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日本帝国立怪異研究学園―九尾の野望―  作者: 月乃宮 夜見
黒牡丹の監査者

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第三章:学園案内と七つの寮

――こんこん。


静かなノック音が部屋へ響く。


珠紀は小さく肩を震わせたあと、慌てて部屋の出入り口へ向かった。


「は、はい」


引き戸を開けると、冥利が立っていた。


黒い制服姿の彼は昨夜と変わらず落ち着いた雰囲気を纏っている。胸元には、紫色の藤の花を模した寮章が留められていた。


「おはよう」


「……おはようございます」


珠紀がぎこちなく返すと、冥利は小さく頷いた。


「制服、問題なさそうだね」


「え、あ……はい」


珠紀は思わず自分を見下ろす。冥利はそれを見て、僅かに口元を緩めた。


「似合ってるよ。少なくとも昨日よりは、ちゃんと学園生に見える」


「そ、そうですか……?」


言われ、珠紀は戸惑う。冥利はそれ以上深く触れず、廊下へ視線を向けた。


「連れてきた責任があるからね。今日は学園を案内する」


「案内……?」


「監査役になるにしても、まず学園を知らないと話にならないだろ」


もっともな言葉だった。珠紀は小さく頷き、部屋を出る。


広い寮に、自分しか住んでいない事実を改めて実感する。


「……本当に誰もいないんですね」


歩きながら呟くと、冥利は前を向いたまま答えた。


「今はね。獬豸殿は再設立されたばかりだから」


“今は”。


その言葉に引っかかりを覚えたが、珠紀が問い返す前に冥利は話題を変えた。


「朝食は食堂だ。各寮に小さい炊事場もあるけど、大抵の生徒は食堂を使う」


「普通の学校みたいですね」


「まぁ、生活部分は意外と普通だよ」


そう言う冥利の声は、どこか可笑しそうだった。

獬豸殿を出ると、朝の学園が姿を現す。


石畳の道。

朝露に濡れた庭園。

風に揺れる桜の枝。


登校する生徒たちの姿も見え始めていた。皆、珠紀と同じ黒い制服を着ている。だが、その雰囲気はどこか独特だった。

珠紀だけが、取り残されたような気分になる。


すると前方から、

数人の女子生徒の視線がこちらへ向いた。


「ねぇ、あれ……」


「獬豸殿の……?」


小さな囁き声に、珠紀は反射的に肩を強張らせた。冥利は気にした様子もなく歩き続ける。


「昨日のうちに話は広まってるだろうな」


「えっ」


「新しい監査役が来たって」


珠紀の胃がきゅっと縮む。

まだ何もしていないのに、もう注目されている。

監査役という立場の重さを、少しだけ実感した。


やがて二人の前に、大きな和風建築が見えてくる。

幾つもの提灯が下がり、開け放たれた入口からは湯気と賑やかな声が流れていた。


「ここが食堂」


冥利がそう告げる。


食堂の中は、珠紀が想像していたよりずっと賑やかだった。


外観は古風な和風建築だったが、中へ入ると大きな吹き抜け空間が広がっている。木造の梁が高い天井を支え、長机が規則正しく並べられていた。


湯気と食事の香りが漂い、朝の活気が満ちている。


昨日までいた普通の学校と違うはずなのに、こうして食堂の光景だけ切り取ると、どこか学生らしい日常にも見える。


配膳口には和食中心の朝食が並んでいる。

焼き魚、味噌汁、白米、卵焼き。

意外なほど普通だ。


「……ちゃんとした食堂なんですね」


珠紀が思わず呟くと、冥利は小さく笑った。


「何だと思ってたんだ?」


「もっとこう……怪しい薬膳とか出るのかと」


「それは医療棟の方だね」


