16.
ルース子爵の屋敷で、主人は気を荒立てていた。
部屋の中をうろうろと回り、時には手に持っていた新聞をぐしゃぐしゃにしたり踏んづけたりしていた。
その様子を部屋の隅から青年が眺めていた。彼は別のことに夢中なようですぐに小説をぱらりとめくっていた。
こんなはずではなかった。
金にものを言われてあらゆる悪事を行っていった。
うまくいかなくなったのはいつからだったか。
息子の縁談も、金で押し通せるはずの話も、少しずつ綻び始めていた。
せめて女王陛下へ申し開きできればよかった。
だが、公女の報告を聞いた女王は彼を門前払いにした。
侍従を通して「せめてもの慈悲です。弁護士は用意します」とだけ告げられた。
「ええい、女のくせに生意気だ!!」
女王の弁護士など役に立たない。
だが、女王がわざわざ手配した以上、勝手に別の弁護士を呼ぶ訳にはいかない。
「静かにしてくれよ。今推理場面でいいところなんだ」
不機嫌な口調で若い青年がルース子爵を窘めた。
ここがルース子爵の屋敷であるというのに、以前からここに棲んでいたかのような口ぶりである。
「元は君の落ち度だよ。暗殺料金をケチらずに初めから僕に依頼していれば良かったのに」
青年は呆れたように呟いた。
彼の手には綺麗に装丁された新しい本があった。探偵ネロと第一にタイトルづけられた本。
本の上から紫の瞳が覗いていた。
「わかった。今度はケチらずに出そう。女王が寄越した弁護士を殺せ」
そうすればルース子爵は気兼ねなく自分の手にかかった弁護士を用意できる。
「嫌だよ。リスクが高いもん」
子供のように拒否する言葉。
「貴様ら『アルカディア結社』なら、その程度たやすいだろう!」
「今は時期が悪いんだよ。もう遅い。君はおしまいだ」
青年は本から目を上げることもなく言った。
淡々と詩のように、流れるような言葉にルース子爵は青筋たてた。
「なら、裁判で言ってやる。私の悪事の半分はお前たち『アルカディア結社』の仕業だと」
「それは困るな」
青年の言葉にルース子爵はにやっと笑った。
彼の前まで近づいて、本に触れてぐっと押さえつけた。
ゆるくカールした薄い金髪の美青年の顔が露になった。憎々しい紫の瞳に自分の姿をこれでもかと移しこむ。
「イリヤ・クルバトス、お前も道連れだ!」
言い終えたと同時に左のこめかみにひんやりとした感触がした。何だと考えるより前に銃弾が響いた。
ぴちゃっと血が飛び散り、そのはずみに本のページが汚れた。
「しまった。最後まで読んでいなかったのに汚れちゃった」
目の前で崩れ落ちるルース子爵など気にせず青年は本を惜しんだ。右手には先ほどの音源である銃が握られてある。
「あー」
音を聞きつけた侍女は呆れたように叫んだ。
「もう、どうするんです。血の痕、あなたが座っているところが明らかにおかしくなるじゃないですか!」
怒っている論点がおかしい。
この屋敷の主であるルース子爵が死んだことなどどうでもいい様子だった。
「だって、汚い手でお気に入りの本を触られたから腹が立ったんだ」
子供のように拗ねた口調でいう。
「はいはい、わかりました。私が自殺偽造しておきますのであなたは出ていってください」
侍女はイリヤがどいた後を眺めた。明らかに血痕がおかしいのをどうするか悩んでいた。
「もう面倒だから燃やしましょう」
「そうだね」
待っていたと言わんばかりにイリヤはクローゼットを開けた。そこには大量のオイル缶が詰め込まれている。
燃やすことは選択肢としてあげられていた。
裁判前の屋敷に書類も多い。火事で失われても不自然ではない。
「あ、これも燃やしておこう」
あらかたオイルを撒き終えた後に、イリヤは手に持っていた本を捨て置いた。その上に残りのオイルをかける。
「お気に入りの本だったのでしょう?」
「だって血がついたんだよ。汚いじゃん。新しいの買っておいてよ」
ぽんぽんと侍女にお願いをして侍女は仕方ないとため息をついた。
「全部燃えたのを確認してからですよ」
ライターの火をつけて、ボトッと落とすとぶわっと燃え広がった。
ルース子爵の周辺がほどよく火が回っているのを確認して二人は部屋を立ち去った。
ふと足元にルース子爵が癇癪をおこして踏んづけていた新聞をみた。
新聞の一面にはキルデック公女が虐待された子を救う場面が写真として納められていた。
子供の手を握り締め優しく語り掛ける公女の姿。その奥に控えている黒髪の令嬢の姿をみて思わず目元が緩んでしまう。
裁判を控えていたルース子爵の屋敷は燃え盛る炎の中で崩れていった。
破滅の中絶望して自殺を図ったのだろうと新聞の一面に取りざたされるのは翌日のことだ。




