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巻き戻った令嬢の帳簿には、私を殺した全員の名前が載っている  作者: やまご


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35/50

第35話 見送る側

 出発は、五日後だった。


 レオの指先の凍傷が落ち着き、医師が移動を許可した日。


 保護所の門前に、馬車が二台と、騎馬が十二騎。第三王女の隊だ。


 私は、レオの外套の襟を直していた。


「――厚着すぎるよ、姉上」


「北は寒いのよ」


「ぼく、寒いの平気だよ。雪の中で待ってたもん」


 私は、手を止めた。


「――そういうこと、自慢しないの」


「はぁい」


 弟は、笑った。少し遅れて。


 私は、その顔を見た。


 九歳。栗色の髪。細い肩。


 この子が誰の子なのか、私は知らない。知らないまま、北へ送る。


「レオ」


「なあに」


「北で、何をしたい?」


 弟は、少し考えた。


「歩く」


 彼は言った。


「あと、字。もっと読めるようになりたい」


「そう」


「あと」


 レオは、私の顔を見上げた。


「姉上が来るのを、待つ」


 私は、息を止めた。


「――待つの」


「うん」


 弟は言った。


「姉上、迎えに来るって言ったでしょ」


 私は、しゃがんで、弟と目の高さを合わせた。


「レオ」


「なあに」


「姉上ね、前に、同じ約束をして、守れなかったことがあるの」


 私は言った。


 自分でも、なぜ言ったのか分からなかった。


「――そうなの?」


「うん」


 私は言った。


「だから、今度は守る」


 レオは、しばらく私を見ていた。


 それから、両手を伸ばして、私の首に回した。


 小さい腕だった。


「姉上」


「なあに」


「あのね、ぼく、知ってる」


 彼は言った。


「姉上、ときどき、ぼくのこと、いなくなった人みたいに見る」


 私の呼吸が、止まった。


「――レオ」


「なんでか、わかんないけど」


 弟は言った。


「でも、ぼく、ここにいるよ」


 私は、弟を抱きしめた。


 顔を、見られないように。


    ◇


 馬車が出ていくのを、私は門の外で見送った。


 見えなくなっても、しばらく立っていた。


 三か月前、ジークベルトを見送った場所と同じだった。


 あのときは霧で、今日は雪だ。


「――イレーネ嬢」


 背後から、声がした。


「はい」


「戻りましょう。冷えます」


 私は、振り返らずに言った。


「卿。同じ台詞ですね」


「――そうでしたか」


「三か月前と」


「覚えておられましたか」


「忘れません」


 私は言った。


 振り返った。


 ジークベルトは、いつもの黒衣で立っていた。


「卿」


「はい」


「見送るのは、辛いですね」


「ええ」


 彼は言った。


「私は、貴女を見送るほうが辛かった」


 私は、動きを止めた。


 彼は、いつもの無表情のまま、門の向こうを見ていた。


「――卿。今、なんと」


「北部へ発つ朝です」


 彼は言った。


「あの霧の中で、貴女を置いていくのが、二十年の仕事のなかで、いちばん嫌でした」


 彼は、こちらを見なかった。


「以上です」


 彼は言った。


「戻りましょう」


 彼は、先に歩き出した。


 私は、その背中を見た。


 ――ずるい。


 そう思った。


 この人は、いつも、言い逃げする。


    ◇


 ラインヴァルト次官の聴取が始まったのは、その週だった。


 王宮監察部の主導だが、監査局から二名が同席する。ジークベルトとハーゲンが入った。


 私は、入れなかった。


 身分がない。監査局の補助員という肩書きは、王宮監察部の場では通らない。


「――どうでしたか」


 三日目の夜、保護所に戻ったジークベルトに、私は聞いた。


「認めています」


 彼は言った。


「補助金の水増し、薬事局との共謀、ケラー商会への指示。すべて」


「では」


「全部、自分一人でやったと言っています」


 私は、拳を握った。


「九千ゴルドは」


「自分が使ったと」


「何に」


「――投資に失敗した、と」


 彼は言った。


「南方の交易船に出資して、沈んだと」


「船の記録は」


「あります」


 彼は言った。


「四百二十五年に、南方交易船が三隻沈んでいます。実際に起きた事故です」


「では、裏が取れない」


「取れません」


 彼は言った。


「沈んだ船の出資者名簿は、船と一緒に沈みました」


 私は、机を叩きそうになった。


 ――上手い。


 実際にあった事故を使っている。否定する材料がない。


「卿。八百行の支出は」


「薬事局の運営費だと」


「ベルクマン男爵家への三百六十ゴルドは」


「――調査委託の実費だと言っています」


 彼は言った。


「そして、伯爵夫人アデーレを、共犯として名指ししました」


 私は、顔を上げた。


「継母を」


「はい」


 彼は言った。


