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巻き戻った令嬢の帳簿には、私を殺した全員の名前が載っている  作者: やまご


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第38話 十年前の秋

 聴取室は、前回と同じ部屋だった。


 違うのは、机の向こうに座る男の顔だった。


 三日で、ラインヴァルトは老けていた。目の下が落ち窪み、髪が乱れている。上着は、同じものを着ていた。


 監察官が一名、書記が一名。ジークベルトは、扉の外にいる。


「――令嬢」


 彼は言った。


「時間をいただいて、感謝します」


「用件を伺います」


 私は言った。


「取引ではありませんね」


「取引です」


 彼は、あっさりと言った。


「私は、話します。その代わりに、妻の生活の保障を求めます」


 私は、監察官を見た。


 監察官が、頷いた。


「量刑の考慮は、監察部の権限です」


 彼は言った。


「ですが、生活の保障は、監察部にはできません」


「令嬢に求めています」


 ラインヴァルトが言った。


 私は、彼を見た。


「――なぜ、私に」


「あなたは、フォークト伯爵夫人アデーレの弟三人の生活を保障した」


 彼は言った。


「監査局を通した正式な契約で。私は、それを聞きました」


「なぜ、その話を」


「夫人が、私に言ったからです」


 彼は言った。


「召喚の前日に。『あの娘は、約束を守る』と」


 私は、息を止めた。


 ――継母が。


 あの人は、逃げる前に、この男にそう言い残していったのか。


「令嬢」


「はい」


「私の妻は、五十一です。子はいません。実家はありません」


 彼は言った。


「終身の徒刑になれば、私は二度と出られない。妻は一人になります」


 彼は、机の上で手を組んだ。


「私は、あなたの母上を死なせた男です」


 彼は言った。


「その私が、あなたに妻の命乞いをしています」


 私は、その顔を見ていた。


 ――憎い。


 この男が母の照会状を握りつぶさなければ、母は死ななかった。私は処刑されなかった。レオは薬を薄められなかった。


 全部、この男から始まっている。


 なのに。


「――ラインヴァルト卿」


 私は言った。


「保障します」


 彼が、顔を上げた。


「条件は、二つです」


 私は言った。


「ひとつ。あなたが話すことが、真実であること。虚偽が判明した時点で、保障は無効です」


「――当然です」


「ふたつ」


 私は言った。


「母のことを、最初に話してください」


    ◇


「四百十九年、第十の月三日」


 彼は言った。


「エルフリーデ・フォークト伯爵夫人からの照会状が、財務局に届きました」


「あなたが受け取った」


「はい」


「握りつぶした」


「はい」


 彼は言った。


「私は、それをローゼンタール侯爵に見せました。侯爵が、話をつけると言いました」


「侯爵は、木箱を持って行きました」


「知っています」


 彼は言った。


「あれは、私が渡したものです」


 私は、身を乗り出した。


「――あなたが」


「財務局の内部文書です。四百十六年から十九年の支出内訳」


 彼は言った。


「私が抜き出して、侯爵に渡しました」


「なぜ、そんなものを」


「取引材料として使えと」


 彼は言った。


「証拠を持たせれば、人は動きが鈍る。持っているものを守ろうとするからです」


 私は、拳を握った。


「――母は、断りました」


「はい」


 彼は言った。


「侯爵から報告を受けました。説得は失敗した、と」


「それで、あなたは」


「私は、何もしていません」


 彼は言った。


 私は、その顔を睨んだ。


「侯爵も、同じことを言いました」


「侯爵も、していないでしょう」


 彼は言った。


「令嬢。四百十九年の秋、私は二十九歳の一等書記官でした。人を殺す度胸も、伝手もありません」


 彼は言った。


「私にできたのは、報告することだけです」


「――誰に」


 彼は、しばらく黙っていた。


「四百十九年の第十一の月十日」


 彼は言った。


「私は、王宮に呼ばれました」


 私の指が、冷たくなった。


「誰に、呼ばれたのですか」


「――第二王子殿下です」


 書記のペンが、止まった。


 監察官が、身じろぎした。


「当時、殿下は二十二歳でした」


 ラインヴァルトは言った。


「まだ何の役職にもついておられなかった。ですが、財務局の若手を何人か、私的に集めておられました」


「なぜ、あなたを」


「私が、貧民施設向け補助金の担当だったからです」


 彼は言った。


「殿下は、こうおっしゃいました。『フォークト伯爵夫人の件は、どうなっている』と」


 私は、息を呑んだ。


「――殿下は、母のことをご存じだった」


「はい」


 彼は言った。


「私は、侯爵の説得が失敗したと報告しました」


「殿下は、何と」


