20 こんな夫婦です。
頬に柔らかく暖かなものが触れる感触と、それと同時に聞こえてくる軽い音で目が覚めました。
目を開けると、甘さを含んだ焦げ茶色の瞳が覗き込んでいます。
「おはよう」
「っ!・・・お、おはようございます、旦那さま」
ま、またしても起きられませんでした・・・っ!
頬に赤みがさすのを感じながらも挨拶を返すと、夫は嬉しげに頷きました。それから、朝の挨拶のおまけを私の頬に落とし、自分の頬を寄せてきます。
・・・そうなんです。
私たち夫婦の一日は、夫が私を起こすことから始まってしまうのですっ!
基本的に早寝早起きな私が、リーフェリア祭以降、まさか毎日寝坊してしまう状態になるなんて・・・。
しかも二度寝が趣味の夫に毎朝起こされるようになってしまうとはっ!
非常に悔しやら恥ずかしいやらで、毎朝明日こそは夫より先に起きてやるっ、と心に誓うのですが、残念ながら、まだ達成出来ていません。
リーフェリア祭後に家に帰って来てからというもの、夫は陽のあるうちは決して私を外に出そうとせず、特に朝日が昇る頃に私が起きていることをとても嫌がったので、すっかり昼夜逆転生活に体が慣れてしまったようです。
私も、祈祷所だけが帰還条件とは限らないかも、と、ちょっと陽に当たるのが怖いような気がしていましたし、明るいうちに出掛けるには差し障りがある状態でしたので、窓を閉めきった家の中で大人しくしていました。
・・・どんな差し障りがあったのかは、聞かないでくださいねっ!?
それから、夫による私の起し方についても、ちゃんと抗議したんです。私は寝起きが非常に良いので、ちょっと揺すってくれるだけですぐに起きますよ! と、何度も主張したのですが、夫は朝の挨拶のおまけのおまけ的な起こし方を変える気はないようです。
・・・うん。自分で早起きする方法を早急に考えないと、私の寿命が縮んでいく一方です。寿命が尽きてしまう前になんとか対策を立てましょう。
それから、昼間外に出られない代わりに、夜のお散歩が日課に加わりました。
夜食と飲み物を持ってお散歩し、少し開けた場所で腰をおろして、星空を眺めながらこちらのことや夫のことについて教えて貰っています。
夫に対して隠し事が無くなったからか、私は物凄く知りたがりになっていました。
渡帰として必要な情報を集めるためではなく、自分のために知りたいと思うことを自由に教われることが楽しくて、幼い子供のように「なぜ?」「どうして?」を繰り返す私に、夫は根気強く相手をしてくれています。
この数日だけで、これまでの一年で知ったこと以上の常識が身につきましたよ!
でも、夫自身のことについては、自分から話してくれるのを待つようにしています。
誰しも、触れられたくないことのひとつやふたつ有るものですからね。
だから時々、夫がぽつりぽつりと自分のことを話してくれるのを聞くのが最近の楽しみなんです。
いま、夫はこの街と交流のある都市について、惚れ惚れするような低い声で説明してくれています。
思うのですが。
離縁を決意した時に立てた計画の数々は、元々、未来の新しい奥さまのために、夫のないない尽くしをどうにかしようと思って始めたことだったのですが、それが今、全て私自身に返ってきているんですよね。
夫は必ず挨拶をしてくれますし、髭も毎日しっかり剃っていますし、私が家の中で退屈しないように、気付けば裁縫道具の中身が充実していたり、私が唯一読めるこの街の言葉で書かれた本が増えていたり。
それに、こうして夜の散歩に誘ってくれたり、惜しみなくこちらのことを教えてくれたり。
もうしばらくしたら、街以外の場所にも連れて行ってくれるという約束もしてもらいました。
夫が今、細かく説明をしてくれている塩で出来た家が建ち並ぶ街です。そこでは公共浴場があるのだそうですが、塩分が高くて、体が浮いてしまうほどなのだとか。
家もお風呂も塩、塩、塩だと、全身塩まみれになりそうですよね。行く前に怪我とかしないように気をつけないと、ものすっごくしみちゃいそうです。
と。
こんな風にお出掛けの計画を立ててくれたり、お出掛け前にあれこれ想像する楽しみまで与えてくれています。
それだけじゃありません。
塩の街には、私や友人と同じ、黒い髪と瞳を持つ女性が暮らしているのだそうです。
まだ行方が分かっていない親族の、渡り人の一人かも知れませんから、それを確かめよう、と夫は言ってくれました。
どこから情報を持ってくるのか、あと二人、渡り人の可能性がある人物を夫は見つけているそうです。
私が渡り人の安否を気にしているから、調べてくれたんですよね。
夫は、やっぱり無い無い尽くしじゃなくて、気遣いの達人です。
「旦那さま」
呼びかけると夫が言葉を切って、ちょっと身を屈めて近づいてくれました。
ほら、ここでも夫は気遣ってくれています。
なんだかくすぐったいような、幸せな気持ちが湧き上がってきて、衝動的にどうしても、今、伝えたくなりました。
「大好きです」
夫に面と向かって言うのは初めてで、言ったあとに眩暈がするほどの羞恥に襲われて、なんだか言い逃げしたくなってしまったのですが、それ以上に
夫が、驚いたように目を見開いたまま、暗がりにも関わらずはっきりとわかるほど、赤くなっていました。
う。
うわっ、な、なんですか、その初々しい表情はっ!?
か、かわいいじゃないですかっ!?
思わず夫を凝視していると、すぐに無表情に戻ってしまいましたが、私は先ほどの表情を心の宝箱の中にしっかりとしまわせてもらいました。
どうやら、まだまだ私の知らない夫の表情があるようですね。これからの楽しみがまたひとつ増えましたよ!
これから、もっともっと、私の知らない夫を見つけていきますよ!
そう決意したのとほぼ同時に、夫に抱き締められました。
どこか必死ささえ伝わってくるほど、きつく抱き締められた私が苦しさに身じろぎすると、腕の力を弱めてくれました。叩く前に気付いてくれるなんて、これもある意味、進歩ですね!
夫を見上げようとすると、顔を胸元に押し付けられて身動きできなくなります。
そのまま、額に夫の唇が落ちてきて。
「・・・俺の全てを、お前に」
頭の上で、真剣に、誓うように囁かれたその言葉に、心臓が、大きく跳ね。
夫のものなのか、私のものなのか、強くて早い鼓動が響いています。
私が、いつまで夫と一緒にいられるのかは、きっと誰にもわかりません。
未来はいつだって、私たちの予想をはるかに超える出来事をもたらすものですから。
それでも、だからこそ。
夫の側にいられる、この奇跡のような時間を大切にしたいと思います。
だから、旦那さま。
・・・二人で一緒に、幸せになりましょうね。
妻視点は、これにて完結となります。
読んでいただき、本当にありがとうございました!