真顔で返され、珠紀は一瞬固まる。冥利は冗談なのか本気なのか分からない顔のまま席へ向かった。


窓際の比較的人が少ない席へ腰を下ろす。

周囲の生徒たちから時折視線を感じるが、強い緊張はなかった。


珠紀は味噌汁へ口をつけ、小さく息を吐く。

温かい。

その当たり前の感覚に、少しだけ安心した。


すると冥利が箸を動かしながら口を開く。


「獬豸殿の方はどうだった」


「……正直、かなり怖かったです」


珠紀は即答した。


昨夜の静まり返った廊下や廊下の軋む音を思い出し、珠紀は顔をしかめる。


「埃っぽいし、広すぎるし、夜は変な音するし……」


「古い建物だからね。獬豸殿は長い間閉鎖されていた」


冥利は、味噌汁を一口飲んで続ける。


「今の獬豸殿が設備不足なのは事実だ。黒漆の柱とか牡丹庭園とか、見た目だけは立派だけど」


「見た目だけ、なんですね……」


「住み心地は最悪だろ?」


珠紀は静かに頷いた。昨夜はまともに眠れた気がしない。

すると冥利は少しだけ視線を和らげた。


「学園長は設備を整えるつもりらしい」


「……本当に?」


「一応ね。予算申請すると聞いた」


「一応って……」


「学園長は、妙な所で大雑把だから」


冥利は平然と言った。珠紀は思わず苦笑する。

なんとなくだが、学園長の性格が少し分かってきた気がした。


「でも、放置するつもりはないはずだ。時間はかかるだろうけど」


冥利はそう言って箸を置く。


「だから、気長に待つといい」


その声音は不思議と、珠紀を安心させる響きがあった。珠紀は小さく息を吐く。まだ不安は消えないし、分からないことだらけだ。


それでも。

こうして誰かと話しながら朝食を食べていると、ほんの少しだけ、この場所で暮らしていける気がした。


朝食を終え、珠紀は冥利と共に食堂を後にした。

外に出れば、学園はすっかり活動を始めていた。


さっきまでは気づかなかったが、生徒たちの制服にはそれぞれ異なる色の寮章が付いている。


紅、橙、緑、黄、蒼、紫、藍――。


花を模した意匠も様々だ。


珠紀が興味深そうに視線を向けていると、冥利が口を開いた。


「気になるかな?」


「え? あ、はい」


珠紀は少し慌てて頷く。冥利は歩調を緩め、そのまま説明を始めた。


「この学園には、七つの寮がある。怪異研究学園の生徒は、それぞれの気質や適性に応じて寮へ所属する。単なる生活区分じゃない。研究方針も文化も、全部違う」


まるで、異世界の学校説明を聞いている気分だ。


「まず朱雀殿」


冥利は前方を指差す。石橋の向こうに見える建物は、鮮やかな朱塗りが印象的だった。


「正義感が強い連中が多い。実戦派も多くて、怪異対処任務への参加率が高いな」


冥利は即答した。


「次が鳳凰殿。行動力重視だ」


遠くに見える建物を見ながら、冥利は続ける。


「好奇心が強くて、危険な領域にも平気で踏み込む。問題児率も高い」


「それ学園側として大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃない時もある」


真顔で返され、珠紀は言葉に詰まる。冥利は気にせず続けた。


「青龍殿は統率。規律や秩序を重んじる」


珠紀は頷く。


「麒麟殿は知性と研究特化。怪異理論や怪道具開発の中心だ」


珠紀は何となく頭が良さそうな寮だ、と思考した。


「白虎殿は穏健派。治療や精神安定系の能力者が多い。比較的空気は平和だな」


落ち着いた雰囲気があり、庭園も柔らかな色合いの花で統一されていた。


「白澤殿は……まぁ、一番自由」


冥利は、自分の胸元にある紫色の寮章を軽く指で示した。藤の花を模した紋章だ。


