第六章:獬豸殿の過去
夜の街は静かだった。
昼間は人々で賑わう商店街も、眠るように沈黙している。
人通りの途絶えた路地裏で、低い声が響く。
「あの悠真とか言う人間、使えなかったな」
声の主は、人ではない。
闇の中に浮かぶのは、二つの青い眼。
「せっかく、封印を解いてやったと言うのにね」
今度は女のような高い声。くすくすと笑い赤い眼が細まる。
「人間などに任せるのが良くなかったのだ」
三つ目の声は、不気味だった。男とも女ともつかない。高いような、低いような。耳に残る奇妙な響き。
やがて街灯の下へ、三つの影が現れる。
一匹は金色の毛並みを持ち、細い目を妖艶に細めている。
一匹は銀色の毛を揺らし、静かに尾を振っていた。
そしてもう一匹は、闇を固めたような黒い毛並みを持つ狐。その瞳だけが異様に金色に光る。
「ふん。私だったら、もっと上手くできた」
金狐が鼻を鳴らす。長い尾がゆらりと揺れた。
「そうだ、きっと上手くできたな」
銀狐が同意する。その声音は柔らかい。
「お前はいつだってそう言うだろう」
黒狐が低く唸る。
「……忌々しい」
三匹の狐の間に、沈黙が落ちた。
金狐が嘆息する。
「人間に生まれ変わっているなど、おいたわしや」
その声には、本物の哀れみが滲んでいた。
「だが、九尾様が蘇るのももうすぐだ」
銀狐の囁くような声。
黒狐が鼻を鳴らす。
「もう十五年以上も前の話だろう」
「だからこそだ。封印は弱まっている。器も育っている」
銀狐が言い返す。
金狐が嬉しそうに尾を揺らした。
「怪異研究学園……人間如きが、よくものうのうと封印の上で暮らしていられるものね」
「人と成った九尾様も、そこへ通われているご様子」
銀狐が静かに言う。
黒狐の口元が、ゆっくり裂けるように歪んだ。
「今こそ、復活の時」
その瞬間、路地裏の闇が蠢いた。
何か巨大なものが壁を這う。
八本の足。
暗闇から現れたのは、巨大な土蜘蛛だった。
カラン、と下駄の音が鳴る。
少年と少女。
鬼童子と鬼姫だ。
二人は楽しげに笑いながら現れる。
その背後では、長い蛇が電柱へ絡み付いていた。
鱗が月光を反射し、不気味に光る。
一匹。
また一匹。
魑魅魍魎の百鬼夜行。
それは、遥か昔より人の世の裏側に潜み続けた怪異たち。
金狐が嗤う。
「さあ、人間たち」
銀狐が静かに囁く。
「祭りの時間だ」
黒狐の金の眼が、妖しく輝いた。
夜の闇が、ゆっくりと蠢き始める。
何か巨大な災厄が、目を覚まそうとしているかのように。
「……やっぱり、ここだけ空気が違う」
珠紀は小さく呟いた。
半ば壊れかけた木戸の前で立ち止まる。
ここだけ、時間が止まっているようだった。
――「書庫」。
「……入っていいのかな」
そう呟きながらも、珠紀の手は自然と戸に伸びていた。
ぎ、と鈍い音を立てて戸が開く。
途端に、乾いた紙と古木の匂いが流れ出した。
中は薄暗く、天井まで届く書架が迷路のように並んでいる。
「すごい……」
ここには、学園の歴史そのものが眠っているようだった。
ふと、奥の机に目が留まる。
珠紀は、慎重に近づいた。
机の上には、革表紙の日記が一冊だけ置かれている。
不思議と、その本だけが珠紀を待っていたように見えた。
「……」
珠紀はそっと、手を伸ばす。
最初のページには、乱れのない古い字で名前が記されていた。
『監査役補佐――』
名前は掠れていた。
だが、その下の日付を見て珠紀は目を見開く。
今からおよそ四十年前。
獬豸殿がまだ機能していた頃の記録だった。
珠紀はページをめくる。
『本日、獬豸殿にて再び異常あり。』
『建物内にて不可解な囁きを聞いた生徒が三名。』
『一名は錯乱、二名は昏睡、全員は医院へ搬送された。』
『学園側は事故として処理。』
『だが、あれは事故ではない。』
『封印が緩んでいる。』
珠紀の脳裏に、夜に見た黒牡丹の庭が浮かぶ。
風もないのに揺れていた花々。
地中から響くような低い音。
そして、自分を見ていた“何か”。
「封印……?」
珠紀は呟く。
次のページには、さらに不穏な記述が続いていた。
『獬豸殿は監査役の拠点として設立された。』
『本来の役目は、生徒を裁くことではない。』
『地下神殿の監視こそが本務である。』
