24.
記憶の奥から、愛する女性の声がした。
――ジョージ。
私がレーシーに出会ったのは大学生の頃だった。
酪農学を専攻していた私は、ペトロック辺境伯領内の酪農業の村を訪れた。
そこの案内を引き受けたのがレーシー・ファルマだった。
一目みて目を奪われるほどの美しい女性だった。
黄金に輝く髪、真っ白な透き通る肌、理知的な青い瞳。
完璧な女性だった。
完璧なのは外見だけではない。
村の中で裕福な家庭で育った彼女は都市部の女学校を卒業しており、学識豊かであった。
酪農産業に関する知識も豊富で、私が逆に教わる側であった。
日が経つにつれて、彼女との距離が近くなりついには恋人に――そして将来を誓い合った。
お互いの両親は良い反応をしなかった。
仮にも貴族の家、平民の娘など言語道断と両親から否定された。
病弱なレーシーの親も、娘には平凡な酪農家の元へ嫁ぐものだと思っていたようだ。
それでも私は諦めず、ついに両親は根負けした。
結婚式は小さな教会で執り行われた。
人々は表向きは祝っていたが影でレーシーの出自をばかにした。
「レーシー、気にすることはない。君は特別なのだ」
私は彼女を励ました。
それに彼女は悲しげに笑った。
それから私は仕事に奔走した。
貴族議員の議席を勝ち取り、私の地位は盤石なものとなっていた。
しかし、レーシーの表情が曇っていく。
どうやら影でまた言われたようだ。
その上、ようやく生まれた子は女児だった。
――「跡取りも満足に産めないのか」
心無い陰口が彼女を追い詰めていく。
「レーシー、君は特別なんだ」
私は彼女の為に何度も口にする。
本当にレーシーは私にとって特別な女性だった。
嘘ではない。
その度にレーシーは悲しげに微笑んだ。
「婦人サークルに参加しようと思うの。昔の学友もいるのよ」
「そうか。平民サークルなのは気になるが、君が楽しめるのであればそれがいい」
少し間をおいて彼女は悲しげに笑った。
どうして悲しそうにするのだろう。
「レーシー、食欲はないのかい?」
「ええ、少し太ってしまって」
食事中、早々に食膳を下げさせた彼女は笑った。
「サロンで煙草を勧められたの。煙草って男が吸うものでしょう? 大丈夫かしら。少しだけ気が軽くなるから吸いたいのだけど」
「いいのではないか? 私も煙草は吸うし、最近は女性も嗜むよ」
おすすめの柄をプレゼントすると彼女は嬉しそうにしていた。
良かった。気分が晴れるのならそれがいい。
「ごめんなさい。私のせいで……私のせいで」
レーシーは泣き崩れた。
第一子からのようやくの懐妊だというのに流産になってしまった。
「悲しむな。お前が無事で何よりだ。私にとって君が大事なのだよ。君は特別だから」
そういうと彼女はようやく泣き止んだ。それでもまた悲しげな表情をする。
何年かして待望の第二子は男児だった。
しかし、気管支喘息を患っており吸入器を頻繁に使用し続けないといけなかった。
第三子はさらに体が弱い子だった。それが、レーシーを追い詰めていく。
「ごめんね。私が丈夫に産めなくて、ごめんね」
レーシーは何度も子供たちに謝っていた。
「レーシーのせいではない。子供の健康などわかるものか。君のせいではない……君のせいではない」
私は呪文のように彼女に呟いた。
「君は私にとって特別な女性なのだ」
しかし、レーシーは少しずつ体が弱くなっていく。狭心症を患い、薬が手放せなくなっていた。
医者から禁煙を勧められるが、煙草を断つと彼女は情緒不安定になり私は仕方なく煙草を買い与えた。
「ごめんなさい、あなた」
レーシーは私に謝罪した。
一体何を謝るのだ。
謝る必要はない。
「私は君と一緒になれて幸せだ。君は私の特別なのだ」
レーシーは笑った。いつもの悲しげな笑顔だった。
その翌朝、レーシーは酷い発作を繰り返した。
医者が処方した頓服を何度も使用しても一時的に軽くなるだけですぐに苦しみだしてしまう。
何度も何度も頓服を使用していき、ついには手持ちの頓服が全てなくなっていった。
ようやくやってきた医者に私はけしかけた。
「まだ助かる! 助けるのだ」
今にも医者の首を絞めようという勢いで周りの使用人たちが必死に取り押さえる。
少しでも気が済むようにと医者はレーシーの採血を始めた。
カーテン越しに光が入り、その瞬間私は息を呑んだ。
採血管の中のレーシーの血が美しい青に輝いていたのだ。
ああ、やっぱりレーシーは特別だったのだ。
だから証明しなければならない。
レーシーを分不相応に貴族と結婚した女と影口を叩いた奴らに、レーシーは特別な女性だったと知らしめるのだ。
◆◆◆
騎士の剣の先はジョージの皮膚をギリギリかすめて地面へと振り落とされた。
ぱらりとジョージの髪の毛が地面へと落ちていく。その瞬間、何かが崩れ落ちた。
「レーシーは特別なのだ。……そうでなければならない」
死を覚悟したジョージは妄言を呟いた。
「馬鹿馬鹿しい」
シャーロットは吐き出した。
「特別……誰が特別と求めた。特別である必要がどこにある。それが君の妻を、子を、追い詰めていたのではないのかね?」
怒りを抑えられない言葉、果たしてそれは今のジョージの耳に届いているかわからない。
路地裏に、風の音だけが残った。
「そこまで」
路地裏の入り口から警官たちが入り込んでいく。
ジョージ・ラビエラを囲んだ。
「ジョージ・ラビエラ……ミカエル毒殺容疑で逮捕する」
警官はジョージに手錠をかけていった。
「大丈夫ですか?」
ルイスはサラたちの方へ近づき手を差し伸べた。
「病院へ急ぎましょう」
「いえ、私は大丈夫です。その……そちらの騎士様は?」
気になってしまいサラは甲冑の男へ視線を移す。
ランチェト卿役のルイスはいる。では、中にいるのは誰だろうか。本当に幽霊なのか?
甲冑の男は兜に手をかけた。
兜を外すと、どこかで出会った異国の男が現れた。
「あなたはアルマおばさまの家にいた」
ヨイチはこくりと頷き、丁寧な礼を示した。
「ジョージ・ラビエラ様を追い詰めるために甲冑を拝借していました。慣れない鎧で、間に合わず……サラ様、アルバート様を危険に晒してしまい申し訳ありません」
ランチェト卿の亡霊の正体をみてサラは腰が抜けたようにその場に崩れた。
「姉様」
「アル……大丈夫よ。今までごめんね」
そう言いながらサラはアルバートの頭を撫でる。少しばかり煙草の匂いがする。
アルバートは気にしないと首を横に振って、サラの胸にしがみついた。
サラはその小さな背を、強く抱きしめた。




