妾を揶う術を受け継いでおられるようじゃの……?」
「いや、参りました。揶うつもりなどはございませんでしたが、申し訳ありませぬ」
「よい。それよりも続けよ」
「それでは、人の本と人の理。本が勝れば争いましょうし、理が勝れば争いは止みましょう。ところでヤマト王は争いを好まぬにも関わらず、マツラ王と戦をはじめられました。ヒメミコ様は、これはなにゆえであると思われますか」
「父上は仰せであった。時により兵を起こさねばならぬこともある、と」
「ヤマト王はまこと良きことをヒメミコ様に教えてくだされましたな」
「父上が……父上は何も教えてはくれなんだと思っておったが、父上は妾に……」
「ヒメミコ様はヒタ様に言われたのではありますまいか? ヤマト王の仰せのことをよく思い出され、よくお考えになられよ、と」
「うん、ヒタ殿はそう仰せであった」
「されば、よぅ考えられよ。時により兵を起こさねばならぬこともある、とはいかに」
「つまり、人の本と人の理、時には本が勝り、時には理が勝る。どちらが勝るかは、人が決めるが叶う……ということであろか」
「さよう。そして、己の利のために本を好むことを人の欲と言い、他人の利のために理を好むことを人の和と申します」
「己の利のために争いを起こしたサガ殿は欲であり、倭国のために争いを止めようとされた父上は和であったと……」
「ヒメミコ様はどちらをお望みでありましょうか?欲であることと和であることと」
「妾は父上と同じぅ、和でありたい」
「ヒメミコ様のお気持ちはよう分かり申した。ところでヒメミコ様はサガ殿を憎んでおられますか?」
「あぁ……妾はサガ殿が憎い。サガ殿は父上の仇、叶うことならサガ殿を討ちたい。されど、これは欲であろか?」
「ヒメミコ様がヤマト王の仇を討たば、必ずやサガ殿のお子らがヒメミコ様を憎み、次にはヒメミコ様を討ちに参りましょう。そして、恐れながらヒメミコ様が討たれれば、また新たな憎しみが新たな争いを生むことでありましょう。この争いが続くことを恨と申します。すなわち、もしヒメミコ様が憎しみがゆえにサガ殿を討たば、それは恨となりましょう」
「うん……」
「されど、サガ殿を討ちて尚、争いを止める道もございます。すなわちそれは和のために欲を討つこと。和のために欲を討ち争いを止めるを徳と申します」
「オモカネ殿、妾にも分かった。父上が何を仰せであったのか。時として争いが必要とは、徳のことであったのであろ?」
「さよう、まこと、ヒメミコ様はよぅお考えなされた。そのようにして、ヤマト王の仰せであったことをよく思い出され、また、よくお考えになりなされ」
「うん……じゃがヒタ殿は、こうも申されておった。妾が望めば民となることも叶わば、また……ヒタ殿の……妻、になることも叶うと……さらば、妾が民となることは何と申すのであろ? 妾が妻となることは……」
「さよう。確かにヒメミコ様には、民になる道も、妻になる道もあり申す。されば、民になる道を穏、妻になる道を愛と申す。ヒメミコ様は、欲と和、あるいは恨と徳、またあるいは穏と愛、いずれをお選びになりましょうか」
「……妾は……妾には……」
「そう、それをゆっくりとお考えくだされ。ヒタ様も仰せであったと思いますが、喪の間にゆっくりとお考えになられることです」
「うむ、ヒタ殿とそなたの申す通りにしよう。されば、もうひとつ教えてくれろ」
「何なりと……」
「ヒタ殿は、妾が幸せになることを望むと仰せであった。妾が望めば妻にもしてくれる、とまでも仰せであった。ヒタ殿はなにゆえそこまで妾のことを考えてくれるのであろか」
「ヒメミコ様はヒタ様の父上、すなわち先のヒタ王にお会いされたことはおありでしたか?」
「いや……妾はヒタ殿のお父上にはお会いしたことは……」
