↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巻き戻った令嬢の帳簿には、私を殺した全員の名前が載っている  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/50

第27話 二つの門

 継母の部屋は、片づいていた。


 寝台は整えられ、鏡台の上に何もない。衣装箱が二つ、蓋を開けたまま空になっている。


 私は、机の引き出しを開けた。


 空だった。


 窓辺の椅子に、喪服が畳んで置かれていた。葬儀で着ていたもの。その上に、封のない紙が一枚。


 私は取り上げた。


 継母の字だった。丸みのある、装飾の多い字。


 ――イレーネへ


 ――私は行きます。どこへとは書きません。あなたが知れば、あなたが吐かされるから。


 私は、その一文で息が止まった。


 ――ジークベルトと、同じ言い方だ。


 ――弟三人の件、ありがとう。書面はグレーテルに預けました。あなたは約束を守る人だから、心配していません。


 ――ひとつだけ、置いていきます。


 紙の裏に、走り書きがあった。


 ――四百十九年、第十一の月。エルフリーデ様の部屋に、ローゼンタール侯爵が来ました。二人きりで一刻。私はその日、廊下にいました。


 ――侯爵が出てきたあと、エルフリーデ様は、私にこう言いました。


 ――「アデーレ、あなたは逃げなさい」


 私は、紙を握りしめた。


 母が死ぬ、一か月前。


 ――逃げなさい、と母は言った。


 そして十年後、その言葉どおりに、この人は逃げた。


 私は、裏面の最後の一行を読んだ。


 ――私は逃げます。あなたは逃げないのでしょう。エルフリーデ様の娘だから。


 ――だから、これだけ。侯爵は、その日、木箱を持って来て、手ぶらで帰りました。


 私は、顔を上げた。


 ――置いていった。


 母の部屋に、何かが。


    ◇


 母の部屋は、東棟の三階にあった。


 十年、閉ざされていた。父が鍵をかけ、誰も入らせなかった部屋。


 鍵は、父の遺品の中にあった。


 私は、それを差し込んだ。


 軋みながら、扉が開いた。


 埃の匂い。それから、かすかに、インクの匂い。


 私は、燭台を掲げた。


 部屋は、母が死んだ日のままだった。寝台に布が掛けられ、鏡台に櫛が置かれ、机の上に羽ペンが転がっている。


 書棚が、空だった。


 父が燃やしたのだ。母の書いたものを、全部。


 私は、部屋を見回した。


 ――木箱。


 どこにある。


 寝台の下を覗いた。ない。衣装箪笥を開けた。空だった。鏡台の引き出し。空。


 私は、床に膝をついた。


 ――床板。


 私は自分がやったことを思い出した。書斎の床板の下に、薬瓶を隠した。あれは、誰に教わったわけでもない。


 私は、床を叩いていった。


 机の下。寝台の脇。窓辺。


 ――窓辺の三枚目で、音が変わった。


 私は指を差し込んだ。板が持ち上がった。


 中に、木箱があった。


    ◇


 書斎に運んで、ジークベルトとハーゲンの前で開けた。


 中には、紙束が入っていた。


 私は、一枚目を取り上げた。


 ――王国貧民施設向け薬品補助金 支出内訳。王暦四百十六年度。


 私は、目を疑った。


「これは、財務局の内部文書です」


 ハーゲンが、身を乗り出した。


「なぜ、これがここに」


 私は、次の紙をめくった。四百十七年度。四百十八年度。四百十九年度の途中まで。


 そして、その次。


 ――手書きの表。母の字だった。


 左に、財務局の支出額。右に、施設が実際に受領した薬の量。


 母は、突き合わせていた。十年前に。私が今やっていることと、同じことを。


「――卿」


 私は、声が震えた。


「母は、これを持っていました」


 ジークベルトが、紙を手に取った。


「イレーネ嬢。この財務局の内部文書は、どうやって手に入れたのでしょう」


「継母の手紙によれば」


 私は言った。


「ローゼンタール侯爵が、木箱を持って来て、手ぶらで帰った」


「――侯爵が、渡した」


「はい」


 ハーゲンが、髪をかき上げた。


「なぜ、侯爵が伯爵夫人に財務局の内部文書を渡すのですか。自分の首を絞めることになる」


「十年前は、まだ絞まっていなかったのでは」


 ジークベルトが言った。


「四百十六年から十九年。この時期、ローゼンタール侯爵は、まだ仲間ではなかった可能性があります」


 私は、顔を上げた。


「では、なぜ」


「――誘ったのだと思います」


 彼は言った。


「侯爵は、エルフリーデ夫人に、これを見せた。そして、共に問題にしようと持ちかけた。あるいは、逆に」


 彼は言葉を切った。


「逆に、なんですか」


「これを見せて、黙るように取引を持ちかけた」


 私は、母の手書きの表を見た。


 ――「アデーレ、あなたは逃げなさい」


 母は、その日、逃げろと言った。


 自分は逃げなかった。


「卿」


「はい」


「母は、断ったのだと思います」


 私は言った。


「取引を」


    ◇


 委員会の前日は、雪だった。


 北部貴族の館は、王都の西門近くにあった。石造りの、簡素な建物。第三王女が王都で使う宿だという。


 ジークベルトが門で名乗ると、取り次ぎは通った。


 だが、返答は「本日は面会に応じられない」だった。


「――やはりですか」


 ハーゲンが言った。


「私は残ります」


 ジークベルトが言った。


「もう一度、名を通します」


 私は、門の前に立っていた。


 雪が、外套の肩に積もっていく。


 私は懐から、一枚の紙を出した。


 昨夜、一行だけ書いた紙。


 ――動けない理由が、守っているものは、本当に守られていますか。


