第95話 【前世編】菅田龍斗③
ちょうどその頃。
龍斗の通う小学校のクラスでは、産休に入る担任教諭にクラス全員から花を送ろうという話が持ち上がっていた。
『花言葉を調べて、先生に感謝の気持ちを伝える花を送ろう』と言った女子生徒の仕切りで、一人百円ずつ持ち寄って花束をプレゼントすることとなったのだ。
発起人の女子に妙に気に入られている龍斗は、担任の教師にブーケを渡す日の放課後、彼女と一緒に近所の花屋に花を買いに行く係になった。
いや――させられた、と言ったほうが正しいが。
故にこうして今、龍斗は花屋に来ていた。
「伊藤先生は白が好きだから、白い花でブーケを作って欲しいんですけど……」
発起人のクラスメイトの女子が、メモを片手に花屋の店員にオーダーを出す。
メモには花言葉が書かれ、どうやら選んだ花と意味をこじつけて先生に渡そうとしているらしい。
龍斗はもう槙田の家の経済状況がわからない子供ではなかったので、居候の自分がクラスのお祝い事のために百円欲しいと切り出すのも心苦しく、結局、毎月もらっている五百円のお小遣いの中から出すことにした。
――この、毎月のお小遣いの五百円を捻出するのも、本当は楽なことではないということを龍斗は知っている。
それでも、ちえりが龍斗に人並みの子供の暮らしをさせたいと思う一存からやってくれているのだということも。
龍斗はちえりに「お小遣いなんていらないよ」と断ったのだが、結局はちえりに押し切られる形で今も毎月五百円をもらい、使わずに貯め続けている。
「――白い花だったら、このへんですね」
花屋の店員がそう言って活けられている花をいくつか抜き取り、手際よくまとめて花束を作っていく。
その光景を黙って見ていた龍斗だったが、ふと店員が手に取ったふくいくとした白い花が目に止まった。
「この花……」
「この花がどうかしました?」
「いえ、なんていう花なのかなと思って」
幾重にも白い花びらの重なった丸い花は、何となく龍斗の目を引いた。
「ああ、これ。トルコキキョウですね」
その花が『トルコキキョウ』という花なのだと耳にすると、そのことに反応したのは龍斗ではなくクラスメイトのほうだった。
「龍斗くん、トルコキキョウに興味あるの? その花ね、永遠の愛、って花言葉があるんだよ」
――永遠の愛。
その言葉はなぜか、龍斗の心をちくりと刺した。
永遠の愛。
そんなものが、本当に存在するのだろうか?
母親からも、ろくに愛されなかった自分。
親の愛を感じたことがないわけではなかったが、結局母も自分を置いて逝ってしまった。
小さい頃から――、人の心の移ろいやすさばかり見てきた。
(……永遠の愛なんて、馬鹿馬鹿しい)
心からそう思う。
そうは思うけれど――、龍斗がその言葉を聞いた瞬間、心の片隅に思い浮かんだのは、ほかでもないちえりの顔だった。
◇◆◇
龍斗たちは花束を持って学校に戻ると、担任の教師に花束を渡して無事にお祝いをすることができた。
それから龍斗は、クラスメイトからの遊びの誘いを断って家路に着く。
すると、歩いている道の前方に見覚えのある女子高生の姿が目に止まった。
――知らない男子生徒と一緒に、並んで歩いている後ろ姿。
それを見た瞬間、不快感としか言いようのない感情がキリキリと龍斗の内側を駆け上っていく。
足早に彼女の後ろまで駆け寄り、ちえりの制服の袖を掴んだ龍斗は、彼女を見上げながら尋ねた。
「……何してるの?」
見ればわかる愚問を投げかける自分になんともいえないカッコ悪さを感じる龍斗だったが、しかし次の瞬間、キョトンとこちらを見下ろしてくる視線と真っ直ぐにぶつかる。
「りゅうくん」
ちえりからの龍斗への呼び名は、祖母がいつの間にか彼を『りゅうくん』と呼ぶのを倣って、彼女もそう呼ぶようになっていた。
対して、自分はまだちえりをなんと呼ぶべきか決めかね、ずっと逃げ続けている。
『ちえりさん』というのも他人行儀な響きだし、姉さんとかお姉ちゃんというのもなんだか違う。
だけどこの瞬間。
龍斗が自分の気持ちをはっきりと自覚した瞬間に、自分がずっと彼女をどう呼びたかったのか、考えるまでもなく口をついて出てきた。
「――ちえり」
目を見て、しっかりと名前を呼ぶと、ちえりの瞳が微かに驚いたように見開かれた気がした。
「今帰り? だったら一緒に帰ってもいい?」
「――あ、うん」
「あの、槙田さん、弟さん?」
ちえりの隣にいた男子が、龍斗に取り入るような笑顔を作りながら割って入ってくる。
