↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巻き戻った令嬢の帳簿には、私を殺した全員の名前が載っている  作者: やまご


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/50

第16話 開かない扉

 私は外套の襟を直した。


 今日の私は、伯爵令嬢ではない。監査局の補助員として、書記官と同じ黒い上着を着ている。髪は結い上げ、装飾は何もつけていない。


「イレーネ嬢」


 階段の下で、ジークベルトが言った。


「中では、私の後ろに立ってください。発言は求められたときだけ」


「はい」


「もうひとつ」


 彼はこちらを見た。


「怒っても、顔に出さないでください。役所は、怒っている人間を『対応済み』の箱に入れます」


 私は頷いた。


「――卿。ひとつ伺っても」


「どうぞ」


「怒りを顔に出さない方法を、どこで学ばれたのですか」


 彼は一瞬、答えなかった。


「十四のとき、父の葬儀で」


 それだけ言って、彼は階段を上り始めた。


    ◇


 受付で、ジークベルトは書状を出した。


「王国財務監査局。立入監査の通告を、三日前に文書で送付しています」


 受付の若い官吏が、書状を受け取り、目を走らせ、そして立ち上がった。


「少々、お待ちを」


 待たされたのは、四半刻だった。


 やがて戻ってきた官吏は、困った顔をしていた。


「申し訳ございません。本日は、担当の者が全員、外部の会議に出ておりまして」


「全員」


「はい」


「薬事局の職員は、名簿上、五十二名です」


 ジークベルトは淡々と言った。


「五十二名全員が、外部会議ですか」


「その、担当の部署の者が」


「では、部署ではない者に取り次いでください。局長は」


「局長も、外出中でして」


 私は、後ろで拳を握った。


 これだ。


 三年後、私が知らなかった役所の壁。誰も嘘をつかない。誰も断らない。ただ、いない。永遠にいない。


 ジークベルトは、表情を変えなかった。


 彼は懐から、別の書状を出した。


「王国会計監査法、第七条第三項」


 彼は読み上げた。


「立入監査に際し、当該機関の職員が不在である場合、監査官は当該機関の文書保管庫に直接立ち入り、必要な記録を閲覧および複写することができる」


 受付の官吏の顔が、固まった。


「……それは」


「保管庫の場所を教えてください」


「しかし、鍵は保管責任者が」


「保管責任者も、外部会議ですか」


「……はい」


「では」


 ジークベルトは腰の帯から、あの黒い金属の棒を抜いた。


「監査局は、鍵を壊す権限を持っています」


 官吏が、あからさまに青ざめた。


「お待ちください。壊すというのは、あまりに」


「壊さない方法が、ひとつだけあります」


 彼は棒を持ったまま言った。


「保管責任者を、今すぐ呼び戻すことです」


    ◇


 保管責任者は、半刻で現れた。


 外部会議に出ていたはずの男は、汗をかいて、上着のボタンをかけ違えていた。


「た、ただいま戻りました。会議が早く終わりまして」


「結構です。開けてください」


 保管庫は、地下にあった。


 石の階段を下りると、天井の低い、長い部屋が広がっていた。両側に木の棚。棚には、年ごと、月ごとに整理された綴りが並んでいる。


 埃の匂いがした。


 私は、思わず息を吸った。


 紙の匂いだ。私が三年間、いちばん恋しかった匂い。


「ケラー商会の調剤記録、過去五年分」


 ジークベルトが言った。


「それと、審査官エルンスト・ヴァイマーの担当案件一覧、および審査手当の支給記録」


 保管責任者が、狼狽えた。


「手当の記録は、こちらではなく人事のほうに」


「では人事の保管庫も開けていただきます。順番にやりましょう」


    ◇


 調剤記録は、すぐに見つかった。


 私は棚から綴りを抜き、床に膝をついて広げた。


 ヴェルナーが横で写しを取り始める。


 五年分。ケラー商会が提出した、すべての調剤記録。


 私は頁をめくった。


 処方、分量、納入先、日付。そして下部に、代表ヨハン・ケラーの署名と、審査官ヴァイマーの副署。


 ――全部だ。


 五年分、二百件近い記録のすべてに、ヴァイマーの署名がある。


「卿。五年で百九十四件。すべて同一審査官です」


「薬事局の審査官は何名ですか」


 ジークベルトが、保管責任者に問うた。


「……七名です」


「では、通常なら一つの商会の申請は、複数の審査官に分散するはずですね」


「担当は、その、商会ごとに固定しておりまして」


「規則にありますか」


「……慣例です」


 ジークベルトは頷いた。ヴェルナーが、その言葉をそのまま書き取っている。


 私は次の綴りを開いた。


 そこで、手が止まった。


「卿」


「はい」


「――納入先の一覧が、あります」


 私は頁を指した。


「ケラー商会が、王国から補助を受けて薬を納めている先です。救貧院、孤児院、治療院。全部で十一か所」


「補助」


「はい。貧民施設への薬の納入は、王国が費用の八割を補助しています。ですから、納入先ごとに補助金の申請額が書かれています」


 私は、数字を追った。


