第四話 今世は自由に生きる
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
数日後。
国境。
長く続いた街道の先に建てられた石造りの検問所を抜ける。
アシュリーは馬の歩みを止めた。
背後には生まれ育った国。
前方には見知らぬ土地。
ゆっくりと振り返る。
何年も暮らした国だった。
王都。
学園。
公爵家。
そして王太子エドワード。
様々なものが脳裏を過ぎる。
だが。
特に感慨はなかった。
寂しさも。
未練も。
怒りも。
何もない。
あるのはただ一つ。
ようやく終わった。
その安堵だけだった。
「これで自由ですわ」
ぽつりと呟く。
誰に聞かせるでもない言葉。
馬から降りる。
肩を回し、大きく伸びをした。
ぽきり、と首が鳴った。
空は高い。
風は心地良い。
誰も命令しない。
誰も報告を求めない。
誰も予定表を持ってこない。
今日何をするか。
明日何をするか。
来月どこへ行くか。
全部自分で決められる。
当たり前のことだった。
けれどアシュリーにとっては違う。
生まれて初めて手に入れた権利に近かった。
「ふぅ……」
自然と息が漏れる。
こんな風に空を眺めるのはいつ以来だろう。
思い出せない。
王妃教育。
外交。
政務。
貴族調整。
軍事講義。
地方統治。
次から次へと積み上がる仕事。
暇などなかった。
いや。
暇ができれば次の仕事が積まれた。
思えば、この体に生まれ変わってからというもの。
剣を振る時間すら碌になかった。
それが少しだけ残念だった。
けれど。
そのおかげで学べたこともある。
得たものは剣の技だけではない。
それは、おいおい実行に移すとしよう。
はやる気持ちを抑えながら、一歩一歩進む。
「ひとまず最寄りの街に行きましょう」
愛馬の首を撫でる。
ミッフィーは気持ち良さそうに鼻を鳴らした。
「お風呂に入りたいわ」
心からの願望だった。
ここ数日は野営が続いている。
体を拭いてはいる。
だが湯船には入れていない。
髪も少し埃っぽい。
豪華な宿など求めない
大理石の浴場もいらない。
ただ静かに湯に浸かりたい。
それだけだ。
「あと、美味しいお食事ね」
自然と口元が緩んだ。
焼き立てのパン。
温かなスープ。
香辛料の効いた肉料理。
考えただけで少し幸せになる。
急ぐ旅ではない。
追われる身でもない。
自由だ。
どこへ行こうといい。
何をしようといい。
全部自分で決められる。
その事実がたまらなく嬉しかった。
アシュリーは軽やかに馬上へ飛び乗る。
「行くわよ、ミッフィー」
ヒヒーン。
返事をするような鳴き声。
二人は再び街道を進み始めた。
国境の向こうへ。
誰のためでもなく。
ただ自分の人生を生きるために。
◇
最寄りの街に到着したのは夕方だった。
国境付近の交易都市らしく、人の往来が多い。
商人。
護衛。
旅人。
冒険者。
様々な人間が行き交っていた。
「まずは宿ですわね」
アシュリーは大通り沿いの宿へ入った。
清潔そうな宿だった。
一階は酒場を兼ねているらしい。
受付へ向かう。
「一泊お願いできますかしら」
「身分証をお願いします」
当然の確認だった。
アシュリーは少し考える。
そして答えた。
「ございませんわ」
受付の男性が困った顔をした。
「身分証なしですと簡易宿のみになります」
「お風呂付きは?」
「申し訳ありません」
即答だった。
「冒険者登録証をお持ちでしたら別ですが」
アシュリーが眉を上げる。
「冒険者ならよろしいのですか?」
「Bランク以上であれば」
男は頷いた。
そして少し苦笑する。
「未登録のお嬢ちゃんには難しいでしょうけどね」
カチン。
非常に小さな音だった。
誰にも聞こえない。
しかし確かに鳴った。
アシュリーの中で。
「……そうですか」
笑顔。
完璧な笑顔。
「ああ。登録だけならギルドで――」
「ありがとうございます」
踵を返し、
そのまま店を出る。
受付の男性は気付かなかった。
今、自分が何か妙な地雷を踏んだことに。
◇
冒険者ギルド。
街の中央付近に建てられた大きな建物だった。
扉を開く。
一斉に視線が集まる。
若い女性。
しかも貴族らしい見た目。
珍しいのだろう。
だがアシュリーは気にしない。
一直線に受付へ向かった。
「冒険者になりに来ました」
受付嬢が目を丸くする。
金髪。
上質な服装。
洗練された所作。
どう見ても冒険者志望には見えない。
「えっと……冒険者ですか?」
「ええ」
「冒険者は魔物とも戦いますよ?」
「望むところよ」
即答。
受付嬢が固まる。
「盗賊とも戦います」
「望むところよ」
「怪我もします」
「望むところよ」
「命を落とす方もいます」
「望むところよ」
受付嬢の思考が停止した。
一切迷わない。
逆に楽しそうですらある。
目の前の令嬢が何を考えているのか分からない。
しばらく沈黙した後。
受付嬢は深々と溜息を吐いた。
「……分かりました」
マニュアル通りに進めることにする。
変に考えるだけ無駄だ。
そう判断した。
「では登録試験を受けていただきます」
「ええ」
アシュリーは頷く。
その青い瞳が少しだけ輝いた。
登録。
身分証。
宿。
そんなことはどうでもいい。
先程から気になっていることがある。
ギルドに入った瞬間から。
訓練場の方角から。
何人もの戦士の気配がするのだ。
弱い。
だが弱いなりに鍛えている。
それだけで少し興味が湧いた。
「こちらへどうぞ」
受付嬢に案内される。
アシュリーは静かについていく。
その表情は穏やかだった。
だが。
本当に彼女を知る者が見れば分かる。
婚約破棄を告げられた時よりも。
自由を手にした時よりも。
今の方がずっと楽しそうだということに。
その理由を。
受付嬢はまだ知らない。
前世で剣神と呼ばれた少女が。
生まれて初めて自由に剣を振るえることを。
お読み頂き、ありがとうございます。