こいつ――、敵だな。
龍斗は直感で察した。
「どうも。ちえりがいつもお世話になってます」
さらりとちえりの手を繋ぎ、牽制するような笑みを向ける龍斗に相手は少したじろいだようだった。
自分の顔面偏差値の高さは知ってる。
こうやってにこりと笑いかけることで――、一瞬でも相手を圧倒できることも。
そうして、龍斗が相手に失礼のないよう、ちえりの顔を立てながら挨拶しつつも牽制をしていると、ちえりは龍斗がちゃんと挨拶をできたことを偉いと思ったのか、龍斗に軽く身を寄せながら相手の男子に龍斗を紹介した。
「あの、この子は私の弟みたいなもので……。今日はこの子と帰るから、もうここで……」
「あ……、うん……」
そう言うと、龍斗はちえりと手を繋いだまま男子生徒と別れて家に向かって足を向ける。
(……弟、か)
ちえりの手を繋ぎながら、龍斗は『まあ、そうだよな』と思う。
彼女からしたら自分はその程度の存在でしかないだろうし、自分もそういう関係を保ちながら今までずっと来た。
「りゅうくん、そのお花、どうしたの?」
そんなことに龍斗が思いを馳せていると、ちえりは龍斗が後ろ手に隠していた一輪の白い花に気づいて声をかけてくる。
「……これは、学校でもらったんだ」
咄嗟に――嘘をついた。
本当はあの時、花屋でちえりのことを思い出し、つい一輪だけならと思って買ってしまったのだ。
彼女が喜んでくれたらと思って。
「……あげる」
「……私に?」
――永遠の愛。
ちえりに手渡す時、そんな言葉が一瞬頭の中を掠めたが、龍斗はそんな思いを自分の心の中でかき消した。
一輪の花を受け取り、嬉しそうな顔でその白い花を見つめるちえりを見ていた龍斗だったが、ふと先ほどの男子生徒のことを思い出し、踏み込みすぎかと思いながらも勇気を出して彼女に問いかけた。
「……ちえり、さっきの人って……彼氏?」
「かっ……?」
さりげなさを装って聞くと、ちえりが珍しく狼狽えたような声を上げた。
白か黒か。
ちえりの反応を見ながら、龍斗はさっきの男とどういう関係なのかを見定めようとする。
「りゅうくん……、学校でもそんな話するの……?」
小学生がそんな話をするのはませているとでも言いたいのだろう。
ちえりが少しだけ顔を赤らめながら、驚いたような表情を浮かべて自分に聞いてくる。
(……かわいい)
龍斗はちえりの、こういうちょっとした変化を見るのが好きだった。
他人には見せない、身内だからと安心しているからこそ見せる、ふとした表情。
「……そんなの。今どき小学生だってみんな付き合ったりしてるよ」
さらりとそう答えると、どうやらその答えはちえりにとってショックだったらしく「……そっか、そうだよね」とぶつぶつと呟いていた。
「……りゅうくんは普通にモテそうだよね」
「そうかな? でも、結局は好きな人に好かれないと意味ないし」
言外に、好きな人は自分の目の前にいると言うことが伝わるようにと念を込めながら告げる龍斗だったが、世の中はそう簡単にはいかない。
「むしろ、ちえりの方がモテそうな気がするけど」
「私が? どこが?」
心から不思議そうに答えるちえりに、龍斗はほっとする。
自分の魅力に無自覚な想い人。
できるならば――、ずっとこのままでいてほしい。
「ちえりはうっかりすると変な男に騙されそうだから、もし好きな人ができたり告白されたりしたら絶対言ってね。ちゃんとちえりにふさわしい男か見定めてあげるから」
見極めたところで、たとえどんな男が来たとしても認めることなんてないと思うけど。
そんな気持ちを隠しながら、龍斗はちえりに告げる。
するとちえりは、
「りゅうくんが見定めてくれるなら、それは安心だね」
とふわりと笑うので。
(――ああ。やっぱり俺、この人のこと好きだな)
と。
胸が切なく痛むのと同時に、龍斗は自らの気持ちを否応なく自覚させられる。
しかし同時に、龍斗の頭の中ではひとつの懸念事項が、ざわりと身の内を波立てた。
(もし。俺があのひとの子供で、ちえりと血がつながっていたら)
龍斗は、ちえりの父が自分を『知人の息子』と言っていたが、実は彼こそが自分の実の父である可能性を疑って捨てていなかった。
それはそうだろう。そうでもなければ、他人の子供をわざわざ自分の家に引き取るなんてことはすまい。
もし、実は血がつながっていたとしても――、表向きにわからなければそれでいい。
暗い気持ちを抱えながら、龍斗は繋いだちえりの手をきゅっと強く握りしめた。