地下神殿。
そんなものがあったのか。
獬豸殿が廃墟となった理由。
学園が隠している過去。
地下に存在する“何か”。
断片的だった違和感が、一本の線として繋がり始める。
――ぱらり。
突然、日記がひとりでにめくれた。
開かれたページには、乱れた文字が刻まれていた。
『いつか、封印は再び揺らぐ。』
『その時こそ――』
黒い染みで、あとは読めなかった。
珠紀は無意識に胸元を押さえる。
その瞬間。
書庫の奥から、かすかな音がした。
――コツ。
誰かの足音。
「……誰?」
返事はない。
だが、書庫の空気は明らかに変わっていた。
何かが、この日記を読んだ珠紀に気づいた。
そんな感覚だけが、じわりと肌にまとわりつく。
珠紀は震える手で日記を閉じた。
翌朝。
空は薄曇りで、学園には重たい霧が漂っていた。
珠紀は昨夜ほとんど眠れなかった。
教室へ向かう生徒たちの声を聞き流し、珠紀は中庭の石畳を速足で歩く。
向かう先は、学園本館最上階。
学園長室だった。
「……直接、聞けばいい」
自分に言い聞かせるように呟く。
桃華なら、何か知っているはずだ。
獬豸殿の過去も。
地下神殿も。
学園長である以上、知らないはずがない。
珠紀は本館へ続く渡り廊下へ足を踏み入れる。
その時。
「どこへ行くのかな?」
低く落ち着いた声が響いた。
珠紀は足を止める。
渡り廊下の柱にもたれるように、冥利が立っていた。
いつもの飄々とした雰囲気はある。
だが今日の彼は、どこか空気が違った。
珠紀は少し警戒しながら答える。
「……学園長に会いに」
「なるほど」
冥利は短く相槌を打つ。
「で、何を聞く?」
「獬豸殿のこと」
冥利は柱から身体を起こし、珠紀の前まで歩いてくる。
「学園長に全部聞くつもりかな?」
「……駄目なの?」
珠紀が問い返すと、冥利は鼻で笑った。
「無駄だよ」
その声は冷静だ。
「あの人は核心を話さない」
「でも、学園長なら――」
「知ってるさ。たぶんね。けど、知ってること全部を話す人じゃない。この学園は隠し事だらけだ」
珠紀は黙って冥利を見つめる。
彼は、冗談を言っているようには見えない。
「君は、何を見た?」
「古い日記……監査役の記録だった」
「……そうか」
「地下神殿のことも、書いてあった」
「……あそこには昔から“何か”がいる。学園はそれを管理するために作られた部分もある」
やはり、日記の内容は事実なのだ。
「じゃあ、獬豸殿が廃墟になった理由は……」
「それ以上は、自分で調べろ」
「どうして?」
「他人から聞いた答えなんて、真偽は定かじゃないだろう? 自分で見て、自分で考えろ。君は『監査』だろう」
不気味な日記も。
地下に眠る“何か”も。
全部が恐ろしい。
だけど。
「知りたいの。獬豸殿で何があったのか。なんで私があそこに惹かれるのかも、私の体質についても」
冥利はしばらく珠紀を見ていたが、やがて小さく笑った。
「なら好きにすると良い」
彼は背を向ける。
そう言い残し、彼は霧の向こうへ消えていく。
珠紀はその背中を見送りながら、ゆっくり息を吐いた。
学園長に聞くだけでは、本当の答えには辿り着けない。
なら、自分で探すしかない。
獬豸殿の過去。
地下神殿の秘密。
そして、自分の体質についても。
数日後。
長らく静まり返っていた獬豸殿に、久しぶりの喧騒が戻っていた。
朝早くから工務部の怪異たちが飛び回り、木材を運ぶ音や道具を調整する金属音が廊下に響いている。
割れていた窓は新しい結界硝子へ交換され、軋んでいた床板も張り替えられ始めていた。
「……なんか、別の建物みたい」
珠紀は廊下に立ちながら呟く。
ほんの数日前まで、この場所は完全に忘れ去られた廃墟だった。
だが今は違う。
灯りが戻り、人の気配があるだけで、獬豸殿の空気は少し柔らかく感じられた。
「九条さん、おはよう」
後ろから元気な声が飛ぶ。
振り返ると、羽衣が歩み寄って来た。会うのは久しぶりだ。
「羽衣先生」
羽衣は珠紀が声をかけた瞬間、僅かに目を細めた。
「……調子はどう?」
「ええと、それなりに元気です」
答えると、羽衣は「よかった」と微笑する。
「獬豸殿、正式に再整備することになったわ」
「そんな急に?」
