↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/34

第12話:因果の初弾 〜百段の階段を転がり落ちる道化たちと、遠隔の断罪〜

大聖堂前広場を揺るがした未曾有の大爆発から、数日が過ぎていた。

ガルディニア帝都ルテティアの大通りには、一見すると何事もなかったかのように華やかな金襴の幕が張り巡らされ、路傍の街路樹には色とりどりの紙吹雪と極彩色のリボンが結び付けられていた。

だが、それはあくまで表面を取り繕っただけの薄っぺらいハリボテに過ぎない。

華美な幕のすぐ裏手――路地裏の側溝からは、相変わらず腐敗臭を帯びたドブ色の汚水がチョロチョロと音を立てて流れ出し、隙間風が吹くたびに、焦げ付いた化学薬品のような異臭が鼻腔を突き刺す。爆発で吹き飛んだ大聖堂前広場の敷石は、突貫工事で粗悪な漆喰を塗りたくって穴を埋めただけで、触れればポロポロと崩れ落ちるような惨状であった。


それにもかかわらず――帝都は今、無理やり狂乱の祝祭ムードへと叩き込まれていた。


『立太子礼および魔女討伐戦勝記念・帝都大パレード』。


神殿の金庫爆破と最高司教の負傷(第9話でマティアスが引き起こした大事件)や、前回の爆発事故を、皇室と神殿はすべて「大逆の魔女ヴァレリアの残党が仕掛けた卑劣極まるテロ」として民衆に発表していた。

そして、失墜しかけた権威を一刻も早く取り戻すため、第一皇太子ユースティスは、新聖女マリアベルを伴った大規模なパレードを強行したのである。恐怖と不満で暴発寸前の民衆の目を逸らすには、きらびやかな見世物を与えるのが一番手っ取り早い――それが、この国の支配層の浅ましい計算であった。


白亜の大聖堂の正面にそびえ立つ、百段の大階段。

天を衝くようにそびえるその巨大な階段の最上段に、帝国の主役たちが姿を現した瞬間、広場を埋め尽くした数千の市民たちから、作られたようなファンファーレと共に歓声が沸き上がった。


「見よ! 我がガルディニアの誇るべき光の姿を!」


ユースティスが白銀の軍服の胸を張り、大階段の頂点から見下ろすように両手を広げた。

前回の爆発で煤まみれになった鼻の頭には、まだ薄い包帯が巻かれていたが、分厚い白粉を塗りたくって誤魔化している。その表情には、自らの失政に対する反省など微塵もなく、民衆の上に君臨する特権階級としての傲慢さだけがギラギラと張り付いていた。


その隣に寄り添うのは、新聖女マリアベル。

チリチリに焼け焦げた自慢の金髪は、腕利きの美容師たちに半日以上かけて梳かさせ、香油で固めてどうにか体裁を整えていた。爛れた頬には薔薇色の紅を厚く重ね、純白のドレスの胸元をこれ見よがしに強調しながら、群衆へ向けて愛嬌たっぷりの笑顔を振りまいている。

手にした聖杖の魔晶石には大きなヒビが入ったままであったが、金色のリボンを何重にも巻きつけて隠蔽していた。


「皆様、わたくしの光を信じてくださってありがとう! 魔女の呪いなど、このマリアベルがすべて祓って差し上げますわ!」


甘ったるい声が大階段の上から響き渡る。

広場に集まった市民たちの多くは、無理やり動員された平民や商人たちであった。彼らは歓声を上げながらも、その瞳の奥には冷めた光を宿している。先日の爆発で怪我人を足蹴にして逃げ出した聖女の醜態を、誰もがその目で見ていたからだ。だが、階段の両脇を固める武装兵たちの抜き身の槍を前にしては、拍手を送る以外の選択肢は許されていなかった。


そして――ユースティスとマリアベルのすぐ斜め後ろ、大階段の最上段の右翼に、仁王立ちで胸を反らせている巨漢がいた。


近衛騎士長ボリス。

身の丈二メートルを超える大男は、全身を鏡のように磨き上げられた白銀のプレートアーマーで包み、腰には長大な両手剣を佩いていた。

彼は処刑場において、ヴァレリアの膝裏を軍靴で蹴り砕き、土下座を強要した張本人である。


「フン……愚民どもめ。我が近衛騎士団の威容と、殿下の武威の前に平伏すがいい!」


ボリスは獰猛な笑みを浮かべ、髭を撫で下ろした。

実はここ数日、彼の右膝には原因不明の鈍い疼きが走っていた。だが、軍医に強い麻痛薬を大量に打たせ、鋼鉄のサポーターで関節をガチガチに固定することで無理やり押さえ込んでいたのだ。