 私は、門番に近づいた。


「これを、殿下にお渡しいただけますか」


「面会は」


「面会は求めません」


 私は言った。


「読んでいただくだけで結構です。返事も要りません」


 門番は、紙を受け取った。


 中へ入っていった。


 私は、雪の中に立って待った。


 半刻。一刻。


 ハーゲンが、私の肩に外套を掛けた。


「フォークト嬢。凍えます」


「もう少し」


「明日、倒れては元も子もない」


「もう少しです」


 私は言った。


 ――三年後、私は待たなかった。


 牢の中で、待つのをやめた。誰も来ないと決めつけて、諦めた。


 今度は、待つ。


 二刻が過ぎた。


 雪が本降りになった。私の睫毛に雪がついて、視界がぼやけた。


 そのとき。


 門が、開いた。


    ◇


 第三王女アマーリエは、書斎にいた。


 暖炉の前の椅子に座り、脚に毛布を掛けている。二十四歳。細身で、髪は父王と同じ濃い金色。目は、灰色だった。


 その目が、私を見た。


 私の紙を、膝の上に置いていた。


「――フォークト伯爵令嬢」


「はい」


「この一行を書いたのは、あなた?」


「はい」


「なぜ、これを書いたの」


 私は、少し考えた。


「私も、同じことをしたからです」


「同じこと」


「動けなかったことが、あります」


 私は言った。


「守りたいものがあって、動けば危ないと思って、黙っていました。結果、守りたかったものを失いました」


 殿下は、私を見ていた。


「――何を失ったの」


「弟です」


 私は言った。


 そして、続けた。


「――と、思っていた時期があります。今は、生きています」


 自分でも、変な言い方だと思った。


 でも、殿下は聞き返さなかった。


 彼女は、暖炉の火を見た。


「私は、三年前まで王宮の会計を見ていました」


 彼女は言った。


「陛下が倒れられて、私は職を解かれた。理由は、女は帳簿を見るべきでないと」


 彼女は言った。


「本当の理由は、私が見つけたからです」


 私は、息を止めた。


「四百二十六年度の、貧民施設向け薬品補助金。支出額と、薬事局の申請額が合わなかった」


 彼女は言った。


「差額、二千ゴルド。私は財務局に照会しました」


「――結果は」


「三日後に、私は職を解かれました」


 彼女は、私を見た。


「あなたのお母上のことは、知っています」


 私の視界が、揺れた。


「――母を」


「王宮の記録に残っていました。四百十九年、フォークト伯爵夫人からの照会。受付、ラインヴァルト一等書記官。回答、なし」


 彼女は言った。


「そして二か月後の、死亡記録」


 彼女は、毛布の上で手を組んだ。


「私は、それを見て、動けなくなりました」


 沈黙が落ちた。


 暖炉の薪が、爆ぜた。


「殿下」


 私は言った。


「明日、委員会があります」


「知っています。私が委員長です」


「賛成七、反対五、未定二。おそらく七対七になります」


「そうでしょうね」


「決裁票を、お願いに来ました」


 私は、床に膝をついた。


「殿下。私は、殿下に危険を冒せと申し上げています。図々しいことだと承知しています」


「――ええ、図々しい」


 殿下は言った。


 声に、感情がなかった。


「あなたは、私に領地を失えと言っている。北部には三万の民がいる。私が追われれば、あそこは王宮直轄になる。今より重い税がかかる」


 彼女は言った。


「あなたの百五十人と、私の三万人。どちらが重い?」


 私は、顔を上げた。


 ――答えられない。


 数字では、答えられない。


「殿下」


 私は言った。


「私は、比べません」


「比べないと、決められない」


「決めるのは、殿下です」


 私は言った。


「私は、比べるための材料を持ってきただけです」


 私は、懐から紙束を出した。


 母の遺した、財務局の内部文書。四百十六年から十九年。


「これは、十年前の支出内訳です。母が遺しました」


 私は、それを床に置いた。


「殿下がご覧になった四百二十六年度のものと、同じ種類の文書です」


 殿下の目が、初めて、はっきりと動いた。


「――どこで」


「母の部屋の、床下に」


 私は言った。


「十年、誰も見ませんでした」


 彼女は、椅子から立ち上がった。


 毛布が落ちた。


 彼女は床に膝をつき、紙束を取り上げた。一枚、二枚とめくっていく。


 その手が、震え始めた。


「――四百十六年」


 彼女は言った。


「私が見たのは四百二十六年。十年、遡れる」


「はい」


「十年前から、同じ形で抜かれている」


 彼女は顔を上げた。


「これは、一人ではできません」


「はい」


「制度です」


 彼女は言った。


「誰かの悪事ではなく、制度として、十年動いている」


 私は、頷いた。


 殿下は、紙束を胸に抱えた。


 そして、私を見下ろした。


「フォークト令嬢」


「はい」


「一つ、条件があります」


「なんでしょう」


「明日、動議を出すのはあなたです」


 彼女は言った。


「私は決裁票を投じます。ですが、その前に、あなたが議場で説明しなさい」


 私の心臓が、跳ねた。


「――私が、議場で」


「十五人の委員と、傍聴席の前で」


 彼女は言った。


「私が決裁票を投じる理由を、あなたが作りなさい」


 彼女は、紙束を机に置いた。


「私は、あなたのために票を投じるのではありません」


 彼女は言った。


「十年、誰も読まなかったこの紙のために投じます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。