「個性派揃い。研究内容も性格もバラバラだ。僕も白澤殿所属」


「冥利先輩、なんとなく分かる気がします」


「どういう意味かな?」


「自由そうというか……マイペースというか……」


「褒め言葉として受け取っておくね。それで、最後が玄武殿」


学園の奥側に見える建物は、静かで重厚な雰囲気だ。


「伝統と格式を重視する寮だ。名家出身者も多い」


冥利は短く答える。


珠紀は頭の中で必死に整理した。冥利は珠紀へ視線を向ける。


「君の獬豸殿はどこにも属さず、中立を保つ場所」


言われ、監査の役割を思い出す。


「まずは学園に慣れよう。監査役の仕事は、その後だ」


その言葉に、珠紀はほんの少しだけ肩の力を抜いた。


怪異研究学園は広い。


ただ校舎が並んでいるだけではなく、それぞれの区域ごとに空気そのものが違って感じられた。


「まず朱雀殿から案内しよう」


冥利が前方を指差す。

視線の先には、鮮やかな紅色を基調とした大きな建物があった。


「……すごい」


珠紀は思わず呟く。

門の近くでは、数人の生徒が整列している。

制服の着こなしも隙がなく、背筋が真っ直ぐ伸びていた。


「朱雀殿は紅色と菊が象徴。正義感が強い者が多い」


冥利はどこか慣れた口調で説明する。


「学園内でも規律を重視する寮だ。校則違反とか怪道具の違法使用にはかなり厳しい」


「じゃあ、真面目な人たちなんですね」


「真面目すぎるとも言う」


冥利は小さく肩を竦めた。


「融通が利かない奴も多いから、他寮と衝突しやすい」


「……結構怖いですね」


「日常茶飯事だよ」


冥利は平然としていた。

どうやら朱雀殿は本当に規律第一らしい。


そのまま二人はさらに歩いていく。

やがて空気が変わった。


先ほどまでの張り詰めた雰囲気とは違う。


もっと荒々しく、熱気を帯びた空気。


「次が鳳凰殿。橙色と薊が象徴」


そこにあったのは、橙色を基調とした活気ある建物だった。


朱雀殿の整然さとは対照的に、こちらは自由奔放という印象を受ける。


門は大きく開かれ、中庭からは笑い声や叫び声が響いていた。


「なんか……騒がしいですね」


珠紀が率直な感想を漏らすと、冥利が少し笑う。

その時、校庭の方から金属音が響いた。


珠紀が視線を向ける。

そこでは数人の生徒が木刀を使って訓練していた。


激しくぶつかり合う音。

周囲では野次を飛ばす生徒たち。


まるで道場と不良校を足して割ったような光景だった。


「ここは実力主義で行動力重視。優秀な奴も多いし、怪異対応能力も高い」


「でも……」


珠紀は校庭で笑いながら乱闘寸前みたいな訓練をしている生徒たちを見る。


「なんというか、不良っぽい人も多いですね……」


「実際多い。問題起こす頻度も高い。その分、現場対応は強い」


珠紀は苦笑する。


すると突然、庭側から大きな歓声が上がった。


「おおおお!!」

「また勝った!」

「やっぱつえぇ!」


珠紀が驚いて振り向く。


「鳳凰殿の幹部クラスだな」


冥利は興味無さそうに答える。


「トップの連中はかなり頭が切れる。喧嘩っ早いけど」


「怖い場所……」


珠紀は思わず本音を漏らした。

普通の学校なら絶対見ない光景ばかりだ。

だが同時に、どこか胸が高鳴っている自分にも気づく。


鳳凰殿の熱気を後にする。先ほどまで聞こえていた怒号や歓声が遠ざかるにつれ、周囲の空気も次第に落ち着いていく。


「次は青龍殿だ」


冥利が前方へ視線を向ける。


そこに見えた建物は、これまでの寮とはまた違う雰囲気を纏っていた。


深い緑を基調とした瓦屋根。整えられた庭園。風に揺れる桃の花。


建物全体に統一感があり、どこか気品すら感じられる。