大階段の頂上に立ち、数千の民衆を見下ろす全能感。それこそが、ボリスの肥大化した自尊心を極上の快楽で満たしていた。


「魔女を深淵へ蹴り落とした我が剛脚……我が忠義の前に、仇なす者など一人もおらんわ!」


ボリスは得意満面に笑い、最前列で手を振るユースティスたちの背後で、自らの長剣の柄に手をかけて見栄を切った。

熱狂は最高潮に達しようとしていた。


――だが。

その愚行の極みのような祝祭を、遥か数百キロメートル離れた場所から、冷ややかに見つめる「視線」が存在していた。


***


大陸最強の軍事国家カイザーライヒ帝国、その帝都郊外に広がる広大な迎賓離宮『黒曜宮』。

手入れの行き届いた白樺の木々がそよぎ、澄み渡る秋風が吹き抜ける二階の広大なテラス席。


最高級の白絹のテーブルクロスが敷かれた円卓で、ヴァレリア・フォン・アルトハイムは、優雅に午後のティータイムを楽しんでいた。


身に纏うのは、カイザーライヒ帝室の宝物庫から贈られた、漆黒のベルベットに繊細な銀糸のレースをあしらった気品あふれるデイドレス。

十日前の薄汚れた地下牢の生贄の姿など、どこを探しても見当たらない。白磁のように透き通った滑らかな肌、星屑を散りばめた夜空のように艶やかな黒髪、そして知性と冷酷さを湛えた紫紺の双眸。

彼女がそこに腰掛けているだけで、テラス全体が神聖なる神殿の玉座であるかのような錯覚を抱かせるほどの、圧倒的なカリスマが漂っていた。


コトリ、と。

ヴァレリアは手にした白磁のカップを、音もなくソーサーの上へと戻した。

立ち上るのは、皇帝コンラートが直々に手配させた最高級ダージリンの芳醇な香り。


「我が主、お茶の温度はいかがでしょうか?」


背後に控えていた魔王ヴォルフラムが、黒銀の長髪を揺らしながら、恭しく身を乗り出してきた。

深淵の底で数百年暴れ回っていた神話の怪物が、今は上等な黒執事服を着込み、ヴァレリアのカップの湯気加減に全神経を集中させている。その金色の瞳には、主に対する狂信的な忠愛の色しか浮かんでいない。


「ええ、完璧よ、ヴォルフラム。とても美味しく淹れられているわ」


「ははっ……! 勿体なきお言葉、魂の底より光栄に存じます!」


ヴォルフラムが歓喜に肩を震わせ、ヴァレリアの足元に額を擦り付けんばかりに平伏する。

その横の木々の影から、銀髪の暗殺者キリアンが無音で姿を現した。少年は手にした銀盆の上に、ガルディニア帝都から鳩便で送られてきたばかりの暗号通信文を載せている。


「ヴァレリア様。ガルディニアのパレード、大聖堂の大階段に標的たちが揃いました。皇太子、偽聖女、そして……あの大男です」


「そう。ご苦労様、キリアン」


ヴァレリアは小さく微笑み、テラスの手すりへと視線を向けた。

南東の空。

見渡す限りの地平線の彼方に、自分を捨て、嘲笑い、生贄として奈落へ落とした祖国ガルディニアが存在している。


「十年間、私を地下牢に縛り付け、私からすべてを奪った愚者たち……。その中でも、自らの肉体を使って私に直接的な暴力を振るった者たちには、相応の『お礼』をお返ししなければなりませんわね」


