第十三章:学園の七不思議
獬豸殿の談話室に着いた。
空気が少し和らいだところで、珠紀は震える声で羽衣に尋ねた。
「……どうすれば、九尾の影響を薄れさせられるんですか? 私に、何ができるんですか……?」
羽衣は少し間を置いた。机の上で指を軽く組み、珠紀の目を見つめる。その目には、計算と慈悲が同居していた。
「先程の学園長が言っていた通り。この学園には、古くから『七不思議』と呼ばれる特別な怪異現象が存在するの。それらに関わることが、唯一の有効な手段なのよ」
「……七不思議がある、と言うのは聞きましたが」
珠紀は眉を寄せ、戸惑いの表情を浮かべた。以前通っていた学校の怪談や都市伝説として、ぼんやりと耳にしたことはあった。しかし、この学園のそれが自分の呪いと直接関係しているとは、想像もしていなかった。
桃華から示されたものの、それがはっきりと自身の呪いと関係があるとは自覚できていなかったのだ。
そもそも、この学園にある七不思議とは一体何だろうか。珠紀はまだこの学園に来てから浅い。千歳や冥利なら、何か知っているのかもしれない。
羽衣は静かに頷き、続けた。
「この学園のそれは、単なる怖い話や迷信ではないわ。それぞれが学園の封印システムの重要な節目となっているの。それは学園長が言っていた通りよ」
言われ、珠紀は頷く。学園にある七不思議は、ただの噂話などではなく学園に関わるもの。怪異を研究している学園ならではだろう。そう、珠紀は思う。
「あなたがそれらに積極的に関わり、謎を解き、現象を安定させることで……九尾の力を少しずつ弱められるはず」
珠紀はまだ混乱したまま、羽衣の言葉を飲み込もうと必死だった。それも、桃華から聞かされたものと同じだ。
七不思議。
それが自分の運命を変える鍵になるという現実が、ゆっくりと胸に落ちてくる。
七不思議と関わりを持ち、それの謎を解いて現象を安定化させる。そうして、学園に封印されている九尾の力を弱める。言葉で聞くのは単純で簡単だ。だけど、それはきっと単純で簡単な話でない。
まず、七不思議が何なのか知らないといけないし、その次は七不思議の謎やら正体やらを確認して解決しなければならない。その解決に、一体どれほどの時間がかかるか。それらを無事に解決することができるのか。
解決したところで、本当に珠紀自身にかかっている呪いに関係があるのか。疑うときりがない話だった。
談話室の窓から差し込む月明かりが、珠紀の青ざめた顔を淡く照らしていた。
羽衣は、珠紀の表情を見ながら静かに語り始めた。
「この学園は創設されて以来、怪異を研究したり封じたりする役割を担ってきたわ。その歴史の中で、特に重要なのが『七不思議』なの」
羽衣は指を折りながら、簡潔に例を挙げた。
「姿を消す旧校舎の階段。
深夜の時計塔で泣き続ける人形。
鏡の向こうにもう一人の自分がいる『双面鏡』。
他にも、森の奥で繰り返される『狐の嫁入り行列』、誰もいないはずの音楽室から聞こえるピアノの音……など、七つある。それぞれが学園の異なる場所に根付き、独自の現象を起こす」
珠紀は息を潜めて聞き入っていた。
七不思議の話自体は、羽衣も知っている様子だ。
「先ほども言ったけれど、これらは単なる怪談や都市伝説ではないわ。それぞれが学園全体の封印システムと深く結びついているの。どの七不思議がどの封印システムと結びついているのか――それは厳密には分からないけれど。やってみたら、分かるはずよ」
肝心なところを、羽衣は知らないようだった。だが、それもそうかもしれないと珠紀は思い直した。誰もが皆、詳細を知っている七不思議――それだと、不思議でもなんでもないからだ。だから、妙な説得力があった。
「七不思議の『歪み』を正し、現象を解決または安定させる。そうすることで、封印の網目を強く織り直すことができる。そう学園長は言っていた。そして……」
羽衣は珠紀の目を真っ直ぐに見つめ、核心を突いた。
「これらは単なる怪談ではなく、九尾の力を抑え込むための鍵でもあるわ。つまりは、この学園を襲った百鬼夜行の目論見を防ぐことができる」
そう言われ、珠紀も頷く。学園をめちゃくちゃにした百鬼夜行の思い通りに事が進むのは、正直言って珠紀も面白くないと思っていた。
珠紀の呪いの進行を抑え、なおかつ百鬼夜行の目論見を潰す。方法として、七不思議に関わって九尾の封印を強めることは悪い事ではなさそうだった。少なくとも、学園にとっては良い事だった。それが分かっただけでも、珠紀には七不思議と関わる意義ができた。
