10.
「元々私の計画だったの。この人は私を見かねてやってくれたにすぎないわ」
計画の内容は今でも暗唱できるとリーザは叫んだ。
シャーロットはようやく彼女に質問を投げかけた。
「リーザ・レイン。君は確かエリック・レインに助けられたと聞いた。前夫の暴力から逃げて、いくあてもなく冬の寒い路地裏で凍えているところを拾われたと」
ちらりと同時にトラン夫人をみる。彼女から聞いた情報で、トラン夫人はこくりと頷いた。
それにリーザは首を横に振った。
「違うの。私たち母子を拾ってくれたのはあの卑怯者ではないわ。この人よ!」
リーザはオットーを指差した。
「やめるんだ」
「やめないわ。葬儀の帰り、お母様の死から立ち直れていなくて自分のことで頭いっぱいだったのに、あなたは私を助けてくれようとした」
リーザは涙ぐみながら語った。
目を閉じればいつでも思い出す光景。――
冬の寒い路地裏で子供をカーディガンでぐるぐるにして必死に抱きしめて凍えているところに手を差し伸べてくれた。
オットーは葬儀の帰りで、普段より上等な服に白いカーネーションを胸につけていた。
炭鉱町特有の荒っぽい口調であったが、不器用なりに心配してくれた。
その日はオットーの家で泊めてもらった。
リーザ母子は彼の母親が使用していた部屋で眠った。
体を綺麗にして、亡き母の服を貸してもらい、オットーが作った温かい食べ物にリーザははじめて救われたと感じた。神にようやく感謝を述べられていた。
二週間もすると、リーザもエミルもオットーにすっかり懐いていた。
できればこのまま彼と一緒になれればどんなに幸せだろうか。
夢をみていたがそれは難しいと打ちのめされた。
暴力的な前夫が自分たちを探していることに恐怖を覚えた。
彼から解放されるには裁判で勝つ必要がある。だが、リーザには裁判で勝てる力はない。弁護士を雇う財産もない。
オットーは悩みながらも自分の勤務先で給料前借りできないか相談してみるといってきた。
リーザもついていくことになった。自分のことなのだから自分も頭を下げなければならない。
エリック・レインはあっさりと弁護士の手配をしてくれると言ってきた。
代わりにとエリックは提案する。
リーザが後妻になれば協力するというのだ。
リーザの心はすでにオットーに傾いていた。断るべきか悩み、オットーは彼女に言った。
「主人はお金がある。お前とエミルを養う余裕はあるはずだ。エミルにも良い学校へ行かせられる。エミルの将来のために俺なんかよりも主人と一緒になった方がいい」
母親のことでまだ恩義を感じていたオットーはリーザにそう説得した。
悔しいが自分にはリーザ・エミルを守る能力も財力もないと引き下がったのだ。
そしてリーザはエリック・レインの後妻になることを条件に暴力的な前夫との裁判に勝つことができた。
はじめはエミルを引き取ってくれる予定であったが、エミルはいっこうにエリックになつかなかった。むしろ敵意を向けてくる。
怒ったエリックはエミルを孤児院へと送り出してしまった。
話が違う!
