13.
気分が悪いのは本当だ。
あの騎士に手の甲に口づけされた時、騎士の触れる手の力強さに恐怖を覚えた。
思わず騎士から逃げるように手を引っ込めた。
しかし、騎士は不快に思わず笑っていた。
逃げることも想定している。
そう言いたげで。
苦しい。
不安の中、帯の締め付けが気になりはじめた。
心配するルイスにシャーロットは休憩室で休むといい彼を騎士役の交流場へ送った。
先程の騎士もいるかもしれないが、自分の感情でルイスの交流を邪魔するわけにはいかない。
(私の我儘で、パレード参加をさせてしまうし)
サポートしてくれる騎士役と、少しでも交流を深めた方がいい。
シャーロットは休憩室に入った。
(ルイスの用事が終われば帰ればいいし)
そう思い、シャーロットは後ろに手を回した。帯の結びを緩めていき、着物の形を留める程度で結び直す。
ヨイチ程綺麗に結べないが、帰るだけなら問題ないだろう。
腰回りが緩み、だいぶ楽になった。
シャーロットはソファに横たわった。
ルイスが来るまで少し休もう。
瞼が自然と閉ざされる。
少し疲れが溜まっていたようだ。
すっと意識を手放した。
それほど時間は経っていないはずだが、深く眠ってしまっていた。
だから気づかなかった。
休憩室に見知らぬ男がいることに。
目を覚ましたと同時にシャーロットは飛び上がった。
向かいのソファに腰掛けた男は休憩室に用意されていたワインを開けてグラスに注いでいた。
「あ、起きた? 一杯どうかな」
ずいぶんと気軽に話してくる。
身なりはかなり良い。品のいい礼服に、ゆるやかなカールを描いた薄い金色の髪、真っ白な肌に極めて美しい男であった。
北方諸国の神話から現れたような男だった。
驚くべきは珍しい紫の瞳を持っている。
シャーロットと同じ。
「誰だ?」
シャーロットは警戒した。
男の提案でワインなど飲む気にはなれない。
それほど強くはないのだ。酔っ払った先で何が起きるか想像したくない。
「イリヤ・ロンガルといいます」
男は恭しく挨拶した。
ロンガルというと、帝国東側の領地を持っていたロンガル子爵家だ。
首都から外れた場所であり、社交界に顔を出すことはない。ただ、かなりの美男美女の家系と聞いた。
「私に何か用か?」
「僕は名乗ったのに、君は名乗ってくれないの?」
「勝手に未婚女性が休む休憩室に入る男に名乗る名もないし、礼儀もない」
シャーロットはつんと男につれない態度をとった。
落ち着かない。男の意図がわからず、シャーロットは無意識にクッションを掴んだ。
それがおかしいのかイリヤはくすくすと笑った。
「何だ?」
「まるで猫のようだなと思って……」
明らかに馬鹿にされたとシャーロットは眉間にしわを寄せた。
「シャーロット・ベルエイデン。僕の妻にならないかい?」
サラッと出される提案にシャーロットは冗談だと思った。
「結構いい話だと思うよ。君は27歳、僕は30歳……年齢は問題ない。爵位も継ぐ予定だし、少なくとも爵位なしの男爵令息よりはましだろう」
その言葉にシャーロットは側にあるクッションを投げつけた。
男は挑発していた。
シャーロットがパートナーにしていたルイスを話題に出して。
「そんな怒らないでくれよ」
「黙れ……」
シャーロットは男から視線を逸らした。
「何でかな……理解できないよ。あんなにお膳立てされても気づかない男には君を任せられない」
「何を根拠に」
男はつれない態度のシャーロットを見ながら目を細めた。
「僕なら君の欲しいものをあげられるよ」
シャーロットは訝しげに男を睨んだ。
「僕なら君の居場所になれる」
その言葉にシャーロットは顔を歪ませて笑った。
「今はいい。ベルエイデン伯爵がご存命だから……だが、いずれは君を置いて亡くなられるだろう」
耳を貸したくないのに、男の言葉はシャーロットの心を抉る。
「あの陽和国の従者も、君より早く亡くなる。そもそも彼の身分は伯爵が後見しているからで不安定だ。そうなれば兄一家がいるが……」
男はゆっくりとシャーロットに言い聞かすように言った。
「いずれは君を負担に感じるだろう。君の母上が、母国で、実家の負担だったように」
動悸がする。吐き気がする。
「お前が、私の居場所に? たかが子爵家が……」
シャーロットは家格についてあれこれとは言わない。
先に家格について口にしたのはイリヤだ。
「わからない。僕の目を見て」
イリヤはシャーロットに瞳を見せた。
シャーロットと同じ、紫の瞳だ。
「僕と君は同じだよ。シャーロット」
その言葉にシャーロットはもう一つつかんでいたクッションをはなした。ぽとりとクッションは落ちる。
「馬鹿馬鹿しい」
シャーロットは吐き出した。
「私のことを知りもせず、知ったように語り……何様だ。不愉快だ。二度とその口で語るな」
明らかな拒絶の言葉を示す。
この男の相手などしたくない。
シャーロットは扉のノブに手をかけた。
ギィィと扉が開かれる。
「僕はいつでも待っているよ。シャーロット」
後ろから聞こえるイリヤの声にシャーロットは振り返らずに足を前へ出した。
わざと音を立てて扉を閉める。
その場を離れる。少しでもイリヤから離れたかった。
どうしてあの男はシャーロットが恐れていることを知っている。
誰にも悟られたくないと隠してきた。
ヨイチは気づいているが、彼は誰かに言うような男ではない。
気持ち悪い。
私の中を暴かれたようで嫌だ。
服の中をまさぐられ、体の中に触れられたかのような不快感だ。
こんなに取り乱すなんて自分らしくない。
男が言ってきたことなどずっと前からわかっていただろう。
いつかのために1人でも生きていけるように準備していただろう。
シャーロットは両手で顔を覆った。
いやだ。助けて。
助けて。
「シャーロットさん!」
階段を降りようとしたら、下の踊り場でルイスがこちらを見上げていた。
その瞬間、胸の奥が苦しくて切なかった。
ひどく――彼に甘えたくてたまらない。
恋人でもない、ただの知り合いだというのに、そんな自分を見せたらルイスは拒絶するかもしれない。
それでも今のシャーロットは自身を抑えられなかった。
ルイスは躊躇わず崩れ落ちるシャーロットを抱き止めた。
ああ――君は昔からそうだ。
優しくて頼もしくて。
……ずっと、私は君に憧れていた。