「綺麗……」


珠紀は思わず足を止めた。

庭園では数人の生徒たちが穏やかに会話をしている。

誰も大声を出したりせず、静かな笑い声だけが風に乗っていた。


鳳凰殿と正反対だ。


「青龍殿は緑色と桃の花が象徴」


冥利が説明を続ける。


「統率力を重視する寮だ。協調性が高くて、学園内の調整役になることも多い」


「なんだか、すごく平和そうですね」


「実際かなり穏やかだよ。無駄な争いを嫌う者が多い」


冥利はそう言いながら、庭園の方へ目を向けた。


「あと、美形が多いと噂もある」


「えっ」


「見てみれば分かる」


珠紀は恐る恐る青龍殿の生徒たちを見る。

確かに、整った顔立ちの人が多い気がした。


長い黒髪を結った男子生徒。

涼しげな目元の女子生徒。


まるで古い映画の俳優みたいに雰囲気が洗練されている。


「……ほんとだ」


思わず呟いてしまい、珠紀は慌てて口を押さえた。冥利が小さく笑う。


しばらく歩くと、今度は空気が変わった。


静かだ。

だが先ほどの穏やかさとは違う。

もっと張り詰めた、集中の空気。


「ここが麒麟殿」


冥利の言葉と共に、巨大な建物が姿を現した。


黄色を基調とした校舎。

高く積み上げられた書庫棟。


窓の向こうでは大量の本が並び、生徒たちが机へ向かっている姿が見える。


「うわ……」


珠紀は圧倒される。

まるで大学の研究施設みたいだった。


「麒麟殿は座学特化のエリート集団」


冥利は淡々と説明する。


「頭脳系分野の中心だな」


「すごく頭良さそう……」


「学園内でも成績トップクラスが集まる」


だが冥利はそこで少し言葉を区切った。


「ただ、二極化が激しい」


「二極化?」


「天才か、落ちこぼれか」


珠紀は瞬きをする。

冥利は書庫棟を見上げながら続けた。


「能力主義の色が強いからな。成果を出せる奴は徹底的に評価される。逆に結果を出せない奴は埋もれる」


珠紀は窓際で難しい資料を読んでいる生徒たちを見る。

全員真剣な表情をしている。


「なんだか……大変そうですね」


「実際大変だよ。麒麟殿は競争が激しい」


冥利はあっさり答える。


麒麟殿を離れると、張り詰めた空気が少しずつ和らいでいった。辺りは緑が多く、風もどこか柔らかい。


珠紀は歩きながら小さく息を吐く。

寮ごとに空気が違いすぎて、頭の整理が追いつかない。


「次は白虎殿。蒼色と梨の花が象徴」


視線の先には、蒼色を基調とした落ち着いた建物があった。他の寮に比べて装飾は控えめだが、その分どこか清潔感がある。


「なんか……安心する場所ですね」


珠紀が素直な感想を漏らす。冥利は小さく頷いた。


「白虎殿は真面目で穏やかな連中が多い。回復系能力者や医療担当もここが中心だ」


「病院みたい……」


「実際、怪我した時は大抵ここに運ばれる」


冥利は淡々と説明する。


「怪異絡みの負傷は普通の医者じゃ対応できない場合も多いからね」


珠紀は思わず自分の腕を抱えた。

“怪異絡みの負傷”。そんな言葉が自然に出てくる辺り、この学園の異常さを改めて感じる。


「優しい人が多そうですね」


「まぁね」


冥利は頷く。


そのまま歩き続ける。


「ここが白澤殿」


冥利の声音が少しだけ変わった。珠紀は前を見上げる。


「……え?」


思わず間抜けな声が出た。

他の寮とは明らかに違ったからだ。まず建物が統一されていない。


和風建築のはずなのに、増築を繰り返したような奇妙な構造になっている。


廊下には大量の紙札。

庭には謎の機械。

どこかで爆発音まで聞こえる。


「ちょっ……!?」


珠紀が驚いた瞬間。


ぼんっ!!