「七不思議に関わることで九尾の影響を少しずつ薄れさせ、あなたの呪いを遅らせる……それが、現時点で最も現実的な方法よ」
珠紀の胸に、わずかな希望と大きな不安が同時に押し寄せた。
「(七不思議……そんなものが、本当に私の呪いを……?)」
羽衣の説明は、珠紀にとって新たな現実の始まりだった。古い学園の歴史と、自分の運命が、予想もしなかった形で繋がり始めていた。
希望と不安が入り混じる複雑な表情が、彼女の顔に浮かぶ。
珠紀にかかっている呪いを解決できるかもしれない――という淡い光。
しかし、それが本当に自分にできることなのか、失敗したらどうなるのか、という強い不安。胸の奥で激しく揺れ動く感情が、瞳にありありと表れていた。
「……本当に、それで……私の呪いが、止まるんですか?」
声はまだ震えていたが、珠紀は必死に羽衣の目を見つめ返した。
羽衣は小さく頷き、しかし完全に保証はしないという慎重な表情で答えた。
「確実とは言えないわ。だけれど、現時点で最も可能性の高い方法なの。あなた一人では難しい。だからこそ、各寮の代表者たちと協力して取り組んでもらうことになる」
珠紀は唇を強く結び、ゆっくりと息を吐いた。
「私の呪いに、本当に効果があるかはわからない――それは、私にとってはあまり良くないことです」
はっきりとした言葉に、羽衣は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「だけれど。この学園をめちゃくちゃにした百鬼夜行には、直接的に関係がある内容ですよね」
「……そうね。百鬼夜行たちは、九尾の封印解除を目的にしていた。七不思議と関わることは、逆に九尾の封印を強めること。そう、学園長は言っていた。だから、少なくとも、百鬼夜行の邪魔にはなるはずよ」
珠紀がまっすぐに羽衣を見つめると、彼女は頷いた。
「それなら。やってみる価値はあります。全くの無意味なんかじゃない……それだけでも、私はやってみようと思えます。もし、本当は呪いと関係が無くても。私が行った行動で、学園の人たちに何かできるなら。助けになるなら、それでも良いと思いました」
「珠紀さん……」
希望の糸は細く、不安の影は濃い。それでも、彼女の目には、わずかながら前を向こうとする光が宿り始めていた。
談話室の空気が、静かに張りつめていた。
「……大丈夫よ、珠紀さん」
ややあって、羽衣が口を開く。
「七不思議と関わることは、あなたの呪いにも関係がある。確証はないけれど、論理的には間違っていない」
どこか、確信を持った声だった。
「あなたは『九尾の花嫁』と呼ばれ、百鬼夜行の怪異たちはあなたと九尾に何かしらの関係があると確信を持っていた。そして、あなたは九尾を慕う怪異たちと一時的でも関わったことで、あなたの呪いに反応があった。それは紛れもない事実だもの」
羽衣は言葉を続ける。
「それなら『あなたの呪いは九尾と関係がある』のよ。無理やりなこじつけても」
「そう……なんですか?」
珠紀は不安げに問うが、羽衣は「そうなるのよ」と頷いた。
「『あなたの呪いは九尾と関係がある』のなら。九尾を封印すれば、あなたの呪いも影響を受けて弱くなる。……分かったかしら?」
問われ、珠紀は頷く。頷くしか、なかったのだ。
羽衣は、さらに具体的に補足した。
「七不思議の一つ一つが、九尾の封印の一部を担っていると考えてほしいの。関わることでその『歪み』を正し、封印の網目を強く織り直すイメージよ。まるで古い織物に新しい糸を丁寧に差し込んで、ほつれを修復するようなもの……それが、あなたの呪いに対する最も直接的な抵抗になる。そう、学園長は言っていたわ」
羽衣は珠紀の表情を観察しながら、わずかに声を柔らかくした。
「成功すれば、あなたの身体的、精神的な異変が一時的に和らぐ可能性もあるはず。たとえば、首筋の紋様が薄れたり、怪異への変化が遠のいたり……そうした効果が期待できるはずなの」
その言葉に、珠紀の目がわずかに輝いた。
「(……和らぐ……? 本当に、少しでも楽になるかもしれない……)」
恐怖と焦りが支配する中、初めて「希望」という名前の光が、心の奥に小さく灯った気がした。しかし同時に、「本当に成功するのか」という不安も消えることはなかった。