 そして、指が止まった。


「……卿」


「どうしました」


 私は顔を上げた。


「聖アグネス救貧院の、補助金申請額。年間、四百八十ゴルドです」


「多いのですか」


「ええ。とても」


 私は暗算した。


「聖アグネスの入所者は八十九名。全員が毎日薬を飲んでも、規定濃度で年間三百ゴルドに届きません。実際に薬を要する人はもっと少ない」


 私は次の頁をめくった。


「聖マルタ孤児院、三百六十ゴルド。北部治療院、五百二十ゴルド。合計――」


 私は十一か所を足した。


 指が、震え始めた。


「十一か所で、年間四千百ゴルド」


 ジークベルトが、私の隣に膝をついた。


「実際に必要な額は」


「多く見積もっても、千五百ゴルドです」


 私は言った。


「差額、年に二千六百ゴルド。五年で一万三千ゴルド」


 沈黙が落ちた。


 地下の保管庫は、恐ろしく静かだった。


「イレーネ嬢」


 ジークベルトの声が、低くなった。


「今、我々が追っていた金額を、言ってください」


「……フォークト伯爵家から抜かれた、三年で千二百ゴルドです」


「今、目の前にある金額は」


「五年で、一万三千ゴルド」


 私は綴りを閉じた。


 全身が、冷えていた。


 ――違う。


 順序が、違っていた。


 私はずっと、継母が家の金を盗んでいて、その隠れ蓑としてケラー商会を使っていると思っていた。家が主で、商会が従だと。


 逆だ。


 商会は、王国の補助金を五年で一万三千ゴルド抜いている。それが本体だ。


 伯爵家から抜いた千二百ゴルドは――付け足しだ。ついでの小銭だ。


 そして、そのついでの小銭のために、私は首を落とされた。


 私は、床に手をついた。


「イレーネ嬢」


「……大丈夫です」


「顔色が」


「大丈夫です」


 私は言った。


 息を整えて、顔を上げた。


「卿。この補助金は、どこから出ていますか」


「王国財務局です」


「支出の承認は」


「――財務局次官」


 ジークベルトが言った。


「第二王子殿下の、母方の従兄です」


 私は、目を閉じた。


 開いた。


「繋がりました」


 私は言った。


「卿。これは、私の家の話ではありません」


「ええ」


「王国の、金の話です」


「そうです」


 彼は立ち上がり、私に手を差し出した。


 私はその手を取って、立ち上がった。


 手が、震えていた。彼の手は、いつものように冷たく、そして硬かった。


「イレーネ嬢」


「はい」


「ここから先は、貴女の復讐ではなくなります」


 彼は言った。


「王国そのものが相手になります。降りるなら、今です」


 私は、彼の目を見た。


 三年後の傍聴席。誰よりも長く残って、私の帳簿を見つめていた男。


 あのとき、この人は何を思っていたのだろう。


 数字が合わない、と思ったのだろうか。合わないまま、私が死ぬのを見たのだろうか。


 ――もう、そうはさせない。


「卿」


「はい」


「私は、この五年で、何人が死んだかを知りたいと思います」


 私は言った。


「聖アグネスだけで、去年三十二人でした。十一か所あります。誰も数えていません」


 私は、彼の手を離した。


「数えるのは、私の仕事です」


    ◇


 保管庫を出たのは、日が暮れてからだった。


 複写した記録は、麻袋三つ分になった。ヴェルナーと、応援に来た監査局の若い官吏が、それを馬車へ運んでいく。


 私は、二十七段の階段の上に立っていた。


 王都の街が、夕日に沈んでいくのが見える。


 背後で、扉が開く音がした。


 振り返ると、白髪の男が立っていた。


 細身の、六十がらみの男。上等な仕立ての上着。手には杖。


 私は、その顔を知らなかった。


 でも、彼の胸元の徽章は知っていた。


 薬事局の、主席審査官の徽章。


「――ヴァイマー審査官」


 背後から、ジークベルトの声がした。


「外部会議は、終わりましたか」


 老人は、微笑んだ。


「アーレンス卿。お噂はかねがね」


 彼は杖をつきながら、こちらへ歩いてきた。


 そして、私の前で足を止めた。


「そちらのお嬢さんは」


「監査局の補助員です」


「ほう」


 ヴァイマーは、私の顔をじっと見た。


 その目を、私は見返した。


 濁った、しかし鋭い目だった。何十年も書類を見てきた人間の目。この人は、私の顔ではなく、私の「持っているもの」を見ている。


「――フォークト伯爵家の、令嬢ですな」


 彼は言った。


 私の背が、冷えた。


「なぜ、そう思われますか」


「その顔立ちは、亡くなられた伯爵夫人によく似ておられる」


 老人は微笑んだ。


「先代の奥様に。あの方も、数字がお好きでしたな」


 母。


 私が七つのときに死んだ、実の母。


「……母をご存じなのですか」


「ええ、よく」


 ヴァイマーは杖を持ち替えた。


「あの方も、王国の帳簿をお調べになりたがった。ちょうど、貴女のように」


 彼は、階段を下り始めた。


 すれ違いざま、彼は静かに言った。


「――お気をつけなさい。あの方も、そのすぐあとに病で亡くなられた」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。