「学園長命令よ。“獬豸殿の機能を復旧せよ”と」
だが珠紀は、胸の奥に小さな引っかかりを覚えていた。
――タイミングが良すぎる。
まるで、自分が日記を見つけたことを知っているかのようだった。
羽衣は視線を廊下の先へ向ける。
改修中の獬豸殿。
新しい木材と、古い建築が入り混じる異様な光景。
「獬豸殿が賑やかになるのは、ずいぶん久しぶりね」
珠紀は思い切って尋ねる。
「先生は、この建物のことを知ってるんですか?」
「ええ、少しだけ。……この寮は学園の“境界”を守る場所よ」
珠紀の心臓が小さく跳ねる。
日記に書かれていた言葉が脳裏をよぎった。
羽衣は珠紀へ向き直る。
「あなたはもう、気づき始めているのでしょう?」
「先生は……昔の怪異事件を知ってるんですか?」
「知りすぎた人は、長生きできない世界もあるわ」
静かな笑みのまま、羽衣はそう言った。
ぞくり、と珠紀の背筋が冷える。
羽衣は、少しだけ困ったように笑った。
「怖がらせるつもりはなかったの。ごめんなさいね」
だが珠紀には分かった。
この人は、確実に何かを知っている。
しかも、それは学園の奥深くに関わる秘密だ。
羽衣は去り際、ふと足を止める。
「九条さん」
「はい」
「もし獬豸殿の過去を追うなら、一人で抱え込まないこと」
羽衣は珠紀をまっすぐ見つめた。
「心を強く持って」
それだけ言い残し、羽衣は静かに廊下の奥へ消えていく。
珠紀は改修の進む獬豸殿を見上げる。
古びた建物は少しずつ新しい姿へ変わり始めていた。
獬豸殿の改修が始まってから一週間。
学園の空気は、目に見えて騒がしくなっていた。
その理由は明白だった。
――寮対抗戦。
各寮が総力を挙げて競い合う一大行事だ。
食堂でも、渡り廊下でも、その話題ばかり。
珠紀はそんな喧騒を聞き流しながら、獬豸殿の談話室で配布資料を見つめていた。
机の上には分厚い冊子。『寮対抗戦監査規則書』だ。
「……量、多すぎない?」
思わず本音が漏れる。
「諦めた方がいいだろうね」
向かい側に座る冥利が、肩をすくめた。
「監査役は競技そのものには参加しない代わりに、全部把握しなきゃならない」
「全部って……」
珠紀は資料をめくる。
違反行為一覧。
怪道具の制限規定。
暴走時の緊急対応。
結界破損時の責任区分。
果ては「精神干渉の基準」まで書かれていた。
頭が痛くなる。
「寮対抗戦は建前上“親睦イベント”だが、実際は寮の面子争いだ」
「そんなに険悪なの?」
「かなりね」
即答だった。
珠紀は小さくため息をつく。
監査役など、重い役割だ。
「……私にできるかな」
と、談話室の扉が勢いよく開いた。
「珠紀ちゃーん!」
飛び込んできたのは千歳だった。
その後ろから、静かに花露も入ってきた。
「差し入れ持ってきたよ!」
千歳は机の上に包みを並べ始める。
「これ、購買の限定蒸し饅頭! 対抗戦前だから特別販売なんだって!」
花露は小さな急須を取り出す。
「珠紀、少し休憩しよう」
千歳は資料を覗き込み、げんなりした顔をした。
「うわ、監査役ってこんなの読むの!? 無理無理!」
そのやり取りに、珠紀は小さく笑ってしまった。
さっきまで胸を押し潰していた重苦しさが、少し軽くなる。
花露は湯呑みを珠紀の前へ置きながら、優しく言った。
「珠紀は真面目だから、全部一人で抱え込もうとしてるでしょ?」
図星だった。
花露は静かに微笑む。
「公平であることと、一人でいることは違う」
千歳も大きく頷く。
「そうそう! 困ったら頼ればいいんだよ!」
その時、校内放送が鳴り響く。
『全生徒に通達します』
桃華の声だった。
『三日後より、寮対抗戦を開催します』
窓の外から歓声が上がる。
『各寮は誇りを胸に、正々堂々と競いなさい』
一瞬、放送が途切れる。
『なお監査役には、全競技における最終裁定権が与えられます』
珠紀の肩がぴくりと揺れた。
冥利が横目で見る。
「……重いだろ?」
「なんとかやってみせる」
そう答えると、冥利のその口元は笑っていた。
寮対抗戦を三日後に控えた学園は、熱気に包まれていた。
珠紀は分厚い記録板を抱えながら、夕方の演習区画を歩いていた。
「……本当に終わるのかな、これ」
思わず呟く。
その時だった。
――ドン!!