珠紀は羽衣の言葉を胸に刻み込むように、静かに頷いた。
「わかりました……。やってみます」
まだ震えの残る声だったが、そこには弱々しいながらも決意の色が混じっていた。羽衣は満足げに小さく微笑む。
「ですけど……失敗したら、どうなるんでしょうか?」
まだ胸の隅に残っていた不安を、珠紀は口に出した。すると、羽衣は「うーん」と口元に手をやり、考える仕草をする。
「恐らく、何も変わらないわ」
そのあっさりとした言葉に、「変わらない……ですか?」と思わずおうむ返しをした。
「現状と、何も変わらない。そのはずよ。珠紀さんの呪いは進行し、九尾の封印は弱まる。そして、学園は危機に陥る。それだけの話」
静かに、けれどもはっきりと羽衣は答える。
「それだけ……って」
あまりにも冷たい言葉に、珠紀は絶句した。
「だから、何もマイナスにはならないわ。安心しなさい」
そう、柔らかい声色で羽衣はつづけた。顔を上げると、羽衣は優しく微笑んでいたのだ。
「珠紀さん。あなたが何度失敗しても、大丈夫よ。現状が一番最低で最悪なのだから。これ以上、わたしたちが最悪になることはないのよ。安心しなさいな」
「珠紀さん」
羽衣は姿勢を正し、改まった声で告げた。
「あなたは今後、あなたを正式に『七不思議調査特命監査役』に任命される。あなたが中心となって、各寮から選ばれた代表者たちと協力し、調査と解決を進めていくの。この役割は、あなたの呪いを解くための鍵となるから」
珠紀は一瞬、言葉の意味を理解できずに固まった。
「……特命、監査役……?」
突然の重責が、肩にずしりとのしかかった。
「そんな……急に言われても……」
「ごめんなさいね。これは学園長からの指示よ。決定事項だから、あなたに拒否権はないわ」
人権はどこに行ったのだ、と言わんばかりの内容だ。
元々監査役として学園の公平性を守る立場だった自分が、今度は学園全体の危機を救うための中心人物に据えられる。七不思議の調査を主導し、各寮の代表者たちをまとめ、封印強化活動を進める――それは、ただの生徒には到底荷が重すぎる任務だった。
「私……そんな大役、務まるでしょうか……?」
珠紀の声は戸惑いに満ちていた。
「務まるか務まらないかの次元の話ではない。それは、珠紀さんも理解しているでしょう?」
突然の任命に混乱し、恐怖とプレッシャーで胸が締めつけられる。
しかし羽衣の言葉通り、同時に拒否できない状況であることも理解していた。
自分の呪いを解く唯一の方法であり、学園全体の危機に関わること。羽衣の眼差しは優しく見えて、決して「NO」を許さない強さを持っていた。
「やるしか……ないんですよね」
羽衣は静かに頷いた。
「あなたの特異体質と監査役としての立場が、この任務に最も適している。皆があなたを支える。……頼むわよ、珠紀さん」
珠紀は唇を強く噛み、ゆっくりと深呼吸をした。
戸惑いと不安が胸の中で渦巻いていたが、それでも小さく頭を下げた。
「……わかりました。やります」
声はまだ弱々しかったが、珠紀は自分の運命から逃げられないことを、改めて自覚した。
「よかった。学園長からの決定だったけれど、受けるか受けないかは本当は珠紀さん次第だもの。だけれど、これで話を進められるわね」
羽衣は安堵した様子を見せる。だが、珠紀はこの任命を受けないつもりは無かった。
「私が役に立つのなら……この役割が、学園の七不思議の解決に使えるのなら。それで、いいんです」
そう珠紀は零す。どうせやらないといけない仕事で、どうせやる事になる仕事なのだ。それなら、前向きな気持ちで請け負った方が良いだろう。珠紀はそう考えた。
羽衣は頷き、机の上に数枚の古い資料を広げた。
「初動として、最初の調査対象を指定されているわ。まずは『姿を消す旧校舎の階段』と『深夜に泣く人形』の二つ。これらを優先的に調査と解決に向かわせる手はずになっているわ」
相変わらず、手際が良いようだ。きっと、すでに桃華が教員や寮長たちに話を回しているのだろう。
「各寮からすでに選抜された代表者たちとチームを組むように。獬豸殿の寮長であるあなたが、特命監査役として調査の指揮と報告を担ってほしいの」
珠紀は資料に目を落とした。学園内の危険箇所が赤い印で記されていた。その数は7つ以上、ある。どうやら、ここに記されているのは七不思議だけではないようだ。
「私……が、指揮を……?」
