3.
しばらくしてシャーロットはルイスの方へ近づいてきた。
「退屈だろう。また巻き込まれたルイス」
またという言葉にルイスは苦笑いした。
はじめての検死に遭遇したのは、3月の頃。
シャーロットと出会ってまもなくの頃だ。
喫茶店「ユーファ」で起きた毒殺事件は、まるで遠い昔のことのように思える。
よく考えればまだ彼女と出会ったのは4ヶ月経つか経たない頃だ。
「いえ」
退屈というには憚れる。知らない男といっても、仮にも誰かの家族が死んだ場であるのだから。
「その、聞いてもいいですか?」
今ならシャーロットは話をしてくれそうだ。気になることがあると伝えると彼女は笑った。
「なにかな」
「矛盾点が多いというのは……溢血点のことですか?」
溢血点。
推理小説で少し出てきた単語を思い出した。
「確かあれがあると絞殺の方が疑わしい……でしたよね」
うろ覚えの知識をシャーロットに確認する。
「正確には可能性の問題だ」
改めて彼女は説明した。
「溢血点とは、まぶたの裏や口内にできる暗紫赤色の出血点だ。機序は、呼吸困難やけいれんなどで血液が毛細血管外へ漏出する」
すらすらと語られる専門用語にルイスは何度か首を傾げていた。シャーロットはこほんと咳払いをしていう。
「溢血点があるから絞殺という訳ではない。この首吊り自殺でも起きなくはない……ただ、確率としては絞死はほぼ100%と言われているが出現しない場合もある。縊死は34%、絞死に比べると低いが溢血点が絶対出ないわけではない確率だ」
よく混同されるが、絞死と縊死は別のものだ。
どちらも索状物で首が圧迫して窒息死する。
縊死は索状のものを首にかけて自身の体重で首が圧迫されること。一般的な首吊りはこれを指す。
絞死は自身の体重以外の力、例えば他人の手や何かしらの力で紐を引くことで首が圧迫されることを指す。
「ええと、つまり首吊り死の可能性はあるけど、絞扼で死んだ可能性もある……ということですか?」
混乱する頭で必死にシャーロットの言っている意味を理解しようとする。
「そうだ。別にこれを首吊り自殺と論じてもいい。だが、他の原因もあるかもしれない。それなのに他の原因を無視して首吊り自殺と片付けようとした警察に私は腹立ったのだよ」
といっても先ほどの話から、シェトラン警部も本意ではなかったとわかる。
「何でこれを自殺と片付けたいのだろうか」
「そちらの方が都合がいいと考えている者がいるのだろう」
シャーロットははぁとため息をついた。
「その圧力をかける男を私がどうこうできるわけがない。だが、ここで私がすることはひとつ」
シャーロットは人差し指をたてて言った。
「可能性が高い仮説をたてることだ」
その言葉にルイスは首を傾げた。
「真実を暴く……ではなくて?」
思わず探偵ネロの決め台詞を口にしてしまった。
「それは探偵小説の中の話さ」
シャーロットは笑った。
「ルイス。私は神ではない。この男が死んだ瞬間を見たわけではない。見ていないものをなぜ真実のように語れる? 私ができることはあらゆる仮説をあげていって、その中で一番矛盾がないものを警察に提示することだ」
探偵小説のようなセリフを期待していたわけではない。ただ、探偵小説の打ち合わせを何度もしていたルイスとしてはいささか物足りないような気もする。
いや、これでいいのかもしれない。
今までだって、シャーロットは真実を断言したことはない。
いつも示していたのは、もっとも矛盾の少ない仮説だけだった。
現実は、探偵小説のようにはいかない。
それならば彼女は何を仮説するのか。
その瞬間は立ち会いたいとルイスは望んだ。
◆◆◆
シャーロットは部屋の構造を確認しながらため息をついた。
「他にも矛盾点はあるのだがな」
溢血点以外にも気になる箇所があったようだ。
「それは何ですか?」
「死亡推定時間がおかしい」
馬車の中でシェトラン警部が言っていた情報を思い出す。
「確か、周りの情報と体温から死亡推定時間を割り当てたのでしたよね」
「そうだ。だが、それでは矛盾が発生している」
シャーロットは部屋のクローゼットをあけた。
クローゼットの中には羽毛布団や毛布が畳んでしまわれていた。
「もう夏だというのに随分手前に置いているね」
シャーロットの呟きを聞いて執事のカロンが説明した。
「旦那様は寒がりなのです。夏とはいえ日の出ない夜は15℃になることがあるでしょう。その時の為にすぐに引き出せるように手前の方へ置いております」
確かに。
もう少しすれば夜も暑くなるが、まだ7月の上旬は、日があたらなければ涼しい。
夜になるとひんやりとしてきてルイスの母もカーディガンを羽織り過ごすことがあった。
特に何の変哲もない羽毛布団にシャーロットはぼすっと手を突っ込んだ。
「もしかして被害者は湯たんぽもこの時期使ったりするのか?」
冬の寒い時期によく利用するものだ。
確かに夜は肌寒さを感じるがその場合は毛布にくるまれば問題はない。
だが、それはルイスの中の話である。
「はい。旦那様はよく足が冷え込む為、いつもオットーに湯を沸かしてもらいました。夜のハーブ茶に、湯たんぽを準備してオットーは退勤しています」
カロンはオットーがいたあたりを見た。彼は今昼食の支度をするといってキッチンへ入ったようだ。
「湯たんぽは毎日使うわけではないですが、足が冷え込むと感じればすぐに使いたがっておりましたのでオットーはハーブ茶と共に旦那様の部屋へ届けていました」
「部屋へ届けるのは何時ごろだい?」
「夜の9時ですね」
シャーロットの質問に丁寧に答える。
「夜の9時は被害者はまだ生きていた……」
手を顎にあててシャーロットはぼそっと呟く。その通りだとカロンは頷いた。
「私とオットーが旦那様を最後に確認したのは夜の9時。その時は旦那様は生きておりました。少々気が立っておいででしたからすぐに退室してしまいましたがね」
最後の言葉が気になった。
シャーロットはさらに質問を重ねた。
「すでに警察に伝えていたことです。奥様と大喧嘩をしていて、いつものようにお茶と湯たんぽを届けにいったオットーが怒鳴られるのを聞きました」
オットーが面倒くさげに部屋から出るのをカロンは思い出した。
「喧嘩の内容を聞いてもいいかな?」
「いつものことです。奥様の子を一向に養子に迎える気配がなく奥様が苛立って色々言い、そのまま喧嘩……」
新しい情報が出てルイスはシャーロットを見つめた。
「ほう、子供ね」
確かにリーザは美しい女性だし、後妻である。既に結婚をしていても不思議はない。子供だっているだろう。
「ちなみに子供はどこにいるのだ?」
「旦那様のご友人が経営している孤児院です。名前はルース孤児院……」
ルース。どこかで聞いた名前だなとルイスは首を傾げた。
「そうか。ありがとう。また話を伺いたいが、今はオットーに話を聞きたくてね」
「私でしたらいつでも協力いたします。お気軽に声をおかけください」
カロンは穏やかに笑い頭を下げた。