ヴァレリアは、そっと自らの胸元へと細い指先を這わせた。

ドレスの下で、魂の奥底に刻まれた絶対の理――【因果の天秤(カルマ・イーター)】が、カチリと冷たい金属音を立てて傾く。


――対象ログ照合:ガルディニア帝国近衛騎士長ボリス。

――加害日時:三日前、断絶の深淵処刑場。

――加害内容:無抵抗の生贄に対する、軍靴による右膝裏関節への破壊的蹴打。および、土下座強要のための外圧行使。

――悪意の純度:完全なる私利私欲、媚態、無抵抗な者への肉体的暴力の愉悦。


世界に刻まれた因果の記録に、一片の誤魔化しも、時効も存在しない。

あの日、ボリスがヴァレリアの膝を蹴り砕いたその瞬間から、彼の運命の皿には、同等にして倍加された災厄の分銅が載せられていたのだ。


「ヴァレリア様、僕が直接あいつの足を切り落としてきましょうか?」

キリアンがダガーを弄びながら、無邪気に首を傾げる。


「いいえ、必要ないわ」

ヴァレリアは扇子をパチンと広げ、艶やかに唇を吊り上げた。


「わたくし自らが手を下すなど、下品極まりないことですもの。……相手が蒔いた悪意の種は、相手自身の肉体の中で芽吹き、自らを食い破るのが最も美しい調和というものよ」


ヴァレリアの紫紺の双眸が、黄金の神気と深淵の闇を帯びて妖艶に細められた。

彼女は優雅に右手を持ち上げ、宙に向けて細い指先をトンと弾いた。


「――そろそろね。……【因果の天秤】、第二原則【絶対反跳(カルマ・リフレクション)】を承認」


冷酷なる宣告。

空間と距離を完全に無視し、因果の糸がガルディニア帝都の大階段の頂上へと直結した。


***


ガルディニア帝都、大聖堂の百段の大階段。

パレードの歓声が、まさに最高潮に達したその瞬間であった。


「我が剣は殿下の盾! 我が力は帝国の礎である――!!」


最上段の右翼で、近衛騎士長ボリスが腰の長剣を天高く掲げ、咆哮を上げた。

数千の群衆が見上げる中、大男としての武勇を誇示する、彼の人生における最高の絶頂の瞬間。


――カチリ。


ボリスの耳の奥で、世界のどこにも存在しないはずの、冷酷な秤の軋む音が響いた。


「……ぬ?」


ボリスが眉をひそめた、コンマ一秒の後のことだった。


――ドゴォォォォォォォォンッ!!!!


それは、外から何かが衝突した音ではなかった。

ボリス自身の肉体の内側――両足の膝関節の内部において、突如として大砲の直撃を受けたかのような凄まじい衝撃波が炸裂したのだ。


メキメキメキッ! バキバキ、グシャアアッ!!


人間が耳にしてはならない、生々しく重厚な破壊音が、大階段の頂上に響き渡った。

処刑場でヴァレリアの膝を蹴り砕いたあの衝撃が、因果の天秤によって「三倍」の質量と運動エネルギーへ増幅され、ボリス自身の両膝へと一括返済されたのである。


強固な鋼鉄のサポーターなど、紙屑のようにひしゃげた。

靭帯はブチブチと千切れ飛び、大腿骨と脛骨の関節軟骨は完全に粉砕。

そして――ボリスの両足の膝関節は、人間の関節が決して曲がってはならない方向、すなわち『前方』へと、九十度以上の角度でメキメキとへし折れた。


「ぎゃあああああああああああああああっ!?!?!?!?」


鼓膜を劈く絶叫が、広場の上空を切り裂いた。

二メートルの巨漢が、両膝を前方へ突き出した異形の姿で宙に跳ね上がる。

骨が肉を突き破り、白銀の甲冑の隙間から大量の血飛沫が噴水のように撒き散らされた。


「ひ、膝がぁぁぁっ! 私の膝が、粉々にお、折れたぁぁぁぁっ!!」


激痛に狂乱したボリスは、掲げていた長剣を取り落とした。

両足を失った巨体は、立っていることすら叶わず、重力に引かれて前方の石畳へと激しく叩きつけられる。

だが――不幸はそれだけでは終わらなかった。


大階段の最上段。

百段の急勾配の崖っぷち。

百五十キロを超える鋼鉄の鎧を着込んだ巨漢が、激痛でのたうち回りながら転がった先には――最前列で群衆に向けて手を振っていた、ユースティス皇太子と新聖女マリアベルの背中があった。


「な、何事――ぶぎゃっ!?」


振り返りかけたユースティスの腰骨に、転がってきたボリスの鉄兜が弾丸のように直撃した。

ドカァッ、と鈍い音が響き、ユースティスの身体が前方に吹き飛ぶ。

そして、前のめりに倒れかけたユースティスの手が、隣にいたマリアベルの豪奢なドレスの帯を本能的に引っ掴んだ。


「きゃあああっ!? ちょっと、何を引っ張るのよユースティス様――いやぁぁぁっ!!」


ドミノ倒し。

百段の大階段の最上段から、巨漢の騎士長、皇太子、そして聖女の三人が、折り重なるようにして転落を始めた。


ゴロゴロゴロゴロ、ドタンバタンッ!!