激しい衝撃音が響いた。
地面が震え、遠くで悲鳴が上がる。
「っ!?」
煙が上がっている。
珠紀は駆け出した。
演習場へ辿り着くと、地面が大きく抉れている。
周囲には避難した生徒たち。
その中心で、鳳凰殿の男子生徒が巨大な怪道具を手に立っていた。
金属製の筒状怪道具。
「……あれ、規制指定怪道具……!?」
すぐ近くでは、青龍殿の生徒たちが怒声を上げていた。
「ふざけんなよ!!」
「そんなもん使って模擬戦する気か!?」
鳳凰殿の生徒は鼻で笑う。
「壊れてねぇんだから問題ないだろ」
空気が険悪になる。
珠紀は咄嗟に二組の間へ入った。
「やめてください!」
周囲の視線が集まる。
珠紀は監査役の腕章を見せた。
「その怪道具は使用禁止区分です。即時使用停止、ならびに提出を命じます」
一瞬、静寂。
だが次の瞬間。
鳳凰殿の男子生徒たちが吹き出した。
「誰かと思えば獬豸殿の新人かよ」
嘲笑が広がる。
「規則です。従ってください」
だが相手はまるで意に介さなかった。
「監査役ってそんな偉いの?」
「対抗戦前だからって調子乗ってんなよ」
誰も聞こうとしない。
鳳凰殿の生徒が、挑発するように怪道具を肩へ担ぐ。
「で? 止めるなら止めてみろよ」
珠紀は震える足を踏み締めた。
「……提出してください」
次の瞬間、怪道具を持つ男子生徒の腕に青白い雷が走る。
「っ!?!?」
怪道具が地面へ落ちた。
演習場入口に、冥利が立っていた。
「監査役命令無視かな」
鳳凰殿の生徒たちの顔色が変わる。
「禁止級を無断使用。しかも訓練区域外まで出力漏れ」
淡々とした口調だった。
「退学処分でも文句言えないな」
さっきまでの威勢が嘘みたいに消えていた。
冥利は珠紀へ視線を向ける。
「没収記録をつけるんだ」
「……え?」
「監査役だろう。仕事だよ」
珠紀は慌てて記録板を開いた。
鳳凰殿の生徒たちは悔しそうにしながらも、逆らわなかった。
騒ぎは収束し、生徒たちも散り始めた。
冥利は珠紀を見て、息を吐く。
「気にするな」
「……でも、私じゃ止められなかった」
珠紀は唇を噛む。
「みんな、全然聞いてくれなくて……」
「強くなると良い。そうすれば、気にもならないさ」
珠紀は記録板を抱き締める。
怪道具騒動から二日。
学園内の空気はさらに張り詰め、監査役への不満も少しずつ広がっていた。
「獬豸殿が口出ししてきたらしい」
「対抗戦前なのに厳しすぎない?」
「新人のくせに偉そうなんだよ」
そんな声が、珠紀の耳にも入る。
獬豸殿の談話室。
改修途中の部屋には木材の匂いが残っている。
珠紀は机に向かい、違反記録書を整理していた。
『鳳凰殿所属生徒 三名』
『規制怪道具無断使用』
『設備破損確認』
淡々と記録を書き込む。
「……これでいいんだよね」
呟く。
その時。
勢いよく扉が開いた。
「珠紀ちゃん!!」
千歳だった。花露も入ってくる。
「差し入れと、追加資料を持ってきた」
花露が告げ、珠紀は目を瞬かせた。
「え……なんで?」
「なんでって、手伝うためだけど?」
千歳は机の上へ書類を置いた。
「違反記録の証言まとめ! あと演習場周辺の目撃証言も集めといた!」
珠紀は驚く。
「こんなに……?」
花露は珠紀の隣へ座り、記録書を覗き込んだ。
「珠紀の裁定自体は間違ってない。処分としては軽いくらい」
「でも……かなり反発されてる」
珠紀が小さく言うと、花露は目を細めた。
「感情で裁定を変えれば、監査役の意味がなくなる」
千歳は隣で頷く。
「そうそう! 珠紀ちゃん、ちゃんと監査役してたよ! それにさ、ちゃんと見てる人もいるから」
「え?」
「青龍殿の人たち、あとで“助かった”って言ってたよ?」
