第二節 篭絡
「ミヤ殿っ! ミヤ殿はおられるか?」
「おう、ウワハル殿ではないか。どうされた?」
「うむ、今宵で三日の約が終わる。朝日が昇ればふたたび相争うこととなり申そう」
「さよう、戦を止めるも今宵まで。されど礼を申す。お蔭で斃れた兵を葬ることができた」
「そこでじゃ、今宵は亡き者の霊を弔うために、ともに酒を酌み交わそうではないか? 実はここにこうして、酒甕を持ってきたのよ」
「酒を……?」
「そうじゃ、酒じゃ。今宵までは我らは同じ倭人。倭人の、友の死を悼むに酒を酌み交わすに、敵も味方もないであろう」
「じゃが、お主は何を考えておるのじゃ? まさか……」
「はっはっはっ、まさか毒でも入っておるとでも……? されば、こうして同じ器に……」
「まずは儂から……くぅ~、染みるわい。ほれ、そなたもどうじゃ。同じ器であれば毒など入ってはおるまい?」
「お主がそこまで申すなら……うむぅ~ヒタの酒は初めて飲むが、よい酒じゃのぅ」
「それはそこ、ヒタは水が清くてうまい。うまい水はよい酒を醸すものじゃ。ほれ、もうちょいとどうじゃ、ヒタの酒は……」
「うむ、お主の心遣い、ありがたく頂くことにしよう」
「ともに、亡き倭人の霊のために……」
「どうじゃ、よければ兵どもにも飲ませてやっては……?」
「いや、されど……お主を疑うのではないが……」
「そなたらが酒に酔うたところを儂らが襲う……とでも?」
「お主がそのような心の持ち主ではないとしても、儂は兵を率いる身であれば……」
「いやまこと、お主の申すとおりである。されどこの酒は倭人のための酒。そのような謀のためには用いぬよ」
「……」
「それに、もし儂がそなたを裏切るのであれば、昨夜のうちに襲い掛かっていてもよかったはずであろう。そなたら、昨夜はひどく疲れていたようじゃしのぅ……」
「それは……」
「何、隠すことでもなかろう。それより、そなたが容れてくれるのであれば、儂らが柵の外に出てともに酒を酌もうではないか」
「柵の外で……?」
「さよう、もちろん矛や弓は柵の内に置き捨て、替わりに甕と器を持っていくであろう」
「そこまで……なにゆえそこまでして……」
「申したであろう。ヤマト王はまこと、倭人のことをお考えであった。常に倭人が相争うを好ましく思われていなかった。倭国を倭人の手に取り戻すために、倭人が手を取り合うことをお考えであった」
「……」
「此度のこと、儂らはそなたらがカラ人によいように踊らされたがゆえのことと思うておる。いわば、ここに斃れた兵も、カラ人の利のために斃れた、と……」
「カラ人の利のため……」
「さよう。しからば、その魂をなぐさめ、霊を安んじるのは我ら倭人のつとめ。斃れたのはサガの兵と謂えども、儂らにも弔わせてはもらえぬであろうか」
「ウワハル殿がそこまで仰せであるのなら……儂はお主を疑うたことが恥ずかしい」
「いや、戦場にあってはそなたの心配りは当たり前であろう。儂は何とも思わぬよ。むしろ、さすがミヤ殿、このような場において儂の申すを容れてくださる肝の太さよ」
「いや、肝が太いはお主の方であろう。全く、よく戦場の真ん中にたった一人で、矛も剣も持たずに……」
「はっはっはっ、そこは同じ倭人。こちらの想いがまことであらば、自ずと相通じるものよ……」
「全く、柵を守るのがお主でよかったわ」
「さて、それでは我が兵ともに酒を整えさせよう。そう、干し肉と魚も……そなたは兵に申して火を起こしておいてはもらえぬか」
「あい分かった」
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「よいか、みなのもの。サガ兵であろうとヒタ兵であろうと、同じ倭人。倭人が斃れれば、酒をもて魂を安んぜしめるは倭人の理。今宵は争いを忘れ、戦に斃れた倭人の霊をともに弔おうぞ。此度の戦で多くの倭人の魂が天に昇った。今宵限りはサガとヒタではない。ともに霊を弔う倭人であろう。さればともに酒を酌み交わし、倭人の理を示そうぞ」
「ヒタの水はクスの神山より湧きし清き水。ヒタの酒は、この水を用いて醸した聖なる酒。そは亡き者の魂を鎮める酒。そは友を失い悲しみにくれる涙を拭いさる酒。そは兵が流した血を洗い浄める酒。そは失いかけた友との絆を新らためる酒。ともに倭人のため、倭国のために、今宵は飲み明かそうぞ」
「倭人のために!」
「倭国のために!!」
「倭人万歳!」
「倭国万歳!」
「よいか、酒はまだまだある。干し肉も魚もあるゆえ、今宵はこころのままに食べ尽くせ」
「さて、ミヤ殿」
「うむ……?」
「まずは礼を申す。このような申し出を容れて頂き……お蔭でともに酒を酌むが叶うた」
「いや、礼を申すのはこちらの方じゃ」
「うむ……そこでちと聞きたいのじゃが……いや、そなたが申しにくければ答えずともよいのじゃが……」