「さよう……ヒメミコ様はまだお若くしてお母上とお父上を亡くされました。ヒメミコ様の悲しみはお察しするに余りありますが……」
「そなたの優しさに礼を申す」
「実は、ヒタ様も今のヒメミコ様と同じく、まだヒタ様のお若い時にお父上を亡くされました」
「先のヒタ王を……」
「あれからもう十年にもなりますが、まだヒタ様が十五の頃でありました。クナ殿との戦によって、先のヒタ王はお亡くなりに……」
「それからでございました。ヒタ様が臣から逃げ出さず、逆にいろいろとお訊ねになられるようになったのは……ちょうど今のヒメミコ様のように」
「そうであったか……ヒタ殿もまた……」
「ヒタ様にも、ヒメミコ様と同じように聞かれ申した。人はなにゆえ争うのか、と」
「ヒタ殿も妾と同じ……」
「さよう……ところで、ヤマト王と先のヒタ王が互いに良き友と仰せであったのはご存知でありましょうか?」
「うむ、父上は常にヒタ殿の父上のことを、儂の良き友と仰せであった。もちろん、ヒタ殿のことも友と仰せであったが……」
「ヤマト王がまだアサ王と名乗られていた頃、お二人はよく互いに戦をしておりました。されど、戦が止めば話し合いを行うもの。そうして幾たびかの戦と話し合いの繰り返しのうち、お二人は互いに認め合い、良き友となられたのです」
「父上と先のヒタ王も、始めは争いをしておったのじゃな……」
「さて、クナ国との戦で父上を亡くされたヒタ様は、クナ殿に対する恨で満ちておりました。そんな時アサ王がヒタ様に問われたのです。そなたはどうしたいのか、と。そしてこうも仰せでした。そなたは我が友の血を引く者。我が友に代わりて儂がそなたの幸せを見届けよう。そなたが望むそなたのこれからに、きっと儂は力を貸そうぞ、と」
「それはまるで……」
「さよう、その後アサ王はヒタ様のことをも友とお呼びくださるようになりました。そしてヒタ様は恨を捨て、和の道をお選びになり、アサ王はヤマト王となられました」
「ヒタ殿は此度は……」
「ヒタ様は、十年前にアサ王にお示し頂いたように、此度はヒメミコ様に己の道をお選び頂きたいのでありましょう。さればヒタ様は、ヒメミコ様のお選びされる道をお佐けする、と。ちょうど十年前にヒタ様がお選びになった道を、ヤマト王がお佐けくだされたように……」
「そうであったのか……父上と……ヒタ殿と……」
「ヒメミコ様……」
「されば、ヒタ殿が妾に知を授けられぬと申されたゆえが分かるであろ。ヒタ殿が妾の問いに答えるは、十年前にヒタ殿が選ばれた道を妾に選ばせることになる……そうであろ?」
「さよう、そして今ひとつ。ヒメミコ様がいずれの道をお選びになられても、必ず要るものがあり申す」
「必ず要るもの?」
「それを勇と申す。勇とは己が想いを強く持ち、いかな障りがあろうとも、前へ歩み続ける強さのこと。勇なくば人は歩むこと叶わず。さればその道は無きにも等しきこと」
「勇とはいかにして手に入れるものであろか?」
「想いを強く持たれよ。強き想いだけが、人を前に進ませることができ申す。父上様の想い、ヒタ様の想い、そしてヒメミコ様の想い。父上様もヒタ様も、ヒメミコ様の幸せをお考えであられます。されば……」
「父上の想いとヒタ殿の想い、これに応えるが妾の想いじゃ」
「よぅ申された。その想いをお忘れなくば、勇は常にヒメミコ様の中にありましょう。もはやヒメミコ様は、臣の教え子のうちで最も賢い方になられました。あとはヒメミコ様が己でゆっくりとお考えくだされ」
「オモカネ殿は相変わらず妾を揶うのが上手いのぅ……じゃが、オモカネ殿は妾によい知を授けてくだされた。オモカネ殿。礼を申す。されど、妾がまた躓いた時には、また良い知を授けてくれるのであろ?」
「仰せのままに」




