第76話 わたくしにもちゃんと、考えがありますから
数分後。
無事、祭祀長の部屋からの退出を許されたチェリエは、ティエルがうまく手引きをしてくれたおかげで、サリュートと合流する場を設けることができた。
学園寮の一室にチェリエたちの後から遅れて入ってきたサリュートは、入ってくるなり口元に指を立てて2人に喋らないように指示すると、花魔法で結界を張り、室内の話が外に漏れないようにする。
「チェリエ……!」
「サリュートさ……むっ」
様、と言い切る前に、ソファから立ちあがろうとしていたチェリエはサリュートの胸に力強く抱きしめられた。
えっ……?
ティエルの前で……!? とか。
自分の姿はまだ、あなたの大嫌いなリリーの姿のままなのですけど……!?
とか。
抱きしめられた瞬間、チェリエの胸には様々な思いが交錯したが、覆いかぶさるように抱きしめられ背中に回された腕に、不安げに力を込められたのを感じると、チェリエはサリュートをものすごく心配させていただのだと気づき、しばらくの間されるがままにしていた。
それからしばらくして、サリュートがチェリエから体を離すと、
「……どうして君は……あんな無茶なことを言ったんだ。あのゴミに代わって、花継ぎの乙女の儀式をするなんて……!」
とチェリエの肩を掴みながら、まるで自らが理不尽な役割を押し付けられたように傷ついた顔で叱責した。
かつて見たことのないその勢いにチェリエは思わず面食らったが、それが彼が自分を案じてのものだと理解したチェリエは、肩を掴んでいる彼の手をそっと上から包み込むと、安心させるように微笑み、ゆっくりと落ち着かせるように説明した。
「……大丈夫です、サリュート様。わたくしにもちゃんと、考えがありますから」
そう言って、自らの両肩を掴んでいた手を肩から優しく剥がし、両手を包み込むようにしながらサリュートを2人掛けのソファに座らせると、自らその隣に腰掛ける。
「ティエルも、心配させてしまってすみません。あの……、ちゃんとお話ししますから」
チェリエとサリュートからテーブルを挟んで座っていたティエルにそう告げると、チェリエは彼らに向かって、「……まずは、わたくしがあの石板に触れた時、何が起こっていたかということから説明させてください」と、自分が花継ぎの石板に触れた時の状況を説明し始めた。
「……あの時。わたくしはあの場にいた人々の前で、『自分は石板に触れていただけだ』とお話ししました。ですが、実はわたくしはあの石板に触れていた間、花継ぎの正殿ではない別の空間にいたのです」
「……別の空間……?」
ゆっくりと話し出したチェリエの言葉に、聞いていた2人は信じられないような面持ちで顔を上げる。
まさか本当に――、自分たちの知らないところで、彼女が別の体験をしているなどとは思っていなかったのだ。
「そこは、何かを売っているお店で、その店にいる間、わたくしはリリーさんの姿ではなく、自分自身の姿でそこにいました」
「……どういうこと?」
「詳しくはわかりません。……ただ、わたくしは少なくともその店に5分から10分は滞在していたと感じていたのに、実際にはお二人も見ていた通り、わたくしの意識が戻ったのは石板に触れたほんの数秒後のことでした」
サリュートとティエルに見つめられながら、チェリエは言葉を続ける。
「そこには、店主だと名乗る1人の男性がいて、花継ぎの乙女のためのアイテムを売っているのだと言っていました。リリーさんがあの入れ替わりのアイテムを手に入れたのも、その店だと思われます」
チェリエは、その店に入ることができるのは花継ぎの乙女だけだと聞いたことを2人にも伝えた。
そして、アイテムを売ることができるのも、花継ぎの乙女だけだと言われたことも。
「……ちょっと待って。だとすると、君はなんでその店に入れたんだ? だって、花継ぎの乙女じゃないから物は売れないと言われたんだろう?」
「あくまでも推測ですが、わたくしがその店に入れたのは、リリーさんの体で石板に触れたからなのだと思います。だけど、実際に体は店に移動することがなかったので、あの店にいたわたくしは、意識、もしくは魂みたいなものだけだったと」
だから、店には入れたけれども、物を買うことはできなかったのではないか――。チェリエはそう推察していた。
「……なんなんだそれは……」
荒唐無稽な話に頭を抱えたサリュートに、チェリエもそれはそうだろうと思う。
自分だって――、この世界がかつて自分がプレイしていたゲームと瓜二つだと知っていなければ、こんな漫画みたいな話、人から聞かされても信じられなかっただろうから。
「その店主はわたくしに、『聞きたいことがあれば答える』と言いましたので、どうしたら入れ替わりから戻れるかを尋ねました」
「…………! そしたら? なんて言ったの?」
「…………アイテムでは元に戻ることはできないけれど、入れ替わりを仕掛けた本人が『元に戻りたい』と願えば、入れ替わりは元に戻ると……」
それを聞いたサリュートは、チェリエの言葉でぴたりと動きを止めた。
――入れ替わりを仕掛けた本人が願えば元に戻る。
それはすなわち、チェリエの中にいるリリー自身が、もとに戻りたいと願う必要があるということだ。
つまりそれは、眠らせているリリーを起こさなければならないということに他ならない。
――あの女を、起こす?
チェリエの体で、彼女を冒涜することばかりをしようとする、あの女を?
(――それは……、激しく嫌なんだけど……)
あの女は、サリュートが自分の正体を知ったとわかった今、今後彼の前でチェリエのふりをするようなことはしないだろう。
サリュートがリリーを眠らせる前に見せた、彼女のチェリエを冒涜するような振る舞い。
それはすなわち――、彼にとっての、神にも等しい神聖な存在を汚すのと同義だ。
「…………サリュート様?」
――いったい、自分の発言のどこに着火点があったのだろう?
瞬間、目の前でぞっとするほどの静かな怒りを見せたサリュートに、チェリエは自分の今の言葉の何にサリュートが反応したのか不安を覚えた。




