第79話 だってよく考えてみて? これでもう3回だよ?
チェリエの逡巡する様子を、2人も感じ取ってくれたからかもしれない。
とりあえずいったん、レイスとギークには真実を打ち明けるということで話はまとまったが、祭祀長に事実を話すことについてはもう少し様子を見ることとなった。
そうして翌日から。
サリュートは今度は、リュートとも違うまた別の姿に変装して孤児院に通ってくるようになる。
◇◆◇
「……だってよく考えてみて? これでもう3回だよ?」
サリュートがそう言ったのは、彼が変装して孤児院のチェリエの元にやってきたその日の朝のことだ。
「……3回、ですか?」
「いや、厳密に数えると、一番最初にあいつに婚約破棄された時も入れたら4回だ。1回目は婚約破棄。2回目はあのゴミの後始末に行ったら浄化が不十分で魔物が出てきた時。3回目は樹花祈念祭。で最後が花継ぎの石板の時」
何を言っているのかというと、それはチェリエがピンチになった回数のことだった。サリュートは、変装までして無理して孤児院に来ることはないのに……、と開口一番に告げてきたチェリエに逆にお説教をしているのだ。
「一緒にいても知らない間に窮地に陥るのに。もはや一緒にいない選択とかあり得ないでしょ」
サリュートは今。変装した姿でチェリエに向かってそんな力説をしていた。
変装をしている――らしいのだが、チェリエから見たらいつものサリュートの姿にしか見えない。
どうやら、チェリエ以外の人間には別人に見える術をかけているらしい。
「だから、チェリエがなんと言おうと僕は毎日ここに来るから。というか、君がいない世界に、僕の生きてる意味なんてないし」
「そんなこと……」
大袈裟に言っているのだとしても大仰すぎる。
チェリエはそうは思うけれど、サリュートは大袈裟に言っているのではなく本当にそう思っているのだ。
「とは言え、この先万が一にもあの女が元の体に戻るようなことがあったら、僕と一時でも懇意にしていたなんて噂立てられたくないし。だからこうして姿を変えてこざるを得なかったんだけど」
だってさ、考えてみてよ、とサリュートは力説する。
自分のためなら使えるものはなんでも使おうとするあの女は、チェリエが体に宿っている間に、サリュートが彼女のそばをうろついていたことさえ、後々利用しようとするだろう。
サリュートはそういう姑息なやり方をされるのがどうしても許せなかったのだ。
だからこうして変装してきたと告げるサリュートに、チェリエは実際のところ、同意することしかできなかった。
「それでね。ここにいる間に、君のことをどう呼ぼうか考えたんだけど」
「……どう呼ぶか、ですか?」
「うん」
だって、さすがにチェリエと呼ぶわけにはいかないし、かと言ってあの女の名前で呼ぶのも嫌だし……、と不満げなサリュートは、ここにいる間、彼女を『ちぃ』と呼ぶのはどうかと提案してきた。
「どう? 可愛くない?」
「……可愛い、んですかね……」
「なに? あんまり好きじゃない?」
「好きじゃない……というわけではないのですが」
ちぃ、と言うのは、彼女がちえりだった時の家族からの愛称だった。
祖母や養い子の彼が、自分をちえりと呼ぶ以外に使っていた『ちぃちゃん』や『ちぃ』という、懐かしい愛称。
「なんだか、くすぐったくて……」
つきりと、ふいに湧きあがってきた郷愁のようなものを抑えながら、チェリエはサリュートに向かってつぶやく。
祖母の顔ははっきりと思い出せるのに、どうしてもあの少年の顔と名前がどこかにつかえて出てこない。
そう思いながらふとチェリエが伏せていた目を上げると、目の前にはサリュートが優しく微笑んでいる顔があった。
「……別の呼び方がいい?」
「……いえ」
別の呼び方がいいか、と言われると、そういうわけでもないのだと思う。
ただ、多分、切なくなるのだ。胸が。
彼にそう呼ばれることで。なぜか。
(……こんな小さなことで、サリュート様を困らせたいわけじゃないのに)
――そう。
瑣末なことなのだ。呼び名なんて。
そう思っていたのだが、結局サリュートの「……やっぱりやめよう」という一言で、その呼び名で呼ぶという話は無くなってしまった。
「別に、呼び名なんてなくてもなんとかなるもんね」
そう言って爽やかに笑うサリュートに、チェリエはまた自分のせいで彼に気遣わせてしまったと内心で落ち込んだ。
それでも、そうやって自分の様子をつぶさに観察し、気を遣おうとしてくれる彼の優しさは痛いほどに嬉しくありがたかった。
花継ぎの乙女の最終儀式まであとおよそ二週間。
その間、衣装合わせやら儀式の段取り確認の予定は入っていたが、孤児院での勤めが免除されたわけではなかった。
でもそれは、逆にチェリエにとっては都合の良いことだった。
孤児院に来ることで、サリュートとの接点が取ることができたからだ。
サリュートがいてくれるだけで、不思議と安心する。
それに、子どもたちに囲まれながら、勉強を教え、料理を作り、テーブルを囲み、時には洗濯ものを洗うのを手伝ったりしながら日々過ごすのは、チェリエの性に合っていた。
そしてまたサリュートも、チェリエが家庭的な仕事にあくせく従事しているのを見るのが好きだった。
普通の令嬢だったら『料理や洗濯をしろ』などと頼まれるのはとんでもないことだったし、そもそもそんな暮らしを送ってきていないからできもしない。
しかし、前世での家事経験が豊富なチェリエには朝飯前のことだ。
むしろ、こちらのほうが肌に馴染みすぎてやりがいさえ感じる。
サリュートは、チェリエと一緒に家事をするちょっとしたひとときに幸せを感じたし、彼女が手際よく料理を作るのを見るのも幸せだった。
あの小さな手で、するすると野菜の皮を剥き、あっというまに刻んでいくのを見ると、まるで彼女の方が魔法使いのようにさえ思う。
(……こんな時間が、ずっとつづけばいいのにな)
思わず夢想する。
無事に元の姿に戻れたチェリエと、こじんまりとした2人だけの家に住んで、家事を自分たちでしながら、身を寄せ合って暮らす。
外は雨が降っていても、家の中は彼女の作る温かい食事の匂いで満たされていて、自分はそんな、食事の支度をする彼女のしながら外の雨模様を楽しみ、この空間に2人きりでいられることを楽しみながら、自分の手仕事をするのだ。
想いというのは。
口にせずにいるほど、重く切なく募っていく。




