第八話 まずは鍛え直すこと
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
教会。
神官が神聖魔法を行使する。
柔らかな光が竜人の少女を包み込んだ。
荒れていた呼吸が少しずつ落ち着いていく。
青白かった顔色にも血色が戻り始めた。
やがて光が消える。
神官は額の汗を拭った。
「命に別状はないでしょう」
「そう」
アシュリーは短く答えた。
神官は少し首を傾げる。
普通なら安心する。
普通なら喜ぶ。
感謝の言葉だって出るだろう。
しかし目の前の旅人風の女性は違った。
まるで高級な剣の鑑定結果でも聞いているような反応だった。
アシュリーは気にしない。
少女の前へしゃがみ込む。
視線を合わせた。
先程まで霞んでいた瞳。
今はしっかり光を宿している。
そして。
真っ直ぐ見返してくる。
負けん気。
生存本能。
強い意志。
「あら」
思わず笑った。
「やっぱりね」
少女が僅かに首を傾げる。
言葉は出ない。
それでも十分だった。
筋肉は落ちている。
身体も弱っている。
だが芯は折れていない。
その目を見れば分かる。
「どうかしら?」
アシュリーが尋ねる。
「生きられそう?」
少女はしばらく見つめ返していた。
やがて。
小さく頷く。
本当に僅かに。
けれど確かに。
その返答を見たアシュリーは満足そうに立ち上がった。
「なら良かったわ」
それ以上は何も言わない。
恩を売るつもりもない。
感謝を求めるつもりもない。
確認したかっただけだ。
死にかけていた竜人が、
本当にまだ戦えるかどうかを。
そして。
答えは期待以上だった。
◇
森。
街から少し離れた場所。
小川の流れる開けた空間だった。
ミッフィーが草を食んでいる。
アシュリーは荷物を下ろした。
まずやることは決まっている。
「そこに立って」
少女がびくりと肩を震わせた。
「魔法をかけるわ」
さらに警戒を強める。
アシュリーは苦笑した。
「大丈夫よ」
肩を竦める。
「綺麗にするだけだから」
少女は恐る恐る立ち上がった。
アシュリーは手を上げる。
水魔法。
初級魔法の一つ。
本来なら洗濯や掃除に使われる程度の術式。
だが。
アシュリーが使えば話が違う。
大量の水が空中へ出現した。
少女の身体を包み込むように。
顔以外の全身へまとわりつく。
少女が目を見開く。
「動かないでね」
パチンッ。
指を鳴らした。
次の瞬間。
透明だった水が一気に濁る。
泥。
汗。
汚れ。
全てが水へ移っていく。
見る間に少女の身体が綺麗になった。
アシュリーは汚れた水を地面へ流す。
木の根元へ吸い込まれていった。
さらに。
少女の顔の前へ、人の頭ほどの大きさの水球を作り出す。
「今度はこれ」
少女が不思議そうに見る。
「顔を入れなさい」
少し躊躇う。
だが素直に従った。
水球へ顔を沈める。
パチンッ。
再び指が鳴る。
水球が濁った。
顔の汚れが全て移ったのだ。
「これでいいわね」
アシュリーが満足そうに頷く。
少女はぽかんとしている。
何が起きたのか理解できていないらしい。
「さて」
アシュリーは少女へ近づいた。
顔を覗き込む。
「そろそろ喋れるんじゃなくて?」
少女は声を出そうとする。
「あ……」
掠れた音が漏れる。
まだ声と呼べるものではない。
「あら」
アシュリーは少し考えた。
そして笑う。
「まあいいわ」
少女は目に見えて落胆した。
治ったと思ったのだろう。
「そんな顔しなくていいじゃない」
アシュリーはあっさり言う。
「数日もすれば治るでしょう」
少女が顔を上げる。
その瞬間。
アシュリーは当然のように続けた。
「あなたを買ったのは、私の剣の相手になってもらおうと思ったからよ」
少女が固まる。
意味が分からない。
買われた。
助けられた。
治療された。
その上で。
剣の相手になれと言われた。
全部意味不明だった。
「今のあなたじゃ足りないけれど」
アシュリーは続ける。
「鍛えれば、そのうち相手になるでしょう」
本気だった。
冗談ではない。
少女にもそれだけは分かった。
だからこそ理解できない。
アシュリーは木へ背を預ける。
「前世なら違ったのだけれど」
少女は当然理解できない。
アシュリーも説明する気はない。
手を握る。
開く。
握る。
開く。
「身体というのは不便ね」
呟く。
剣を抜いた。
銀の刃が陽光を反射する。
「技術は覚えている」
軽く振る。
風が走った。
「魔力の扱いも覚えている」
さらに一振り。
音だけが遅れて届く。
「でも身体だけは別」
先日の盗賊戦を思い出す。
確かに圧倒した。
だが。
前世なら。
あんな相手。
認識する暇すら与えず終わっていた。
そう断言できた。
「鍛え直さないとね」
少女を見る。
「あなたも」
少し笑う。
「私も」
真っ直ぐな視線だった。
「一からやり直しよ」
少女の瞳が揺れる。
奴隷だった。
死にかけていた。
何も持っていない。
だが。
今の言葉だけは不思議だった。
弱いから鍛える。
弱者だから助ける。
そんな響きではない。
まるで。
自分も同じだと。
そう言われた気がした。
アシュリーは立ち上がる。
「まずは食事ね」
荷物を開く。
先ほど買った香辛料を並べる。
肉もある。
野菜もある。
「身体を作るには食べなきゃだめよ」
そして少女を見る。
少し考えてから首を傾げた。
「ところで」
一拍置く。
「名前はどうするのかしら?」
少女は瞬きを繰り返した。
まだ喋れない。
「まあ、喋れるようになってからでいいわね」
興味を失ったように肉を焼き始める。
香ばしい匂いが広がった。
少女は黙ってその背中を見つめる。
奴隷市で見た誰よりも。
今目の前にいる女の方が遥かに異質だった。
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