突然与えられた権限に、珠紀は戸惑いつつも実感した。
これが本当の意味で、活動の始まりなのだと。監査役としての立場が、今や学園全体の封印強化活動の中心に据えられている。
焦りが胸を締めつけた。
「(本当に私にできるの? 失敗したら……みんなに迷惑がかかるかも、しれない。一年という時間も、刻一刻と減っていく……)」
しかし、同時に弱い決意も芽生えていた。
「(だけれど)」
やるしかない。自分の体を、魂を守るために。そして、この学園を守るために。
羽衣は珠紀の表情を読み取り、静かに言った。
「各寮の代表者は明日、あなたの元に集まるはず。初回のミーティングをセッティングをしなさい。……頑張って、珠紀さん」
珠紀は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。焦りと決意が激しく交錯する中、彼女は小さく、しかしはっきりと頷いた。
「はい……わかりました」
「うん、良い返事ね」
羽衣は柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、これで学園長から頼まれていたお話は終わりよ」
ぱっと、羽衣の雰囲気が変わった。真面目な雰囲気から、柔らかいものに切り替わったのだ。
「もう夜も遅いし、身支度を済ませたらすぐに寝なさいね」
そう羽衣はひらひらと手を振った。つまりは、用事が終わったから明日のためにさっさと寝ろと言うことだろうか。
「分かりました……おやすみなさい、夜晒先生」
「ええ、おやすみなさい。……良い夢を」
談話室を出た瞬間、珠紀は廊下の壁に背中を預けた。深く、息を吐く。物音が少しするが、すぐに静かになった。羽衣は獬豸殿から出て行ったのだろうか。
七不思議調査の活動が正式に始まったことを、痛いほど実感していた。
夜の学園は、まだ怪異の気配に満ちていた。
珠紀は一人、獬豸殿の自室に戻る道をゆっくりと歩いた。廊下の古い板がきしむ音が、静かな夜に響く。信頼できる友人を呼ぶ気力もなく、彼女は一人で部屋の扉を閉めた。
ベッドに腰を下ろし、珠紀は深く息を吐いた。
「……これしか方法がないなら……やるしかない」
独り言が、部屋の中に小さく落ちた。
桃華の言葉、羽衣の言葉を頭の中で繰り返す。
進行性の呪い。
残り一年というタイムリミット。
七不思議が九尾の封印の鍵であること。
そして自分が特命監査役として、各寮の代表者を率いなければならないこと――。
「(これは、私を救うためだけじゃない……学園全体の危機を止めることにも繋がってるんだ……)」
七不思議を解決すれば九尾の力が弱まり、学園を守ることにもなる。桃華の温かい言葉の裏にあった計算高ささえ、今は受け入れるしかなかった。
珠紀は立ち上がり、古い机の上に置かれた資料を手に取った。最初の調査対象である「姿を消す旧校舎の階段」の記録を眺めながら、胸の奥で緊張が走る。
「(失敗したら……全部終わりだ。でも、動かなければ確実に怪物になる……)」
恐怖と焦りはまだ胸の底に沈んでいたが、その奥にわずかながら希望の灯りが見えた気がした。
食事をするにも、もう食堂は閉まっている時間だ。これからどうしよう、と考えていると部屋の扉からカリ、カリ……と何かひっかくような音が聞こえた。
「えっ、な、なに?」
思わず声を上げると「にゃー」と猫の鳴き声がする。
「……ええと」
そっと扉を開けると、猫がいた。その横には、食事の乗ったワゴンが。
「え、ご、ごはん?」
戸惑う珠紀に構わず、「にゃー」と猫は鳴く。まるで『早く食べろ』と言っているかのようだった。
「ありがとう、ございます」
戸惑いつつも、珠紀はその食事を部屋に持っていく。猫も一緒に入ってきた。もしかすると、食事を終えるのを待っているのかもしれない。
「……おいしい……」
あたたかい飲み物が、珠紀の緊張をほぐしていく。思わず、じわ、と涙が零れた。
今日は本当に、散々な一日だった。怪異たちに襲われて、色々な役割をやる事になって。
「ごちそうさまでした」
食事を終え、ワゴンに食器を乗せると猫は帰っていく。珠紀は一人になった。
それから珠紀は身支度を終え、ベッドに横たわる。明かりも消して、静かに目を閉じた。
「やるしかない……よね」
明日は各寮の代表者たちと初の顔合わせ、そして最初の七不思議への調査準備が始まる。