珠紀は目を瞬かせる。千歳は笑った。
「危険怪道具、ほんとはかなり怖かったみたい」
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
三人で記録整理を進めているうちに、外はすっかり夜になっていた。
「そろそろ、消灯の時間よ」
羽衣だ。
「いい仲間を持ったのね」
羽衣が微笑むと、千歳がえへん、と胸を張る。
「友達ですから!」
羽衣は微笑した。
珠紀は羽衣を見上げる。
「監査役って……やっぱり嫌われる役目ですか」
「ええ。公平である限り、必ず誰かにとって都合の悪くなる。誰を好きかではなく、何が正しいかを選べるか。それが監査役に必要な資質よ」
迷いのない答えだった。
「それと、無理をしすぎないこと。監査役は倒れたら終わりだから」
それだけ言い残し、羽衣は静かに去っていく。
その時、珠紀の端末が小さく震えた。
届いたメッセージを見て、珠紀は目を見開く。
差出人は――冥利。
『今日はよく頑張ったね』
短い文だった。
けれど、不思議なくらい胸に沁みた。
珠紀は思わず小さく笑う。
寮対抗戦前日。
珠紀は一人、本館最上階へ向かっていた。
夕方、突然届いた呼び出し。
差出人は学園長の桃華。
胸の奥に小さな緊張が広がる。
以前、獬豸殿について聞こうとして冥利に止められたことを思い出した。
重厚な扉の前で珠紀は一度深呼吸し、扉をノックする。
「入りなさい」
珠紀は扉を開けた。
「……失礼します」
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」
くす、と桃華は笑う。
「今日は、少し大事なお話を。『異能持ち』という言葉を聞いたことは?」
珠紀は首を横に振る。
「怪異は、必ずしも人を襲うだけの存在ではありません。時に人へ影響を残すことがある。例えば怪異との接触、血統、呪詛、契約――理由は様々ですが、その力を宿して生まれる者たちがいます。それが、“異能持ち”」
部屋が静まり返る。
「異能持ちは珍しい存在です。ですが、この学園には特に多い。なぜなら、この学園そのものが怪異と近すぎる場所だから」
意図を図りかねていると。
「その人たちを、あなたに紹介しておこうと思いまして」
珠紀は目を瞬かせる。
「どうしてですか?」
「監査役だからですよ」
即答だった。
「対抗戦では、異能持ちの力が大きく関わります。力が暴走する者もいる。怪異に呑まれる者もいる」
珠紀は思わず唇を引き結ぶ。
「あなたが“そこに立つ”ことに意味があるのです」
だが桃華は、それ以上詳しく語ろうとはしなかった。
「明日の夜、集会を開きます。異能持ちたちとの顔合わせですよ」
さらりと言う。
「まあ、全員集めるのは少々骨が折れますけどねぇ。各寮の異能持ちは、良くも悪くも癖が強い方ばかりです」
「……はぁ」
「喧嘩もしますし、協調性もありませんし、問題も起こします」
「学園長が言うんですか、それ」
「事実ですから」
桃華は笑った。珠紀は肩の力が抜ける。
「ですが、彼らはこの学園にとって極めて重要な存在です。怪異と最も近く、最も危うい。……というわけで、明日の夜。獬豸殿の大広間へ来てください」
「獬豸殿でやるんですか?」
「ええ。あそこが一番都合がいいので」
都合が良いとは。
「さて、私は問題児たちをどうにか呼び出してこないと」
「……全員来るんですか?」
「来ますよ」
笑みには確信があった。
「“獬豸殿に呼ばれた”なら、ね。……ああ、みなさん興味があるんですよ。“異能が効かない”あなたに。あとは……新しい仲間に?」
桃華は軽く言う。
それから、珠紀は学園長室を出る。




