第96話 【前世編】菅田龍斗④
ちえりは、高校を卒業したら大学に進学せずに就職すると言った。
本人ははっきりと口にはしなかったが、それが父の作った借金の返済のためと、家族を養うための選択だと言うことは聞かずともわかった。
――せめて、俺がいなければきっと。
奨学金でもなんでも取って、大学に行く選択肢だってあったろうに。
ちえりが大学に行かずに就職を選んだのは、自分のせいなのだともどこかで感じていた。
正確には、自分と祖母のため、だけれども。
夜中、自分が寝た後に祖母とちえりが進路のことについて話し合っていたのは知っていたが、結局のところ育ててもらっているだけの自分に発言権などあるわけもないことをわかっていた龍斗は、布団の中でふたりの話し合いを黙って聞きながらぎゅっと身を縮めることしかできなかった。
――自分がちえりよりも先に生まれていたら。
彼女を助けるために、もっといろんなことができただろうに。
年下に生まれてきてしまったために、養ってもらうことしかできない自分が歯痒かった。
◇◆◇
何気ない日常の中で、ちえりに対する想いが日に日に育っていく。
少しでも家の役に立ちたかったので自分も高校には行かないで働くと言ったけれど、ちえりからそれを全力で止められたので、だったらせめてと思い、ちえりと同じ高校を受験した。
同じ高校に通うことはできないけれど、せめて彼女が過ごした場所で自分も高校生活を送りたい。
ほんの数年前、ちえりがこの学校に生徒として通っていたのだと思うと、それだけで特別な場所に思えた。
(同い年に生まれてたら。一緒に通えたのにな)
同じ教室で、同じ制服を着て、彼女の隣に立つ自分。
そんな、考えても仕方のない妄想に耽っては、想いが届かない寂しさを紛らわせる。
しかし現実は、6つ年の離れた龍斗とちえりが同じ高校に通えるはずもなく。
ちえりは高校を卒業して就職した勤め先に慣れると、かけもちで弁当屋のアルバイトも始めるようになった。
――会社から帰ってきたちえりが「りゅうくんただいま。ねえ見て見て」とレシートがゾロ目だったことを嬉しそうに見せびらかしてくる姿。
「ねえ、りゅうくん。味見てくれる?」
作りかけの料理の煮汁をスプーンにとって、味見させようとしてくる彼女。
「りゅうくん。前髪に埃ついてる」
動かないでね――と言いながら、優しく埃を払ってくれる指先。
(――どうしよう。好きすぎて、本当にどうにかなりそう)
永遠の愛などないと思いながらも、日に日に募る思い。
人は、好きが溢れすぎると苦しくなるのだということを、龍斗はちえりを好きになったことで初めて知った。
(――切ない)
すぐ目の前にあるのに、掴むことのできない大切な人。
自分で言うのもなんだけれど、中学でも高校でも女子からはモテる方だった。
だけど、誰になんと言われても、たった一人の人以外に興味を持てなかった。
高校を卒業したら。
一人の男として見てもらえるようになったら。
そんなことばかり考えていた龍斗の前に。
思いがけない話を切り出してきたのは、他でもないそのちえり自身だった。
◇◆◇
「りゅうくん、ちょっと話があるんだけど」
「ん?」
ある日のこと。
それは土曜日で、珍しくちえりも弁当屋のバイトを入れずに日中家にいる日のことだった。
祖母とちゃぶ台で並んで座っているちえりに手招きされた龍斗は、ただならぬ様子に何事だろうと訝しみながらちゃぶ台の前に腰掛ける。
「……あのね。その……、りゅうくんを、かなり驚かせちゃう話になると思うんだけど」
「うん」
慎重な様子で、言葉を選びながら話をしようとするちえりに、龍斗はゆっくりと相槌を打つ。
「昨日……、私が会った人がね。りゅうくんと血のつながった家族かもしれないって言うの」
「…………」
言いにくそうに、硬い表情でちえりが説明を続ける。
「可能性はあるけど本当かどうかがまだわからないから。確認するために、りゅうくんのDNA検査をしたいって」
「……DNA検査?」
「うん」
龍斗の問いかけに、ちゃぶ台で向かい合わせに座るちえりがこくりと頷く。
彼女がちゃぶ台の上に差し出したのは、DNA検査についての説明書きと同意書。
「りゅうくんの親族かもしれないって人は、凄く……お金持ちのお家の人でね。もしりゅうくんが本当に血のつながった家族なら、引き取りたいって言うの」
「…………」
――もし血のつながった家族なら、引き取りたい。
その言葉に、龍斗はなんと答えるべきか、言葉を見つけることができない。
「でもね、誤解しないで、絶対に。私もおばあちゃんも、りゅうくんのことが本当に大好きで大切だから。だからこの話をりゅうくんにするのは、邪魔に思っているとか、本当の家族のところに行ってほしいとか、行ったほうがいいとかそういうことを言いたいんじゃなくて、りゅうくんが望むようにしてほしいって思ってる」
龍斗にそう告げてくるちえりは、それまでの言いにくそうな様子から一変して、目を逸らさずに真っ直ぐに、真摯に龍斗を見つめてきた。
それを見た龍斗は『……馬鹿だなあ』とぼんやりと思う。
ぼんやりと思いながら、ふっ……と苦笑を漏らす。
(……そんなに必死にならなくても。今更、ちえりたちのことを、金目当てだとか白状だとか、そんなこと思ったりしないのに)
それでも彼女は、自分は傷つけまいと必死で言葉を選ぼうとしてくれているのだ。
そんな彼女の真面目さと優しさを――、何より自分は愛している。
(――DNA検査)
それをすれば。
自分にとって、いろんなことが明らかになる。
長年疑っていた、ちえりとの血縁関係。
自分は本当は何者なのか。
(……受けないって選択肢は、ないよな)
ちえりの言う、凄くお金持ちのお家、というのがどれくらいのものかはわからないけれど。
もし血縁関係がなかったのなら、今まで通りの生活を続ければいいだけだし。
逆に、もし血縁関係があったなら――。
どう転ぶかわからないけれど、この家にとっては、きっとマイナスにはならない。
「……受けるよ。検査」
淡々と、龍斗は答える。
その答えに、ちえりも祖母も、複雑そうな顔をしていた。
数週間後。
返ってきたDNA検査の結果で、龍斗がHARKSグループ――鷹宮家の人間であることが証明された。
それを見た時。
龍斗が真っ先に感じたのは、ちえりと確かに血縁関係がなかったと証明されたという安堵と喜びだった。




