第九話 腹が減っては
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
アシュリーは焚き火へ視線を戻した。
肉を焼く。
香辛料を振る。
匂いを確かめる。
実に大切な作業だった。
「肉が足りないわね」
そう言って脇に置いていた剣を少女へ放る。
少女は反射的に受け取った。
両手で。
慌てて。
目を見開く。
剣だった。
武器だった。
奴隷である自分に渡していいものではない。
少なくとも今まで見てきた世界では。
「少し先に鳥がいるわ」
アシュリーが平然と言う。
「取ってきて」
少女は固まった。
理解できない。
自分は奴隷だ。
買われたばかりだ。
逃げるかもしれない。
襲うかもしれない。
なのに。
なぜ武器を渡す。
しかも。
目の前の女は丸腰だった。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
考えてしまった。
もし今。
この距離で。
剣を振れば。
「ふふ」
笑い声。
少女の身体が硬直した。
心臓が大きく跳ねる。
見透かされた。
そう直感した。
アシュリーはこちらを見ていない。
肉を焼いている。
香辛料を振っている。
けれど。
全部知られている気がした。
「何を考えたかは知らないけれど」
楽しそうな声だった。
「やるなら今だったわね」
少女の背筋に冷たいものが流れる。
本能が理解する。
危険だ。
目の前の存在は危険だ。
理屈ではない。
生物として。
そう理解した。
「早く行きなさい」
アシュリーは焚き火の前から動かない。
「お腹が空いたわ」
少女は反射的に駆け出していた。
森の中へ。
剣を握ったまま。
逃げるように。
◇
枝を蹴る。
地面を蹴る。
身体が軽い。
治療されたばかりなのに。
驚くほど軽い。
少女は木々の間を駆け抜ける。
やがて。
鳥型の魔物を見つけた。
枝の上。
警戒心の強い魔物だった。
普通なら数人がかりで狩る。
だが。
少女は静かに息を止めた。
一歩。
二歩。
三歩。
距離を詰める。
そして。
飛んだ。
銀光。
一閃。
魔物の首が落ちる。
着地。
迷いは無かった。
そのまま血抜きを行う。
身体が覚えていた。
戦争。
訓練。
生存。
全てが染み付いていた。
◇
程なくして少女は戻ってきた。
手には鳥型の魔物。
見事に首が落とされている。
しかも血抜きまで済ませてあった。
アシュリーは目を細める。
「上出来ね」
少女の肩が僅かに震えた。
褒められ慣れていないのかもしれない。
あるいは。
褒められると思っていなかったのか。
アシュリーは魔物を受け取る。
翼を落とす。
内臓を取り出す。
短剣を使いながら手際よく解体していく。
少女は黙って見ていた。
「ありがとう」
短い礼。
それだけ。
見返りも無い。
賞賛も無い。
だが少女は目を見開いた。
礼を言われた。
久しぶりだった。
いつ以来か分からないほど。
久しぶりだった。
アシュリーは気付いていない。
肉へ香辛料を揉み込む。
火加減を調整する。
今の関心はそちらだった。
やがて。
香ばしい匂いが漂い始める。
少女の腹が小さく鳴った。
アシュリーが視線だけを向ける。
少女は慌てて顔を伏せた。
「お腹は空くものよ」
気にした様子もない。
焼けた肉を木皿へ盛る。
一つを少女へ差し出した。
少女は戸惑った。
本当に自分が食べて良いのだろうか。
そんな顔だった。
「食べなさい」
少女は恐る恐る受け取る。
一口。
瞬間。
目を見開いた。
美味しい。
香辛料。
塩加減。
焼き加減。
全部が絶妙だった。
気付けば夢中で食べていた。
アシュリーも肉を口へ運ぶ。
しばらく二人とも無言だった。
焚き火だけが音を立てる。
やがて。
アシュリーがぽつりと呟いた。
「やっぱり当たりね」
少女が顔を上げる。
アシュリーは骨を火へ放り込んだ。
「首を落とす判断」
指を一本立てる。
「血抜き」
二本目。
「戻る速度」
三本目。
満足そうに頷いた。
「全部正解だったわ」
少女は目を丸くする。
「だから買ったのよ」
奴隷市で。
死にかけていた自分を。
なぜ買ったのか。
ようやく答えが返ってきた。
「あなた、才能があるもの」
アシュリーは肉を齧る。
まるで当然の事実を述べるように。
「もっとも」
少しだけ笑う。
「今は全然弱いけれどね」
少女は悔しそうに眉を寄せた。
その反応を見て。
アシュリーは満足そうに頷く。
「その顔よ」
そして再び肉へ視線を落とした。
「それが無くなったら終わり」
焚き火の向こう。
少女は黙ったままアシュリーを見つめる。
やはり分からない。
優しいのか。
冷たいのか。
助けたかったのか。
利用したいのか。
ただ一つ。
分かることがある。
この女は。
本気で自分が強くなれると思っている。
それだけは。
疑いようがなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




