第85話 そこにいらっしゃるのは、もしかしてチェリエ様ではありませんか?
花継ぎの石板の名前が『チェリエ・マーキュリー』に書き換えられた後。
祭祀長は独断でチェリエ・マーキュリーとの面会を試みるべく、サリュートがデルトムント国内で滞在している屋敷へと馬車を走らせていた。
先ほどサリュートと直接対面した際に、祭祀長は「マーキュリー嬢と一度話をさせて欲しい」と伝えたが、まだ体調がすぐれず意識も戻っていないという理由ですげなく断られたのだ。
(あの優秀なトリギアの王子がああ言っているのだ。おそらく嘘ではないのだろう――)
そう思いながらも、祭祀長はなぜ、今この段階で石板がリリーからチェリエに指名替えをしたのか、ひどく興味をそそられていた。
花継ぎ制度が始まってから数百年。
かつてこのようなことはなかった。
それが――、自らが祭祀長の代に起こって、どうして静観などしていられよう?
後世にこの事実を書き伝えるためにも。
自ら確認を怠らず、調査に当たらなければ。
この、祭祀長という壮年の男は、真面目すぎるほどに真面目な男だった。
自分の信念を通すためには、多少人道から外れたことも厭わない――いや、それが人道から外れているということすら気づかない。
そんな真面目な彼は、サリュートからの『マーキュリー嬢の具合が良くなるまでお待ちください』という言葉にその場では応じたように見せていたが、しかし大人しくただ待つような人物ではなく。
そうして、石板の名前が書き換えられた数日後の夜。
おりしも、チェリエやサリュートがレイスたちと話し合いをしていたその日の夜に、祭祀長はサリュートの滞在している邸宅まで訪れたのだったが――。
◇◆◇
「……そこにいらっしゃるのは、もしかしてチェリエ様ではありませんか?」
祭祀長の乗った馬車が、サリュートの滞在する邸宅に差し掛かったところで、急に御者が馬車のスピードを緩めた。
どうやら、暗闇で人が飛び出してきたことに警戒をしたらしかったが、ふと何気ない気持ちで外の様子を伺った祭祀長が見たのは、まさに今、面会を求めていたチェリエ・マーキュリーその人が道端で立ち尽くしている姿だった。
「……祭祀長様……」
彼の耳に届いてきた、鈴の鳴るような声は、まさしくチェリエ・マーキュリーのものだ。
(……マーキュリー嬢は意識が戻らず、面会も難しい状況という話ではなかったのか?)
そう思い、若干の困惑と共に思考を巡らせる祭祀長だったが、一方、リリーはリリーでまたこの偶然を驚いていた。
――まさか、こんなことがあるなんて。
ちょうど、花継ぎの正殿に行こうと思っていたタイミングでうってつけの人と出会えた。
ここまで来るともう、リリーの中では偶然ではなく本当に神様のお導きなのではとさえ思う。
神が本当に存在するのかどうかは知らないが。
「さ……祭祀長様……、助けてください……!」
リリーにとって、この行動は半ば賭けでもあった。
サリュートが入れ替わりの事実を公にし、チェリエの体の中にいるのがリリーだとバレてしまっていたら、即捕まってしまう――、一か八かの賭け。
しかし。
「……チェリエ様、助けてくださいとは一体、どういうことですか?」
祭祀長は知らなかった。
チェリエとリリーの中身が入れ替えられていることも。
今、目の前にいる彼女が、チェリエ・マーキュリーその人ではなく、彼が何よりも大事にしていた花継ぎの乙女の責務を逃げ出したその当人であるということも。
「あのっ……、わたくし、サリュート様に閉じ込められていたんです……! ずっと、ここから出してくださいとお願いしていたのに……!」
「………………! なんと………………!」
リリーが口にしたことは全くのでたらめだったが――いや。
チェリエではなくリリーを、外でやらかさないために閉じ込めていたという事実は確かにそうだったが、この場合においては良くない方向で事実が祭祀長にとおってしまった。
(……彼は、マーキュリー嬢が花継ぎの乙女として利用されるのを懸念して拒んだのだろうか? ……いや。しかし、乙女が人柱にされる事実は、花継ぎ教会の中でも限りなく上層の人間しかしらないはず)
デルトムント王族とて、この事実を知らないのだ。
となると、単に色恋沙汰で何かあったために、彼女を幽閉したと考えた方がいいのかもしれない――、だとしても。
(これは、チャンスだ)
トリギアの王子が隠していたチェリエ・マーキュリーを手に入れる、二度とないチャンス。
このチャンスを逃せば。
下手をすると、最終儀式までにこの娘を手元に置くことはできなくなるかもしれない。
そう思った祭祀長は、優しげな表情を作り、リリーに向かって手を伸ばした。
「乗ってください、マーキュリー嬢。我々があなたを匿います」
その言葉に、リリーは自分が賭けに勝ったのだと悟った。
「ありがとうございます。祭祀長様」
祭祀長の伸ばした手に、リリーは自らの手を重ねる。
リリーはまだ知らない。
石板に書かれた乙女の名前が、自分の名前からチェリエのものに変わっているということを。
祭祀長が――、いっそ、リリーもチェリエもどちらも人柱として捧げて仕舞えばいいと思っていることを。
「さあ、行きましょう。……ああ、裏若い女性がこんな夜着のままうろつくなど」
そう言うと祭祀長は、傍に置いていた膝掛けを彼女に優しく差し出す。
差し出された膝掛けを受け取り、肩から羽織ったリリーは、その肌触りがよく柔らかな膝掛けに暖められながら、これからのことを算段した。