リーザは内心不満を抱えながらも、それでも暴力夫から解放してくれた恩人だからと耐えた。エミルも今は無理でも成長とともにわかってくれるはず。そうすればエリックも養子に迎えてくれるはずだ。
だが、一向にその話はこない。
ついにはエミルに会いにいくリーザの行動に色々言ってくる有様だった。
「そんなに子供が欲しいのなら、急いで作ろう」
下品な笑いと共に触れてくるエリックの手がおぞましいものと感じられるようになった。
そして彼がオットーに劣等感を抱えていることを知った。
オットーを苦しめる為にリーザを奪ったのだと知らされた。
「あの木偶の坊がお前のような美女を嫁にするなんて耐えれない。だから奪ったのだよ」
それを聞いてからリーザはエリックのことを心底軽蔑した。
彼と別れれば、エミルを迎えに行ける。裁判に使った金を返すために働くことも厭わなかった。
だがその話を持ち出すたび、エリックはオットーへの仕打ちをさらに酷くしていった。
高圧的な態度、暴力、しまいには給料を減らすといった脅しをしてオットーを苦しめていた。
次第にリーザは考えるようになった。
この男がいなければ私は、私たちは幸せになるのに。
そして、今回の計画を立てた。
1年前のことだ。
だが、いざ人を殺そうと思っても踏ん切りがつかない。一度だけエリックを睡眠薬で深く眠らせて実行しようとしたが、オットーが青ざめた表情でとめに入った。
犯行は失敗したが、そこでオットーが言った。
「俺がやる。だから今は耐えてくれ」
それから1年が経過して同じ頃合いにオットーが実行した。――
つまり、この事件は一年越しに温められていたのだ。
カロンは犯行に関わっていないが、2人がいつか実行するのではと予想していたようだ。自分が犯人ということにすれば、まだ幼いリーザの子は救われると考えたようだ。
そして、オットーがエリックに飼い殺しにされるきっかけを作ったことに後ろめたさを感じていた。
こうして税務官首吊り事件は解決したように見えた。
いや、まだ気がかりな点はある。
シェトラン警部が言っていたこの事件に圧力をかけていた存在だ。
おそらくリーザはその圧力源に唆されて実行しようとしたのだろう。
誰が、と聞いてもリーザもオットーも口を割ろうとしない。まるで弱みを握られているような表情だった。
シャーロットは警察馬車に乗せられた2人の後を追いかけた。
「もし、君たちの弱みが解決すれば、シェトラン警部に全て言えるか?」
馬車の中の2人は目を見開いた。
悲しげにリーザが何かを言おうとしてオットーが睨む。
2人はそのまま何の反応も示さなかった。そのまま警察馬車は走っていく。
その後を眺めながらシャーロットは腕を組み考えごとをしていた。
「シャーロットさん、何を話していたんですか?」
耳が良いルイスは言っていた内容は聞き取れたが、彼女の意図が掴めなかった。
「あ」
ルイスを見てシャーロットは口をあけた。
今思い出したかのような口だ。
「明後日、打ち合わせ」
ぽつりと呟く。
確かに明後日はチャールズ・イヴァノヴィッチの代理打ち合わせだ。
「すまないが、明後日はキャンセルさせてくれ」
両手を合わせてシャーロットがいう。
え、というルイスの声。何故という前にシャーロットは続けた。
「予定調整の連絡は後日する。とにかく明後日は無理だ」
何故、と聞きたいが伯爵家令嬢の都合をどこまで聞いて良いかわからない。
ただ、明後日の打ち合わせはなくなったと確認してシャーロットは別の警察馬車に乗り込んだ。
「早く動かせてくれ。私は急いで検案書を書いて帰りたいのだ」
急げと言われて御者は仕方ないと馬を走らせる。
一体何があったのだろうか。
「気をつけたまえ」
にゅっと後ろから出た言葉にルイスはびびった。思わず後ずさる。
気配もなくシェトラン警部が後ろをとったのだ。
東大陸の発展途上国を転々として身につけた防衛反応が作動しないなんて、この男はただものではない。
「な、何ですか?」
「いや、ああいう時のベルエイデン令嬢は危ないことに首をつっこむ。おおかた明後日にはこの事件に圧力介入した親玉貴族の元へ殴り込んでいるかもしれないな」
警部の言葉にルイスは首を傾げた。
どういうことだと尋ねる前にシェトラン警部は別に用意された警察馬車に乗り込んだ。
「いや、今のは独り言だ。気にしないでくれ」
気にするなと言われても気にする。
馬車が動き出す。
まだ日がある暑い夕暮れの中、ルイスは今の情報を反芻した。
「明後日、シャーロットさんが殴り込む?」
警察に圧力をかけた貴族の元へ。
そんな危険なことを1人でさせる訳にはいかない。
何か言おうにもシャーロットは早々と去ってしまった後だ。
ルイスは決めた。今から明日の夜まで仕事を頑張り、明後日絶対に休む。
シャーロットに張り付くために、彼女が危険な目に遭わないようにするために。