白煙が建物の奥から噴き上がった。


「失敗したー!!」

「だからそれを混ぜるなって言っただろ!!」


誰かの叫び声。珠紀は立ち止まる。


「……ここ、寮ですよね?」


「一応」


珠紀は頭を抱えたくなる。

入口付近には奇妙な装飾品が山積みになっていた。

まるで怪しい骨董屋と研究所と秘密基地を全部混ぜたみたいだ。


「白澤殿は紫色と藤の花が象徴」


冥利はそんな混沌を前に、淡々と説明を続ける。


「個性重視の寮だからな。研究内容も性格もバラバラ」


「自由すぎません……?」


「否定はしない」


冥利は小さく肩を竦めた。


「変人揃いだよ。僕もその一人だけど」


「……自覚あるんですね」


「ちゃんとある」


冥利は真顔で返す。


そのやり取りが少し可笑しくて、

珠紀は小さく笑った。


冥利は飄々としていて掴みどころがない。

けれどこうして学園を案内してくれる姿を見ると、案外面倒見は悪くないのかもしれない。


白澤殿の騒がしい空気の中で、珠紀はほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。


白澤殿の騒がしい空気を抜けると、学園の景色は再び落ち着きを取り戻していった。

珠紀は小さく息を吐く。


「あれが“個性派”なんですね……」


「まだ控えめな方だよ」


冥利は平然としている。


「控えめ……?」


珠紀はこれ以上の混沌が存在するのかと少し怖くなった。

そんな彼女をよそに、冥利は歩みを進める。


やがて学園の奥まった区域へ辿り着いた。

空気が静かだ。


だが白虎殿の穏やかさとも、青龍殿の調和とも違う。

もっと張り詰めた、洗練された静寂。


「ここが玄武殿」


目の前に現れた建物を見て、思わず息を呑んだ。


「……すごい」


豪華だった。

藍色を基調とした巨大な寮舎は、他の寮より一段高い場所に建てられている。


広い石階段。

磨き上げられた回廊。

庭園には見事な梅の木々が並び、白と紅の花が風に揺れていた。

まるで旧華族の邸宅だ。


門の前を通る生徒たちも、どこか品がある。


制服の着こなしひとつ取っても洗練されていて、自然と背筋が伸びるような空気が漂っていた。


「玄武殿は藍色と梅が象徴」


冥利は静かに説明する。


「伝統と格式を重んじる寮だ。結束力もかなり強い」


「なんだか……別世界みたい」


珠紀は素直に呟いた。

冥利は少しだけ苦笑する。


「財閥とか名家出身も多いよ」


その時、玄武殿の前を数人の生徒が通り過ぎた。

立ち振る舞いが妙に綺麗だ。

話し方にも余裕があり、自然と気品を感じる。


「……なんか近寄りがたいですね」


「実際、壁はあるかもね」


冥利は否定しない。


「でも実力主義でもある。家柄だけじゃ生き残れない」


その言葉に、この学園の厳しさを改めて感じる。


どの寮も、それぞれ独自の価値観を持っている。

そして、その全てが怪異研究学園という巨大な組織を形作っているのだ。


「獬豸殿に戻ろうか」


「……はい」


冥利に声をかけられて、珠紀は自然と表情を引き締める。二人は再び学園の外れへ向かった。


賑やかな校舎群から離れ、人気の少ない道を歩く。


やがて見えてくる黒漆塗りの建物。

黒牡丹の咲く庭。

古びた獬豸殿だった。


玄武殿の豪華さを見た後だと、余計に時代から取り残された建物に見える。


「……やっぱり古い」


珠紀がぽつりと漏らすと、冥利は小さく笑った。


「まぁね」


風が吹き、黒牡丹が静かに揺れる。


「獬豸殿の象徴は黒と牡丹」


冥利はその花を見ながら続けた。


「意味は“公平”。どの寮にも属さず、監査役として学園全体を見る立場だ」


珠紀は黙って耳を傾ける。


「君のその体質が、獬豸殿設立の理由らしい」


珠紀は目を見開く。


「……私が?」


珠紀は無意識に自分の手を見下ろした。

怪道具が効かない体質。

昨日までは知らなかった、自分の異質さ。


「怪異研究学園は力の集まりだ。だからこそ、公平に判断できる存在が必要になる」


「……そんな大事な役目、私にできるのかな」


呟くと、冥利は目を細めた。


「最初から完璧な奴なんていない。でも君は、少なくとも“誤魔化されない”」


その言葉には、どこか確信の響きがあった。

珠紀は静かに獬豸殿を見上げる。

昨日まではただ不気味なだけだった建物が、今はどこか静かに自分を待っているように感じられた。


それぞれ全く違う空気を持ちながらも、皆この学園で生きている。

怪異研究学園という場所は、珠紀が想像していたよりずっと広く、複雑で、そして魅力的だった。


「疲れたかな?」


隣で冥利が訊ねる。珠紀は少し考えた後、小さく笑った。


「……かなり」


「だろうね。一日で全部理解しろって方が無理だ」


珠紀は獬豸殿の門へ視線を戻す。


「でも、少し分かった気がします」


「何を?」


「この学園が、どんな場所なのか」


冥利は黙って続きを待った。珠紀はゆっくり言葉を探す。


「みんな違ってて、変わってて……危なそうな人もいるけど」


少し苦笑する。


「でも、それぞれちゃんと役割があるんですよね」


冥利は小さく頷く。


「怪異を扱う以上、力だけじゃ成り立たないからな」


「だから監査役が必要……」


珠紀が呟くと、冥利は彼女を見る。


「どの寮にも偏らない目。感情や立場じゃなく、公平に判断する存在」


その言葉は静かだった。けれど重みがある。


「君の体質は、そのための鍵なんだ」


珠紀は自分の胸元へそっと触れる。まだ実感は薄い。

だが少なくとも、この学園に必要とされているのは確かだった。


「……正直、まだ怖いです」


珠紀はぽつりと本音を漏らした。


「自分にこんな役目ができるのか分からないし、怪異のことも全然知らないし」


冥利は否定しない。ただ静かに聞いていた。


「でも」


珠紀はゆっくり顔を上げる。


「逃げたくない、って思いました」


その言葉に、冥利がほんの少しだけ目を細めた。


「なら十分だ」


短い言葉だった。だが、それだけで少し救われた気がした。


昨日までは、知らない世界だった。

怖くて、不気味で、理解できない場所だった。


けれど今は、ほんの少しだけ違う。

ここでなら、何かを見つけられるかもしれない。

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