「何じゃ、お主にしては珍しく言い澱むものよのぅ」
「されば、そなたらの兵、食は足りておるのか?」
「何と?」
「そなたらがヒタに攻め参ってから三日が経つ。恐らく、その前の戦から数えれば、もう七日にはなるのであるまいか。常であれば兵はそれぞれ三日の食を抱えて戦に出るところであろう。四日を越えれば戦場で食を手に入れるか、別に食を運ぶか……されど……」
「いやはや、何とも……」
「そなたらが攻め参ったはじめの夜から……そなたらの兵の数にしては、煮炊きする煙が少ないようであったゆえ……すまぬ、要らぬことを申したな」
「……いや、ありていに申せば、お主の申す通りよ……サガ様には食を運んで下さるよう伝えてはあるのじゃが……」
「サガ殿からは……?」
「そちらで何とかせい、と……」
「戦場で……?」
「さよう、ただ今はヤマトの城を落としたばかりなれば、ヒタ攻めに回すゆとりはない。王を打ち倒したとは言え噂にすぎず、王の死を見届けるまでは兵も食もヒタには送れず。ヒタが国境を閉じておるなら幸い、そのままそこを塞ぎて、あとは何とかせい、と……」
「そうであったか……いや、よう申してくれた。まこと、そなたのまっすぐなことよ」
「お主であるから話すが、実は儂もこの先どうすればよいか……」
「さよう、そなたらの取り得る道は三つ。サガに帰るかヒタに攻め入るか、あるいはこのままここに留まるか……」
「うむ……されどサガには帰れず、ヒタに攻め入るにはお主の柵と矢が障る。ただここに留まっておっても食が尽きるを待つのみ……」
「実はヒタ様がそなたらのことを大いに案じておられるのじゃ」
「ヒタ殿が……?」
「サガ兵とはいえ同じ倭人。倭人が戦場にて食もなく飢えるのは、見るに忍びない……と」
「……」
「ヤマト王が……王の亡骸が見つかれば、サガ殿はそなたらに食を運んでくれそうか?」
「分からぬ……分からぬが……恐らくサガ様は、儂らのことなぞとうに忘れておられることであろう……」
「さようか……さればどうじゃ? そなたの兵らの食、ヒタから少し分け申そうか?」
「それはありがたいが……お主らからすれば、儂らが飢えて戦えなくなるのが好ましいのではないか?」
「先にも申したであろう。儂からすれば、そなたらが攻めてこなければよいのじゃ。何も、そなたらと争うて、そなたらを斃したいわけではない。何より、戦とならばこちらも傷を負うのは目に見えておる。儂としては、そなたがこちらに攻め寄せなければそれで良いのよ」
「されど、儂らが飢えればより攻めにくくなる、とはお考えになるまいか?」
「さよう、それはそなたの申す通りよ。されど、飢えたそなたらがサガ殿に訴え、その頃には心持の落ち着いたサガ殿が考えを改めて、より多くの兵を率いてこの地に攻め参る……なぞと申すはさらに望ましくない」
「なるほど、それはその通りじゃな」
「されば、儂が考えはこうじゃ。サガ殿はそなたに、食はこの地で何とかせい、と申された」
「そうよ」
「ところがそなたの考えによらば、サガ殿はヒタ攻めには思いを寄せておらず、今やそなたとそなたの兵には心配りをしておられぬ」
「うむ」
「ところが、飢えたそなたが改めてサガ殿の前に立たば、サガ殿の気が変わり、改めて多くの兵を連れてヒタに攻め寄せて来るやも知れぬ」
「ふむ……」
「されば、そなたがこの地で食を得ることが叶わば、そなたは飢えてサガ殿に報せることもなく、しかしてサガ殿がこの地に攻め参ることもなく、儂らも守りを固めることができるというもの」
「……」
「儂らはそなたらに食を分けるが、その代わりそなたらは攻めてはこない。互いにそのように約することは互いの利に敵う、と儂は考えるがミヤ殿のお考えはどうか?」
「いや、しかし儂は……」
「そなたの言いたいこともわかる。されど、そなたは既にサガ殿に報されたはず。すなわち、ヒタの出口を固め、ヒタ兵が出てこられぬように致した、と。さらに続けて、そなたらの食は戦場にて整えたゆえサガ殿の心配りは要り申さぬとそなたが報さば、恐らくサガ殿はそれより後はこちらに気を回さぬであろう」
「確かにお主の申す通り、サガ様にはそのように申さば……されど……」
「ミヤ殿……戦場で最も恐ろしいのは飢えた兵じゃ……兵は飢えれば、何でもしよう」
「飢えた兵は何でも……」
「逃げ出すのであればまだよい。勝つ見込みがないまま攻め込む者、あるいは、兵が互いに殺し合い、その肉を喰らう者……いずれにせよ、兵は飢えさせてはならぬのじゃ……」
「とは申せ、これはヒタ様の申し出を儂がそなたに伝えているに過ぎぬ。ヒタ様はまこと、そなたらが飢えるのを案じておられる。同じ倭人として」
「さようか……ともかくも、儂らのことを案じての申し出、礼を申す。されどしばらく」
「もちろん、夜はまだ長い。どうじゃ、酒でも……」




