第84話 誰があれの手綱を握るの?
「……ちょっと待って。その場合、誰があの起きたゴミの手綱を握るの?」
ふと、思い立ったようにぽつりと問いかけてきたサリュートに、その場にいた面々は一瞬言葉を失い、誰ともなく互いに顔を見合わせた。
誰が――、と言われても。
と内心では思っても、それを口に出して言えるほど度胸の座った人間はこの場にはいなかった。
「…………………………もしかしなくても、僕だよね」
結局、誰も答えないのを見たサリュートは自ら結論を口にする。
「…………………………わかってる。わかってるけどさあ」
先ほどティエルが提案した策を実行する場合。
もともとリリーの周りをうろちょろしていた花籠の騎士3人がチェリエの周りに侍るのが前提で。
そこに、サリュートもいると絵的には強くはあるのだが――。
(……あのゴミは、僕が絶対的にチェリエの味方で、自分の味方にならないってわかっているから。いまさら僕が賑やかしでチェリエに侍るほうに入るよりも、あのゴミを見張っていた方がいい)
――わかってはいる。わかってはいるが――。
(……嫌だ。嫌すぎる。またあのゴミがチェリエの体で動いているのを見るのは)
サリュートの世界で、チェリエという存在がもっとも尊ぶべきものとされているなかで、その存在があんなクズみたいなものに穢されるのが我慢ならない。
でも――。
「……サリュート様」
誰よりも大事なこの目の前の人が、自分の姿に戻るためと言うなら。
(どんなに嫌でも、一瞬くらいは我慢しないといけない、か)
心配そうにこちらを見上げてくるチェリエを見下ろしながら、サリュートは自らにそう言い聞かせる。
他人の体、まして、自分が一番毛嫌いしている相手の体に入っているにもかかわらず、そこにチェリエがいると思うと自然と愛しさと慈しみが湧き上がってくる。
(……どのみち、このままの姿だと、どうしても抵抗感はあるしなあ)
愛する人を見て、愛しさと慈しみが湧き上がってきても、やはり嫌いな女の体であるという事実はかわらない。
ならば、チェリエが元の体に戻れるならそれが一番でしかなく――。
「……じゃあ、僕があいつの手綱を握る役をやるけど。頼むから、一刻も早くあいつが元の体に戻りたいって思う状況を作る協力はしてよね」
結局、落とし所がそこしかないとわかっていたサリュートは、しぶしぶながら嫌な役を引き受けることを告げる。
――最終儀式まで、あと一週間弱。
こうして、花籠の騎士という新しい味方も得、なおかつ元の体に戻る策も思いつき、事態は順調に進んでいるかのように見えていたが――。
◇◆◇
「…………………………」
ふ、と。
暗闇の中で眠っていたその人物は、ぼんやりと意識が浮上させる。
まだとろとろと微睡の中に揺蕩いながらも、ゆっくりと状況を思い出そうとしながらみじろぎした彼女は、視界の端に映った髪色で今自分が別の人間の体に移り変わっていることを思い出す。
(……ああ、そう、そうだわ。確か私、チェリエ様の体に入って……)
サリュートに正体を見破られ、彼の下から去ろうとした途端、彼に囚われたことを思い出す。
段々と覚醒してきたリリーは、自分がいつのまにか夜着に着替えさせられてベッドの上に寝かされていたのだと理解する。
驚くべきことにリリーは特に手足に枷を付けられることなく、ただベッドで寝かされていただけだった。
(……あの、チェリエ様大好き男のことだから。この体に傷がつくのを嫌がったのかしら)
十分にあり得ると思ったし、実際のところその通りだった。
リリーを眠らせた際。
サリュートは彼女に枷をつけて逃げられないようにすることも考えたが、そうすることで逆にリリーが彼女の体に傷をつけることを恐れたのだ。
だから――、毎晩きっかり、眠りの術をかけることで逃げられないようにするにとどめた。
しかし、何の因果か、それとも神のいたずらか。
サリュートがいない間に、リリーにかけられた術が解け、目を覚ましてしまったのだ。
リリーは考える。
(……逃げるべきかしら。それとも、ここにとどまって様子を見るべきかしら)
だけど、サリュートがリリーのしたことに気づいた以上、きっとサリュートはリリーとチェリエの体を元に戻す方法を探そうとするだろう。
その時になってようやく、リリーはそういえば自分が、あの隠しショップの男に元に戻る方法を聞いていなかったことを思い出した。
あの時は、入れ替わったらすべてうまくいくと思っていたし、元に戻る必要なんてないと思っていたのだ。
(もしあいつらが隠しショップの存在を知って、入れ替わりのアイテムを手に入れたら……)
入れ替わりのアイテムを再び使っても、入れ替わりが元に戻らないのを知らないリリーは、ぎり、と親指の爪を噛んで焦燥する。
(……どうしよう。もう一度隠しショップに言って、ダメ元で釘を刺しておくべきかしら)
でも、もう一度隠しショップに行くにしてもどうやって――?
リリーが頭を悩ませたその時、ふと爽やかな夜風が吹いてきたことで、彼女は自分の顔をくすぐるその風の元へと目を向ける。
(……………………え?)
窓が――、空いている?
リリーが目を向けた先で、両開きの窓が開かれ、そこにかけられたカーテンが風に揺らいでいる。
窓の外に見える景色は薄暗く、朝なのか夜なのかわからないが、日の出か日の入りのいずれかなのだろう。
(……どうして? 眠らせているから、窓を開けておいても逃げる心配がないと思った?)
それとも、誰か掃除の人間がうっかり閉めるのを忘れて行ったのだろうか?
しかし、リリーは思った。
紛れもなく、これはチャンスなのだと。
今この機を逸しては、この後逃げるチャンスがいつくるかわからない。
そう思いながらリリーは、そろりとベッドから足を下ろし、窓際へと静かに近づく。
(…………いける)
窓の外から見ると、どうやらここは2階のどこかにある部屋のようだ。
窓のすぐ向こう側には背の高い木が並んで植えられ、その後ろには屋敷と道を隔てる塀が見える。
リリーは、外壁をつたい、危なげながらもなんとか怪我なく地面まで降りると、見張りの目を掻い潜って屋敷の外まで出ることができた。
あまりにも何もかもうまくいきすぎて少し面食らうが、それよりも何もかもがうまく行ったことに高揚していた。
(これってやっぱり、私に運が向いてるってことじゃない?)
後はとりあえず――、通りがかった馬車を拾って、花継ぎの正殿まで連れて行ってもらおう。
そう思ったところで、なんとまたおあつらえむきに一台の馬車が通った。
しかも、その馬車に向かって手を挙げると、馬車はゆっくりとスピードを落とし、リリーの前に止まるではないか。
「……そこにいらっしゃるのは、もしかしてチェリエ様ではありませんか?」
そうして、そう言って馬車の窓から顔を出し、リリーに話しかけた人物。
それはまさに、花継ぎ教会の祭祀長、その人であった。