「明日、監察部が伯爵夫人を召喚します」


    ◇


 継母は、出頭した。


 逃げなかった。


 私は、王宮の廊下で、彼女とすれ違った。


 監察官に挟まれて歩く彼女は、黒いドレスを着て、髪をきちんと結い上げていた。


「――お義母様」


 私は、思わず声をかけた。


 彼女は、足を止めた。


 監察官が、咎めるような目をした。


「一言だけ、よろしいですか」


 私は言った。


 監察官は、少し迷って、頷いた。


 継母が、こちらを向いた。


「イレーネ」


「はい」


「あの子は」


「北へ発ちました」


 私は言った。


「殿下の領地です」


「――そう」


 彼女は言った。


「よかった」


 その言葉に、私は虚を突かれた。


「お義母様」


「なあに」


「あなたは、レオを殺そうとした人です」


「ええ」


「なのに、よかった、と言うのですか」


 継母は、少し笑った。


「イレーネ」


 彼女は言った。


「私は、あの子を憎んだことは一度もないのよ」


 彼女は言った。


「ただ、生きていられると困っただけ」


 私は、言葉を失った。


「――それを、憎いと言うのではありませんか」


「違うわ」


 彼女は言った。


「憎いなら、まだ人間の話よ。私がしたのは、計算」


 彼女は、監察官のほうへ向き直った。


 そして、歩き出す前に、こう言った。


「――イレーネ。私は、全部話すわ」


 私は、彼女の背を見た。


「なぜ、ですか」


「もう、守るものがないもの」


 彼女は言った。


「甥のカールは、爵位を取り上げられるでしょう。弟三人は、あなたが保障してくれた」


 彼女は言った。


「私が黙る理由が、なくなったの」


    ◇


 継母の証言は、四日続いた。


 私は入れなかったが、記録の写しがジークベルト経由で届いた。


 私は、それを一行ずつ読んだ。


 ――四百十七年、ローゼンタール侯爵より、フォークト家の帳簿から金を抜くよう持ちかけられた。見返りとして、実家の債務処理と、甥への叙爵。


 ――四百二十年、財務局書記官ラインヴァルトが、赤子を連れて来た。夫は、自分の子だと言った。私は反対したが、通らなかった。


 ――四百二十三年、甥カールにベルクマン男爵位が授けられた。仲介はラインヴァルト。


 ――四百二十四年より、薬事局特別会計から年六十ゴルドの支給が始まった。名目は調査委託費。実態は、私が沈黙を守ることへの支払い。


 私は、そこで手を止めた。


 ――沈黙を守ることへの支払い。


 継母は、口止め料を受け取っていた。何について。


 私は、続きを読んだ。


 ――監察官の問い。何について沈黙するよう求められたのか。


 ――アデーレ・フォークトの答え。レオ様の出生について。


 私は、紙を握りしめた。


 ――監察官の問い。レオ様の出生について、何を知っているのか。


 ――アデーレ・フォークトの答え。何も知らない。ただ、知らないままでいろと言われた。


 ――監察官の問い。誰に言われたのか。


 ――アデーレ・フォークトの答え。ラインヴァルト卿に。


 ――監察官の問い。他には。


 ――アデーレ・フォークトの答え。四百二十三年に、一度だけ、別の方がお見えになった。


 私の指が、震えた。


 ――監察官の問い。誰か。


 ――アデーレ・フォークトの答え。第二王子アルベルト殿下。


 私は、椅子から立ち上がった。


 紙が、床に落ちた。


 ――監察官の問い。殿下は、何と。


 ――アデーレ・フォークトの答え。「あの子を、外に出すな」と。


    ◇


 私は、その夜、ジークベルトの部屋へ走った。


 彼は、机に向かっていた。


「卿!」


「読みましたか」


 彼は、顔を上げずに言った。


「はい」


「では、座ってください」


 私は、座らなかった。


「卿。これは証拠です」


「証言です」


 彼は言った。


「証拠ではありません」


「でも」


「イレーネ嬢」


 彼は、ペンを置いた。


「伯爵夫人は、詐取の共犯として召喚されています。減刑を求めて虚偽を述べる動機があります」


 彼は言った。


「王族の関与を証言すれば、監察部は必ずこう言います。『被疑者が責任を転嫁している』と」


 私は、拳を握った。


「では、どうすれば」


「裏を取ります」


 彼は言った。


「四百二十三年、第二王子殿下がフォークト伯爵邸を訪ねた。これが事実なら、記録が残ります」


「王宮の外出記録ですか」


「それは、殿下の側で消せます」


 彼は言った。


「消せないのは、貴女の家の記録です」


 私は、顔を上げた。


「――うちの」


「貴族の来訪は、屋敷の側で記録します」


 彼は言った。


「来客帳です。イレーネ嬢、フォークト家に来客帳はありますか」


 私は、記憶を辿った。


 玄関の脇の小机。革表紙の、分厚い帳面。


 執事が、客の名を書き込む。


「――あります」


 私は言った。


「グレーテルが、つけていました」

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