 ラインヴァルトは、目を閉じた。


「――『では、伯爵に話そう』と」


 私は、椅子の背を掴んだ。


「父に」


「はい」


 彼は言った。


「その二日後、殿下がフォークト伯爵と会われたことは、記録にありません。ですが、私は使いを頼まれました」


「何の使いですか」


「――伯爵への、書状です」


 彼は言った。


「封をされていました。中身は知りません」


「あなたは、届けたのですね」


「届けました」


 彼は言った。


「その十日後、フォークト家からケラー商会へ、特別調合薬の注文が入りました」


 私は、目を閉じた。


 ――父。


 支払指図書に、父の印があった。


 書状に、何が書かれていたのか。


 脅しか。取引か。それとも、命令か。


「令嬢」


 ラインヴァルトが言った。


「私は、あなたの母上を死なせました」


 彼は言った。


「殺してはいません。ですが、殺す道筋を作ったのは私です」


 彼は、目を開けた。


「――そして、それを十年、忘れて生きました」


    ◇


 私は、しばらく何も言えなかった。


 書記のペンが、紙の上を走る音だけがした。


「ラインヴァルト卿」


 やがて、私は言った。


「四百二十年のことを、聞かせてください」


「――赤子の件ですな」


「はい」


 彼は、頷いた。


「四百二十年、第七の月。私は、殿下から赤子を預かりました」


「どこで」


「王宮の、西の離れです」


 彼は言った。


「産婆が一人おりました。名は聞いていません。赤子は、生まれて三日目でした」


「母親は」


「――部屋にいました」


 彼は言った。


「顔は見ていません。寝台の帳が下りていました」


「殿下は、なんと」


「『フォークト伯爵家へ。伯爵は事情を承知している』と」


 彼は言った。


「それだけです」


「あなたは、運んだ」


「運びました」


 彼は言った。


「馬車で、王都の外れを回って、日が暮れてから伯爵邸へ。伯爵は、玄関で待っていました」


「父は、何と」


 ラインヴァルトは、少し間を置いた。


「――『これで、終わりか』と」


 私の視界が、揺れた。


「私は、答えられませんでした」


 彼は言った。


「終わりではなかったからです」


    ◇


「四百二十三年の件を」


 私は言った。


「――来客帳の件ですな」


「はい」


 彼は、机の上の紙を見た。


 前回、彼が否認した一頁。


「あの日、私は殿下に同行しました」


 彼は言った。


 書記のペンが、走った。


「前回、否認されましたね」


「しました」


 彼は言った。


「認めれば、殺されると思ったからです」


「今は」


「――どちらにしても、終身です」


 彼は言った。


「なら、妻を選びます」


 私は、頷いた。


「四百二十三年の第五の月十七日。殿下は、何をしにいらしたのですか」


「レオ様を、ご覧になりに」


 私は、動きを止めた。


「――見に?」


「はい」


 彼は言った。


「三歳になられていました。殿下は、部屋の外から、扉の隙間からご覧になりました。中には入られなかった」


 彼は言った。


「十分ほどです」


「その後は」


「伯爵夫人に、こうおっしゃいました」


 彼は言った。


「『あの子を、外に出すな』と」


 私は、両手で顔を覆った。


 三歳の子を、扉の隙間から十分見て、外に出すなと言った。


 それが、あの子の父親かもしれない男のしたことだ。


「――ラインヴァルト卿」


 私は、顔を上げた。


「レオは、殿下の子ですか」


 彼は、私を見た。


「――分かりません」


 彼は言った。


「殿下は、一度もそうおっしゃいませんでした。私も、聞きませんでした」


「では、なぜ隠したのですか」


「隠す必要があったからです」


 彼は言った。


「殿下のご成婚は、その二か月後でした。妃殿下は、隣国の公女です」


 彼は言った。


「婚約中に、市井の女に子を産ませた。それが表に出れば、縁組が壊れます。壊れれば、国境の和平協定も揺らぐ」


 私は、目を閉じた。


 ――国の話だ。


 九歳の子どもが薄い薬を飲まされ続けた理由が、国境の和平協定。


「令嬢」


 ラインヴァルトが言った。


「一つ、申し上げておきます」


「なんでしょう」


「殿下は、レオ様を殺せとはおっしゃっていません」


 彼は言った。


「一度も」


「では、薬は」


「――夫人の判断です」


 彼は言った。


「そして、私が黙認しました」


 彼は言った。


「殿下は、『外に出すな』としかおっしゃらない。その言葉を、どう実行するかは、下の者が考えます」


 彼は、机の上で手を組んだ。


「令嬢。これが、いちばん恐ろしいことです」


 彼は言った。


「あの方は、何も命じない。ただ、望みを口にされる」


 彼は言った。


「――そして、周りが勝手に殺すのです」

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