「ぎゃあっ!」「痛い、顔が、私の顔がああっ!」「ぐえええっ、重い、退けボリス!!」


百段の大階段は、儀式のために特注された鋭利な大理石の角を持っていた。

そこを、三つの肉塊が凄まじい勢いでバウンドしながら転がり落ちていく。

階段の途中に並べられていた儀式用の油壺が次々と蹴飛ばされて破裂し、ドロドロの油が三人の身体に降りかかる。さらに、前回の爆発事故で地下水路から逆流し、階段の踊り場に溜まっていたドブ色の汚泥の泥水が、彼らの顔面に容赦なく叩きつけられた。


ゴロゴロ、ドスンッ! バシャアアンッ!!


階段の角に背骨を打ち付け、鼻を強打し、歯を折り、汚泥を飲み込みながら滑落していく帝国最高権力者たちの無様な姿。

階段の両脇にいた兵士たちは、あまりの事態の急変に呆然と立ち尽くし、誰一人として受け止めることすらできなかった。


そして――数十秒の阿鼻叫喚の転落劇の末。


ドグシャアアッ!!


最下層、大広場の石畳の上に、三人は絡まり合った一つの巨大な汚物となって叩きつけられた。


「…………」


広場を埋め尽くしていた数千人の群衆が、息を呑んで静まり返った。

音楽隊の演奏はピタリと止まり、帝都の全市民の視線が、広場の中央に転がった無残な肉塊へと釘付けになる。


そこに転がっていたのは、高貴な皇族や聖女の姿では断じてなかった。

ボリスは両膝をあり得ない方向へ折り曲げたまま、白目を剥いて失禁し、泡を吹いて気絶している。

マリアベルは自慢の金髪が油と汚泥で海藻のように固まり、純銀のティアラは粉々に砕け、顔半分に青あざを作りながら「ふぎゅっ、ふぎゅっ」と泥水を吐き出していた。

そしてユースティスは、軍服をボロボロに引き裂かれ、鼻の骨が完全にへし折れて顔中を血と鼻水で真っ赤に染めながら、痙攣してピクピクと手足を震わせていた。


大階段の百段の段差には、三人が擦り付けながら落ちてきた、油と汚泥と鮮血の帯が、一本の赤い絨毯のように生々しく残されている。


「……な、なんだあれ……」

群衆の中から、震える声が漏れた。


「皇太子殿下が……泥水を啜って倒れてるぞ……」

「聖女様が、白目を剥いて汚泥まみれだ……!」

「ボリス様の足……おい見ろ、膝が前に折れてるぞ!? あんなの、処刑されたヴァレリア様がやられたことと全く同じじゃないか……!!」


ざわり、と広場全体を駆け巡る戦慄と嘲笑の波。

威厳の失墜。

民衆の恐怖を逸らすために強行されたパレードは、帝国史上、最も無様で醜悪な喜劇となって幕を閉じたのであった。


***


――同じ時刻。

カイザーライヒ帝国、黒曜宮のテラス席。


そよ風が、ヴァレリアの艶やかな黒髪を優しく揺らしていた。

彼女は手元の白磁のカップを優雅に傾け、冷めた最後の一滴を飲み干すと、満足げに目を細めた。


彼女の魂の奥底で、天秤の針がカチリと音を立て、水平へと戻る。

ボリスに対する因果の精算が、寸分の狂いもなく完了した合図だった。

さらに、相手が味わった激痛と絶望のエネルギーが、因果の糸を逆流してヴァレリアの肉体へと流れ込み、彼女の魔力回路をより一層強固に、その肌をより一層透き通るような白磁へと磨き上げていく。


「……ふふ」


ヴァレリアは艶やかに唇を綻ばせ、喉を鳴らして微笑んだ。

その氷のように冷たく、極上に残酷な微笑み。


「まずは、小手調べ。……十年間の苦痛の利子としては、ほんの端た金に過ぎませんけれど」


彼女は空になったカップをソーサーに置き、南東の空――泥に塗れて這いつくばっているであろう元婚約者たちの姿を思い浮かべながら、妖艶に呟いた。


「ねえ、ユースティス。……次はどの部位が、へし折れるかしらね?」


爽やかな秋晴れの空の下。

絶対の女帝が演出する破滅劇の幕は、華々しく、そして容赦なく切り落とされたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。