7.
エリック・レインの飲み物の件はカロンの説明で一応決着がついた。
捜査は再び進められる。
「くそ、いつまでも警察がいたら奥様が休めないだろう」
ぶつぶつ文句をいいながら、オットーはキッチンの持ち場へと戻ろうとした。
騒ぎを聞きつけたスーザンもリーザの世話に戻ろうとした。
「いや、ここで終わりにしよう」
シャーロットの言葉で部屋にいた人たちは一斉に視線を集中した。
「だいたいの仮説の材料が揃った。警察もあらかたの写真やデータはとれただろう」
後は警察署に持ち替えればいい。
「それを決めるのは君ではないのだが」
シェトラン警部はシャーロットにいう。
「勿論だ。私の話を聞いて納得できないなら仕方ない。私に警察を動かす権限はないからこの家の人に啖呵きったことを謝ろう」
なんとも歯切れの悪い言葉である。
一番うるさそうなオットーは責める気はなさそうだ。シャーロットを子供と勘違いしたままだからだろうが。
「まぁ! ではお嬢様の推理ショーが始まるのね!」
スーザンは興奮したように両手を合わせた。
推理ではないのであるが、ここで説明するのも面倒だとシャーロットは否定も肯定もしなかった。
「夫人も呼んでいただけるか? 体調がすぐれないのであれば仕方ないが」
「奥様に聞いてみます」
スーザンは明るい調子で別の部屋で休んでいるリーザの元へと走った。
「あ、後できれば下の階のご婦人……トラン夫人を呼んで欲しい」
シャーロットは警察に依頼した。
場所は寝室へと移る。エリック・レインの最期の場所である。エリックの死体は少し前に検案室へと搬送されたようだ。
しばらくしてリーザはスーザンを伴い寝室へと訪れた。
「奥様、大丈夫ですか?」
カロンが心配そうに声をかけた。
「ええ、夫の死についての話でしょう。なら私も同席しなければ……でも、椅子に座ることを許してくださる?」
リーザはシャーロットにお願いして、もちろんだとシャーロットは頷いた。
「来てくれて感謝する。リーザ・レイン夫人」
オットーが別の部屋から椅子を持ってきて、スーザンがリーザの手をとり座らせる。
部屋にはシャーロット、ルイス、シェトラン警部、リーザ、カロン、スーザン、オットー、トラン夫人の8名がひしめきあっていた。
それほど狭い寝室ではないがさすがにこんなに人が密集していては圧迫感を感じる。さらに寝室入り口付近にはシェトラン警部の部下の警察がシャーロットの話を記録するために待機していた。
「まずエリック・レインの死因を語る前に死亡推定時間について……」
シャーロットは一番気掛かりだと言っていたものを第一にあげた。
「主人は午前3時頃に亡くなったのでしょう?」
警察から何度か聞かされた時刻をリーザは口にする。それにシャーロットは首を横に振った。
「それにしてはあまりに矛盾に満ちていた」
シャーロットは手を広げて、ひとつひとつ指を折っていく。
「死亡推定時間は複数の情報から判断される。警察は最後の生存確認と直腸温を中心に推定した最後の生存確認時間は本日7月10日午前0時過ぎ、確認者は下の住人である」
シャーロットはトラン夫人の方をみた。彼女はこくこくと頷いた。
「ええ。間違いないわ。心配して行ったのに逆に怒鳴られてしまった声が今も耳にこびりついているもの」
それを聞いてリーザは申し訳なさそうにした。
「ごめんなさい。昨日は喧嘩をしてしまって、夫がご迷惑を」
「いいのさ。あの人の感情的になるところなんて慣れっこだもの。それよりもリーザちゃんが暴力を受けなくてよかったわ。昨日は逃げて正解よ!」
トラン夫人はリーザをかなり気に入っているようだった。不安そうな表情のリーザを安心させるためににこにことしていた。
「そして直腸温、深部体温です。人の体温は約37℃。死後は外気温へ向かって徐々に下がる。暑い夏の時期だと速度は遅くなりますが昨日の夜の気温は17℃程であり通常の速度と考えます。警察が測定した本日午前8時頃の直腸温は32℃であり、概算して死亡したのは4〜5時間程、午前3時頃と考えた」
シャーロットはわずかに間をいれてから口にした。
「他の情報を入れると矛盾が発生する」
他の情報、何度かシャーロットが口にした単語である。
「死亡推定時間は、死斑と死後硬直の情報も参考にいれる」
シャーロットはあらかじめ警察から預かっていた写真と記録を開いた。
「まず死斑。死斑は出始めるのは1時間程、固定し始めるのは8〜12時間だ。私が来た時には死斑はほとんど移動せず、十二時間以上経っているように見えた。警察到着時の記録でも、すでに固定が始まっている印象だった。死後六時間にしては早すぎる」
それともうひとつの疑問が浮かんだとシャーロットは続けた。
「もし死亡したのが午前3時と考えると警察到着後の彼の死斑は足側に強くでていて……死体を1時間前に仰向けにしたというのでうっすらと背中に移動することはあるだろう。首吊りなら死斑は足に出る。だが写真では背中の方が濃い」
それがシャーロットの違和感だった。
「私がみると濃さの違いがわかりませんが?」
カロンは首を傾げた。確かに白黒だとわからない面があるかもしれない。
「勿論、写真は参考程度に思って欲しい。だが、複数の警察がみた死斑の記録では背中に強く残っている。死亡後4時間程で首吊りから仰向けにした。直近のわずか1時間の仰向けと考えるとおかしい。もしかすると仰向けだった時間は予想より長かったのかもしれない」
そこまで言うとあたりは沈黙する。
つまりこれは自殺ではなく何者かの犯行で、首吊り自殺に見立てたのではないかと遠回しに言っているのだ。
「悪いけど嬢ちゃん。俺は頭が悪いんだ。死斑のことをごちゃごちゃ言われてもわからないよ」
オットーの声にシャーロットは頷いた。
「そうだな。今は死亡推定時間についての話で、死因の話も絡めてしまった。死斑の話はここで切って、次に死後硬直の話にうつる」
シャーロットが到着したあと、彼女は死体の手足の状況を確認していた。警察の手伝いとともに死体の可動性をみていたようにも思える。
「私が来た11時、推定死亡後8時間。確かに死後硬直は全身に回ってても不思議はない時間だが、早すぎる。かなりの強い硬直を認めた。気温の上昇で死後硬直が早まるとはいえ、午前の気温として考えても早いと感じた」
シャーロットは再び手をとり、3つの指を示した。
「直腸温、死斑、死後硬直の時間が合わない」
つまりどういうことだと誰かが言いそうになるが、その前にシャーロットは続けて言い放った。
「つまり死亡時間は午前3時ではなく、もっと早い」
シャーロットはしばらく息継ぎしてから続けた。
「何者かが死亡時刻を操作した、と考えられる」
その瞬間あたりは静かになった。
一番動きがみられたオットーは口を開こうとしたが黙り始めた。
スーザンは視線を揺らして不安そうにあたりを見渡す。
カロンが比較的冷静にみえるが、わずかに唇が震えていたのを確認する。
リーザはただ俯いてシャーロットの話の続きを聞くだけであった。




